フラインフェルテ 番外・赤の独白U

 七賢人の管理するこういった孤児院は、アストラグスに全部で七つ。一人の賢者につき、一つの孤児院を管理しているそうで、リンデンベルを担当しているのはマーロウだった。彼は時々視察にやってきて、自ら俺たちに魔法を教えたり、誰がどういった魔法の扱いに長けているかなどを一通り調べたりしていく。
「さながら、君はグングニルだな」
 その言葉を、俺に初めて伝えたのもマーロウだった。
「勝者の槍だ。つまりとても強い力を持った魔法使いだ――という、我々七賢の間に代々伝わる例えのようなものだな。君の魔力は攻撃の魔法を使った場合にのみ、異様な上昇率を記録している。君は、攻撃の魔法に特化しているのだ」
「特化……」
「中央でも、私が記録を持ち帰るたびに話題になっている。誇らしいことだ。リンデンベルから、神の武器に例えられる子供が出ようとはね。君のように極端に、一点に特化した魔法使いが現れたのは、記録によれば実に三十年ぶりのことだよ。彼はやはり攻撃特化の魔法使いで、トライデントと呼ばれていたが、三十年前に老衰で亡くなった。私も彼が実際に戦った姿は、見たことがない。生きて会ったことは、何度かあるがね」
 エルダに連れてこられた演習室で、他の子供たちと別に、一人でマーロウと話をするよう言われた俺は、天井から突き出した氷柱を見て右手を握った。視察のたび、マーロウは子供たちを外に集めて、魔法を順番に見せるよう求めたが、このところ俺に関しては最後に別室でという扱いになっていた。
 制御の腕前が年相応なのに対し、攻撃の魔力が突き抜けすぎている。
 万が一、他の子供に当たるようなことがあってはならないという配慮だった。外でないのは、他の建物に被害が及ぶ可能性を避けるためだそうだ。この部屋はマーロウの結界で保護されており、魔法が直撃すればその部分の結界は破れてしまうが、一撃であれば直接的に建物へはぶつからずに済む。
 ただ、近頃はそれも限界を感じているとマーロウは言った。十歳で自分に合う唱言葉「トワイラ」が見つかってからというもの、俺の魔法は日を重ねるごとに強くなっていくようだった。魔力の成長は比較的、体の成長期と比例する。この先、二十歳前後で安定するまでは、今より力が増していく可能性が高い。
「リンデンベルではもう、まともな訓練ができないだろう。どうだ、いっそここを出て実戦で学んでゆくか?」
「……それは、魔法使いとして働けってことか?」
「十二の君に、何も一人で仕事をしろとは言っておらん。ただ、ここにいても日々を持て余すだけだろうと提案しているのだ。ちょうど今日は、その話を持ってきた」
「なんだよ」
「ベリル・オーガストの弟子になる気はないか。国の南西部に暮らしておる、討伐隊の一人だ。君のような特化型ではないが、実力のある魔法使いだからな。彼女の下で依頼を手伝いながら生活するほうが、力の使いようを学ぶには良いかもしれん」
「……」
「キーツ。どのみち君は、遅かれ早かれ魔法使いになることを選ぶだろう。君の才は、非凡なものだ。有り余る力は、隠して生きることは難しく、隠さずに生きれば周囲からは活用することを求められ続ける。少しずつで構わない、覚悟を決めなさい。君自身のために」
 マーロウがはたしてその言葉を、俺のために囁いたのか、国のために囁いたのかは分からない。窪んだ瞼の奥の賢人の眸は、子供の目には深すぎて、真意を探り見ることはできなかった。
 俺はしばらく考えた後、無言で頷いた。リンデンベルにいても、もはや俺がマーロウの視察の日以外に魔法を使うことはなく、魔法の勉強ができないとなるとリンデンベルでは暇を持て余すばかりだった。嫌いだった本もこの一年足らずで読み尽くしてしまい、新しい書物がくるとエルダが気を利かせて最初に貸してくれるが、文字を読むことに慣れた今ではあっという間に読み終えてしまう。
 退屈だった。あてもないくせに、外に見える景色のすべてがここよりは自由に見えた。どこかへ行けるというのなら、どこでもいいような気もした。
 ある意味それが、覚悟だったのかもしれない。俺は外へ行くために、魔法の手を取った。


 ベリル・オーガストは一言で言えば、薔薇のような女だった。年齢は三十二と、若くもないが魔法使いとしては中堅といったところだろうか。外見からも言動からも威圧感があって、事前に知っていなければ年齢不詳という印象だった。深紅の蔓のように広がる髪と、深い緑の目が特徴だった。ノースリーブの黒のドレスに毛皮を羽織り、黒いベロアの長手袋を嵌める。
