フラインフェルテ 夜会編U

 潜入が私、破壊が師匠に分担された事情としては、夜会という会場柄、銃が持ち込めなかったことも大きな理由だ。この男は攻撃の魔力がずば抜けて高いくせに、コントロールが上手くない。故に彼はいつも、打ち出す魔法の照準を合わせるために銃を使用している。
 それがない今、たぶん潜入したところで警備員と鉢合わせにでもなったら、勢い余って調べる前の施設を丸ごと燃やしてしまう。どう考えても、不向きなのだ。調査前の施設と一緒に潰される可能性を思えば、私が忍び込んだほうがだいぶましだと思えた。
「アランは出自に恵まれた学者ですが、魔法の心得が多少あるようですしね。アイギスの彼女なら、もし施設内で遭遇したとしても相性は悪くないでしょう」
 サジがそれとなく、ロイを宥めるようにそう言った。視線を向けられたが、私はサジに何も言葉を返す気になれなかった。無視を決め込んだというよりは、ただ何も思いつかなかった、あるいは何となく声が出せなかったのである。
「お前はどうする」
「中庭を抑え終わったら、陽動を手伝いますよ。……あ、その、僕がご迷惑でなければ、ですが」
「ああ? 別に問題ない。敵味方の区別くらいはつくんだろ」
「それは、十分に」
「なら決定だ。そいつはどうする」
「ロイは一緒に来てもらいます。静めの魔法が上手いんですよ、彼は」
「へえ。いい弟子をとったな」
 師匠が目線を向けると、ロイはかすかに睨んでからそっぽを向いた。師匠はくつくつと笑っただけだった。サジが苦笑して、そういえばと思い出したように口を開く。
「今日、別任務でグリーンエッグとブルーエッグも来ているそうですね」
「双子が?」
「ええ、どうやら彼らは本当に、正面玄関の警備を依頼されてきたようですが。まあ、我々が潜入任務で動いていることは聞いているようですから、陽動に引っかかって身内で対立するような馬鹿げたことにはならないでしょう」
「ならいいが。……あれこそ何を考えてるか分かったもんじゃねェな」
「僕はそこまで嫌いでもないですけどね……、順調にいけば今回の依頼で関わることはないと思いますよ。一応、マーロウに聞きましたが、彼らにはまだ当分、重要な仕事を任せるつもりはないと言っていましたので」
 壁にかけられた時計を横目に確認しながら、サジが言った。師匠は二本目の煙草に火をつける。風もないのに煙がぼんやりと流れてきて、私はその白が少しずつ空気に溶けていくのを見ながら、あの、と口を挟んだ。
「グリーンエッグと、ブルーエッグって何です?」
「討伐隊の双子だ。半分、人間じゃねえ」
「へえ。高位の魔物のハーフとかですか」
「だったら分かりやすくていいんだがな。……まあ、似たようなもんだろう」
 師匠はそれ以上、進んで答えてくれる気配はなかった。あまり同胞として信用していないのかもしれない。ふうん、と思って口を噤む。嫌う、という行為には多かれ少なかれ、警戒が含まれているものだ。この人が警戒を露わにするような人たちには、多分、私も好んで近づくことはない。
「連絡事項はこれくらいか?」
「そうですね。あとは臨機応変にということで」
「よし。結界を解け、イズ。長く張って気づかれても厄介だ」
「はあい」
 立ち上がり、ドアに手を翳して呪文を唱えれば、部屋を覆っていた透明な膜が音もなく消えていく。結界からはどうしても、それを張った者の魔力がわずかに滲む。誰かに気づかれて怪しまれると、私にもマークの目が増えてしまう可能性があった。
 短い話し合いを終えて、私たちはそれから、各々に夜会の始まりまでの時間を過ごした。私は先に持ってきた魔法具の確認を済ませ、潜入の手間を軽くするため、残りの時間は渡された地図を頭に入れることに集中した。

 私たち四人が大広間に戻ったのは、夜会が始まる直前のことだった。広間の中央で主催のアランが挨拶を済ませ、止まっていた音楽が再び奏でられ始める。立食パーティーに近い形式の集まりである今日は、細長いテーブルの間を招待客が自由に行き来して、会場は実際の人数よりも遥かに賑わっているように見えた。
「えっと……」
「……」
「何か、飲む?」
 その大広間の片隅で、先ほどから私とロイは会話もなく立っている。師二人が一応、例の双子の様子を見に行くといって席を外している間、アランの監視を任されていた。開始直後ということもあって、今のところ目立った動きはなく、彼は招待客の数人とグラスを交わして話し込んでいる。淡い金の髪が目を引く、学者というには調子のよさそうな、良く言えば明るく華のある青年だ。
「いえ、あたしは別に」
 悪く言えば、胡散臭い。談笑の合間に開かれる緑眼をじっと見つめたまま、私は壁に背中を預けて、飲み物を持った給仕の女性が目の前を通り過ぎていくのを見送った。カーディア邸の使用人だろう。大広間をゆったりとした歩調で回る彼女たちは、揃いの深緑のロングスカートに身を包んで、エプロンをつけている。
「そう? 俺、行ってこようかな。アランのことも、近くで見たいし」
「……別にいいけど、やめておいたほうがいいと思いますよぉ」
「え?」
「どうしても喉が渇いているなら、給仕さんじゃなくて、テーブルに用意されたグラスから選んだほうがいいと思います。貴方に何かあったら、貴方の師匠は様子を見に会場を離れますよねぇ。ちょっと何か盛る相手は本人じゃなくても、十分価値があるんで」
「は……」
「あと、対象の名前をあまり口に出さないでください。私たちはあくまで、警備として来てるんですから、守るはずのご当主を呼び捨てっていうのは不審だと判断され……なんですか、その顔」
 ふと、あまり見つめすぎるのも怪しいだろうとアランから視線を外してロイを見れば、彼は初めて見る生き物でも見たような、呆気に取られたような顔でこちらを見ていた。丸く見開かれた目が映しているのは、もはやアランですらなく私である。
 何なのだ、と瞬きをすれば、彼は我に返ったように口を開いた。
「君って、実はすごく年上だったりする?」
「十六ですけど」
「あ、じゃあ一つ上だ。やっぱりすごいなあ。一つしか違わないのに、先生みたいなこと言うんだから」
「先生、って」
「うん、サジ先生。ていうか、なんだろう。弟子っぽくないってこと。冷静だし、あまり緊張もしてないみたいだし……その、俺なんかよりずっと大きな仕事が待ってるのに」
 苦笑したロイを見て、私はようやく、彼が私の発言に感心しているようだということに合点がいった。先生みたい、という言葉は彼にとっての最上級の褒め言葉なのだろう。強張りそうになる表情を寸でのところで保って、はあ、と相槌を打つ。
 私が冷静なのではない。ロイがあからさまに緊張しすぎなのだ。一応、警備の依頼という建前があったからよかったものの、これが表向きには正体を隠した潜入か何かであったら、真っ先に素性がばれる。そういう落ち着きのなさである。
「冷静だし、色んなことに気がついてるし、魔法もすごかった。……あのさ、イズ」
「はい?」
「君はどうして――あのお師匠のところにいるの……?」
 再び大広間のアランに視線を移した私は、横から聞こえた言葉に、わずかに目を見開いた。会場は歓談の声が少しずつ膨らんできて、音楽を纏って盛り上がっている。テーブルの端でステーキにナイフが突き立てられた。白い皿の上を、銀のナイフが真っ直ぐに滑ってゆく。
「どういう意味です?」
「そのままだよ。強い人だとは聞いてたし、噂も色々聞いてはいたけど、いくらなんでもおかしいって。弟子を一人で潜り込ませるなんて、お師匠として絶対に間違ってる」
「……」
「結界を張ったときだってそうだよ。ろくに何をしろとも言わないで、君があんなに完璧にやったって、一言も褒めてくれなかっただろ。お師匠って、そういうものなのかな? ちゃんと弟子として守ってくれたり、大事なことを教えてくれたり……あの人はするの?」
 訴えるような声音に、隣を向く。ロイはどこまでも真剣な顔をして、落とした声で言った。
「これも何かの機会だよ。あの人の下を出て、俺と一緒にサジ先生のところで学ばない? 先生はきっと駄目とは言わないよ。俺が来る前は、弟子が三人くらいいた時期もあったみたいだし。言い難ければ、俺からも先生に頼んでみるから――」
「やめて」
 びく、と目の前の肩が跳ねて、私は自分がはっきりと拒絶の言葉を吐いたことに気がついた。茶色の双眸が驚いたように私を見ている。魔法を使ったときのような、新鮮味に溢れた驚きとは違う、怯えを含んだ眼差しだった。
 しまった。こんな跳ねつけるような態度を表すつもりはなかった。
「どうして……?」
 俯きかけた私に、ロイは戸惑いながらも気丈に訊ねてきた。どうして。その言葉を数回、自問自答する。
 明確に返せる言葉は、浮かばなかった。
「ごめんなさい。どうしても。二度と言わないで」
「そっか……、なんか、分からないけどごめん。そうだよな、自分のお師匠を悪く言われたら、誰だって」
「いや、それは別にどうでもいいですケド」
「え?」
「……どうでもいいですよ、そんなの。いい評判が少ない人だってことくらい、身をもって知ってますんで。おかしいですよねえ、ほんと。……でも、何を一番おかしいと思うかは、人それぞれなので」
 最後のほうは多分、大広間を行き交う人の声に紛れてあまり聞き取れなかっただろう。それくらいでちょうどいい。正面へ視線を戻した私に、ロイはそれ以上、何も言うことはなかった。沈黙を埋めるように、どこかで乾杯の音が響く。
 師匠をまともな人間だと思ったことなんて、それこそ出会いの瞬間から、一度だってないだろう。ありえないと思ったことは何度でもある。ただ、そこまでなのだ。
 傍から見ればどう見えるのかは知らないが、ありえないと思いながらも、あの人のおかしさには順応することができる。隣り合っていても、息ができる。本当におかしいと思うとき、人はもっと息苦しくなって、胸が冷たくて動けなくなることを私は知っている。そういう痛苦に近い感情には、何を引き換えに出されても耐えることはできない。
「……あ」
 ずっと沈黙していたロイが、顔を上げた。人ごみの中から、師匠とサジが戻ってくるのが見えた。
 師匠は私と目が合うと、無言で周囲を見回した。腕を組むふりで、テーブルの一角にいるアランを指し示す。ちょうど近くを通り過ぎるところだった師匠は、ちらとその姿を確認して、後は真っ直ぐに向かってきた。
 通り過ぎた一瞬に、アランが彼を見たのを私は見ていた。師匠が整えるように触れたネクタイから、ピンが床に落ちる。
「――別邸の警備について、双子から情報が入った。五分後にここを抜けて、さっきの客室に来い」
 身を屈めてそれを拾いながら、潜めた声でそう告げる。私は無言をもって了解の旨を伝えた。師匠はそれから間もなく、給仕の女性に煙草の吸える場所はないかと尋ね、大広間を出ていった。

 夜会は途中に有名なヴァイオリニストの演奏を挟んで、一度ほどけた歓談の輪が再び作られつつあった。開始から一時間半。人々は次第に打ち解けてきて、ゆったりとした一体感が会場全体に流れている。
「お飲み物は、いかがですか?」
 場が和やかになってくると、警備であるはずの私たちにも給仕の女性が声をかけてきた。師匠と二人、サジ達と少し離れて立っていた私は、彼女が押しているワゴンを見る。アルコールからフレッシュジュースまで、様々なものが取り揃えてあった。思いつく飲み物のどれを言っても、はいございますよ、と言われそうな豊富さである。
「いや、今はいい」
 師匠が断ると、女性はにこりと微笑んで頭を下げ、すんなりと私たちから離れていく。そうしてまた別の客に声をかけ、綺麗に磨かれたグラスにワインを注いだ。
「三人目ですねぇ」
「いい加減、断るのも面倒だな」
「何か持ってたほうが、声かけられずに済むんじゃないですか? 師匠だけでも」
 受け取らない理由は分かっているが、こうも何度となく話しかけられると、かえって監視の視線を妨げられる。声をかけられている間は必然的に、アランから目を離さなくてはならない。その度、人の向こうに紛れた金髪を探し出すのが億劫になってきて言えば、師匠はそうだなと考えるようなそぶりを見せて頷いた。
「……テーブルなら問題ねぇだろ。あの辺りから何か一杯持ってこい」
「はあ? なんであたしが行くんですかぁ」
「いいから行け。お前は少しうろうろしておいたほうが、後々いい」
「……ああ、なるほど」

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