 その手の先から、彼女はよく、黒い茨のような炎の魔法を使った。
「戦うことに関して、私が教えられるのは魔物のことだけだ。魔法は、私とお前じゃタイプが違いすぎる。私と同じように戦うことは、お前にはできない。私だけじゃないよ。多分、他のどんな魔法使いとも違う戦い方を探すつもりでいたほうがいい。やることは同じでもね」
 トーク帽のレース越しに、鋭く見据えるようにこちらを見て、彼女は言う。
 その言葉通り、彼女から学んだ制御の方法は俺にとってはまるで意味を成さず、見よう見まねで放った魔法は危うく森を焼きそうになった。雨を降らせなさい。彼女が咄嗟にそう言ったとき、俺が使ったのは水を呼び出す呪文だった。本来ならコップ一杯程度の呪文だが、すぐに辺り一帯を覆い尽くす雨が降り注いだ。
 そう、そういうことだ、とベリルは言った。魔法をコントロールすることが難しいのであれば、自分の力に見合った使い方を覚えること。それしかないのだ、と。
 二年間でそれなりに多くのことを学び、ベリルも俺も、多分互いに一度もにこりとさえしなかったが、生活に不自由を感じることはなかった。ただ、十四を迎えてすぐに、ベリルは依頼に出向いていった先で大怪我を負い、討伐隊の別の魔法使いたちが救助に向かう騒ぎとなった。
 小さな村の依頼だから今回は待っていなさいと、家に残されていた俺は一時的に賢者たちの元で保護された。魔力の制御にまだまだ不安の残っていた俺は、居住区のすぐ傍の依頼では、留守番をしていることは珍しくなかった。だから、彼らが家にやってきて初めてベリルが怪我をしたことを知った。
 一体何があったのか。魔物に襲われたと聞かされたが、子供ながらに疑問が残った。しつこく訊ねると、やっとのことで「ベリルがそうとしか話そうとしない」という答えが返ってきた。
 彼らも疑問は抱いているのだが、今回の件に関してはベリルが口を堅く閉ざしており、これ以上問い質そうものなら舌を噛み切りそうな状態にあり、賢者たちも今は様子を見ているところだという。命に別状はないが片目を失い、精神的にもまるで何かを大きく抉られたように不安定な状況だと聞かされた。
「キーツ。久しぶりだな」
 中央に戻った俺を出迎えたのは、マーロウだった。顔を見たのは二年ぶりだ。背が、いつのまにか彼を越していた。そういえばベリルとも、出会ったころは向こうのほうが、目線が上だった気がする。
 彼女の回復がいつになるか分からないということで、俺は一旦、リンデンベルへ戻ることになった。しかし事実上、それを境にベリルとの師弟関係は切られたようなものであった。
 二年間でさらに上昇していた魔力の扱い方を最良の方法で学ぶため、俺は特例としてマーロウの弟子となり、彼に話を通してもらって町のギルドへ登録を済ませた。そこで一般の魔法使いに交じって、依頼を受ける生活を始めた。昼は魔法使いとして魔物を倒し、夜はリンデンベルへ戻る。
 居住区の依頼は避けていたため仕事が何も見つからない日もあったが、幸い日々の依頼で小遣いが稼げるようになっていたので、時間の潰し方には困らなかった。本を買ってはカフェやレストランを一日かけて転々とし、自由に町を歩き回って過ごした。読み終えた本は勝手に、リンデンベルの図書室に加えた。
 四年が過ぎる頃には、エルダが「不思議なこともあるものね」と顔を綻ばせるくらいには、リンデンベルの蔵書は潤っていた。


「キーツ・グラッセ。我ら七賢の名の下に、そなたを今日より三十人の魔法使いの一人と認め、使命を委ねる」
 ずっと、腰を折って下を向いておらねばならず、祝いの日だというわりには爪先と床しか見えないのだな、と思った。賢者の正装である紫のローブに身を包んだ一人が、小さな布団にのったバッジを恭しく差し出して、俺の襟元につける。
 十八歳。前年に討伐隊を高齢により脱退した魔法使いがいるということで、魔法使いとして独立が認められる歳になったこの年、マーロウが俺を新たに加入させることを申請し、七賢人全員の合意により入隊が決定した。これからはギルドではなく、賢者からの依頼を受ける専門の魔法使いになる。
 一時期ベリルの下で討伐隊の活動というものを見ていたこともあって、それほど何かが大きく変化するという感慨もなかった。担当するのはこの首都から、南東に下ったエリア一帯だ。リンデンベルを出て、そこで一人、暮らすようになる。まさか自分がこんな仕事に就くことになるとはな、と、十年前に魔法を見せてくれた男を思い出し、息を吐くように笑った。
「さあ、後ろを向いて。皆に一礼しなさい」
 声を聞いてようやく、なんだマーロウだったのか、と思う。顔を上げると、頭一つ低くなった彼と目が合った。
「おめでとう」
「……ああ」
 不満はそれほどなかった。魔法使いになることは、ある意味では最も楽な選択であるとも言えた。加えて討伐隊ともなれば、生活に困窮することもない。四年の間に俺の中で魔法は仕事の良き道具として、憎むものでも尊ぶものでもなく、自身のために使う手足と同じ感覚に変わっていた。
 振り返ると、二十九人の魔法使いが並んでいる。一礼した俺はその中に、ベリルの顔を見つけた。片目を髪で覆い、その下にレースの縁取りがされた眼帯をしていた。トーク帽ではなく、魔女の正装らしい黒の三角帽子を被っている。彼女を象徴するかのように、ワインレッドの薔薇が二輪、帽子の縁に縫い留められていた。

 加入式の後、俺は彼女と少しだけ話をした。大したことではなかったが、四年前、唐突にあの家を出て以来、顔を合わせたのは初めてだった。でかくなったね。開口一番、見上げて言われた台詞に少々拍子抜けした。髪をほどいたのかい。いいんじゃないか、いつまでもお坊ちゃんみたいに、一つ結びって柄でもないだろう。彼女はそんな俺に、淡々とたたみかけるように頷いて言った。
「四年前は、悪かったね」
「いや。見ての通りだ。それなりにやってた」
「まあ、お前のことだから十八になったらここで会うだろうと思ってもいたよ。……二年前にね、復帰したのさ」
「隻眼だと、視野が狭ぇだろ」
「なに、慣れれば何てことはない。それに今は、いい目がいる」
「へえ」
「……少女だよ。二年前、私を救ってくれた。今ここに戻っているのは、彼女のおかげだ。弱くてか細くて何にもできやしないが、私は彼女に救われた」
 一見、矛盾した言葉を口にして、ベリルはふっとその唇に弧を描いた。一つになった深い緑の目の奥は、昔よりもどことなく穏やかでいる。かつての彼女は、誰かに救われるという要素のない、堂々として無傷な印象を与える人間だった。だが、今は少し違っている。
「そうか」
「なんだ、救ったのが自分でなくて寂しかったか?」
「んなわけあるかよ。気持ち悪い冗談はよせ」
「そう言うと思った。お前は相変わらず目つきが悪いな」
「目つきは今、関係ねえだろうが」
 今の彼女に救われるという要素が見当たらないのは、それがすでに満たされたものだからだ。それはさながら、自分の行くべき未来の姿の一つであるようにも思えた。討伐隊と呼ぶには、今の彼女は柔らかで、しなやかに見える。今日、入隊したばかりの自分のほうがよほど、討伐隊の名に相応しい何かをすでに持ち合わせてしまっている。そんな気がした。
 少し、以前の彼女に似ている。
「そうだ、キーツ」
「ん?」
「祝いだ。やる」
 ぽん、と投げ渡された包みは細長かったが、見た目に反して片手で受け取ると重いものだった。がさがさした厚い紙の包みに、細くカーリングしたリボンが巻かれている。
 思い当たる、と公言して良いものではないが、重さと形から思い当たるにワインだった。アストラグスでは成人の区切りが十八歳にある。それ以前に、リンデンベルの自室にはさすがに持ち込まなかったが、何度か手に取ったことはあった。
 ベリルは俺の反応を予想していたようだった。特に中身を説明することはなく、口に合うかどうかは知らないがね、と言って続けた。
「討伐隊に入ると、誰でも一時はおかしくなる。どうしようもないことだが、牙も爪もなくしたはずの人間にとって、戦うっていう行為は何かを欠落させる。きっかけがあれば、そこから抜けるのは呆気ないもんだけどね。渦中にいるときは、底なしみたいなものだ」
「……」
「そういうときが来たら、自由にするといい。依頼さえしっかり受けておけば、上は何も口出しはしないし、食べるためと思って最低限のことをすればいい。常に正しくあろうとすると、真っ直ぐに進んで破綻する。適度に狂えない人間は、ここには向かないよ」
 まあ、お前はその点、あまり心配もなさそうだけれどね。伸びた髪をかき上げた俺にそう言い残して、ベリルはそろそろ帰ると背中を向けた。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -