フラインフェルテ 夜会編X
「……大当たりじゃないですか」
たちまち見えた部屋の光景に、思わずそう口にしてしまう。
大小様々な棚に並べられた、色とりどりの怪しげな瓶。奇妙に絡み合って育った植物や、液体につけられた何かの卵。膨大な量の資料らしきものと、広いテーブルに転がったフラスコ。
それらすべての中心に置かれている、砂時計のような形をした、ガラスの器。
「どれ持っていっても、証拠にはなりそうだけど……」
研究のメインと思わしきものは、そのガラスの器だ。だが、大きさが私の背ほどもあって、とても持ち出せるとは思えない。ならば次に証拠として価値が強いものは何だろうか。何かしらの物と、あとはノート類だ。アランの名前が残っているものがあればそれが一番だが、なくても直筆と思われるものがあれば、賢者たちの元で筆跡の鑑定はできる。
錬金術そのものは、この国でも禁止されているわけではない。魔法のほうが根強いが、魔力の素質に左右されない錬金術の扱い手は、魔法使いのいない郊外の村などでは重用される。アランが今回、依頼の対象になったのは、このところ明るみに出てきた彼の研究内容が禁を犯すものであったからだそうだ。
賢者たちの見解によれば、彼は錬金術で人間を生み出そうとしている。ホムンクルスとでもいうのだろうか。確かではないが、その可能性が非常に高いらしい。
ぱらぱらと数冊のノートを捲って、研究内容に迫れそうなものを探す。ホムンクルスの生成が禁止されているのは、人道的な理由も勿論だが、器となった体に「心」を備える技術が確立されていないからである。精神のない生き物には理性がない。しかし体があれば本能を持ち、脳を備えていれば知恵をつける。
ノートを捲る手が止まった。どうやらそれらしき研究について記されているページを見つけた。これだ、と急いで抱え、続きらしきノートも数冊抜き取る。ついでに近くにあった小瓶をいくつか、何に使われるものかは分からないがポケットに押し込み、机の上に残されていたメモもノートに挟んだ。手ごろな厚さのファイルも一冊、机に出されていたものを抱える。
こんなもので足りるだろうか。
棚の上にある瓶なども持っていきたい気はするが、私ではどれが証拠として重要なものか判別が難しい。錬金術の知識はないので、どうでもいい、初歩的な研究や単なる材料の瓶を選んでしまう可能性もある。唯一、明らかに価値が高そうだと分かるのは一つだけだ。中央の砂時計型を振り返って、私はそこに近づいた。
コポコポと、透明度の高い緑色の液体の中で、泡に囲まれて豆のようなものが浮かんでいる。何をしているのかさっぱりだが、泡が上がっているということは、装置として稼働しているということだ。
ふと土台の近くを見ると、金具を使って固定してあった。外したら、風の魔法で運ぶことはできないだろうか。少々バランスが難しい上に落としたら危険だが、外まで持ち出せればいいのだ。外にさえ出してしまえれば、その頃には施設の破壊も済むだろうし、後はどうとでも運べる。
「固……っ」
試すだけ試してみよう。金具に手をかけてしゃがみ込み、私は片腕にノートを抱えたまま、何とか外せないだろうかと弄ってみた。見たところ、特別な鍵などが必要そうな造りではない。蝶番のような形なのだが、指に触れる摘みがある。ここをどうにかすれば、外れるものではないのだろうか。
泡の昇る音が、絶えず耳元でしている。手の甲が緑の光に染まっていた。本当に薬臭い部屋だ。ふと息を深く吸って、そんなことを思ったとき。
「――惜しいなあ。それは回すんじゃなくて、倒すんだよ」
がちゃん、と。背後から伸びてきた指が、その金具を開いた。
「……っ!?」
「ね、ほら。外れただろう? 侵入者さん」
「いつから、そこに……っ」
「たった今だよ。いやあ、討伐隊の弟子っていっても、真剣になってる後ろ姿は無防備なものだね。黒猫みたいに丸まって、ガラスに映った僕にも気づかないで」
ニィ、と若草色の眸を歪めて、アラン・カーディアは私の顔の横に手をついた。金具をがちゃがちゃと弄っていたせいで、ドアの開けられた音に気づかなかったのかもしれない。不覚だった。首筋につう、と冷たいものが当てられる。
「さあ、取ったものを返しなさい。僕はね、こういう罪人にはなりたくないんだ。それに……」
「なに……?」
「イズ・ファントムだよね、君。その銀髪に、赤紫の目……うん、間違いないな」
銀色に輝くナイフの側面で私の頬を撫でながら、アランはとびきり煌びやかに微笑んだ。対する私の目は、いっぱいに見開かれた。
「どうしてあたしの」
「名前を、って? まあ、ちょっとした縁でね。聞いたことがあったんだ」
「縁」
「さあ、そんなことより。はぐらかそうったって無駄だよ。一つ残らず返すんだ」
驚いていたのは演技でも何でもなかったのだが、アランはそうは思わなかったらしい。話を逸らそうとしているとでも誤解したのか、ナイフを持つ手に力を込めた。皮膚が薄く、押し込まれているのを感じる。あと少しでもその手を引かれたら、血が流れる。
「い、いや……っ、返すからっ」
「そうだ。さあ、早く」
「ま、待って。こっちにあるんです」
想像すると、喉から懇願するような声が漏れた。こっち、と言った手の動きを追って、アランが視線を落とす。ナイフがわずかに頬を離れた。
瞬間、私はポケットから取り出したものを、アランの胸めがけて勢いよく投げつけた。
「ぐっ!?」
「展開!」
大量の風の魔法を詰め込んだ爆弾が、至近距離で破裂する。私はアイギスを発動させて、両腕で自分を抱くようにして全方位を庇った。眼前でアランの表情が歪み、吹き飛ばされて遠ざかっていく。風圧に押された私の体が、金具の片方外された砂時計型の瓶を倒して、背後で薄いガラスの割れる音が響いた。
小瓶を詰め込んだのと反対のポケットに、魔法具をいくつか用意してあった。事前の話し合いの段階で、アランと鉢合わせる可能性くらいは十分に把握していたからだ。アランは私たち――特に師匠に注意を払うだろう。ならばどのみち、私たちがアランの前から長時間姿を消すことは難しい。
アランが出てから、私たちが追うか。私たちが痺れを切らし、アランに追われるか。どちらが先に大広間を出たとして、最後にはこの別邸が戦いの場になることは分かっていた。想定外だったのはアランが私を知っていたことだが、そんなことはもう問題ではない。床に散らばったノートをかき集めて、出口に向かって走る。
勢いよく開けたつもりが、内鍵がかけられていて手間取った。ノブを掴んだ手が後ろから掴まれて、背中を影が覆う。
「イヴニン・フレイル!」
ぱんっと音を立てて、その手と手の間に火花が弾けた。アランが一瞬、手を離す。しかし彼は冷静にも、今度は私の手ではなくドアノブを掴んだ。行き場をなくした手がさまようのを感じて、私はとっさにドアから離れ、アランと距離を取った。
「やっぱりね。攻撃はそりゃ痛いけど、大したことはないな」
「なんで……」
「これを使っておけば、耐えられないってほどではないね。いいデータが取れたよ」
アランはそう言って、左手に持った瓶を揺らして見せた。魔物に対するときよりは多少加減をしたが、それほど弱い魔法を打ったつもりはない。防御の魔法も使わず、生身で受けて平然としているのは異様だった。頭の奥で警鐘が鳴る。――この男は、何かがおかしい。
「それは……?」
「鐘楼魚の鱗から抽出した薬でね。魔法に対する防御力を高める。……まあ、体に合う合わないがあってさ。僕の作ったのじゃ、まだまだ一時的だし、効果がどの程度出るかは相性次第ってところなんだけど」
「……」
「飲んでみる? 君の体なら、飛躍的に効果が出るかもしれないね。……ああでも、せっかくの……あまり混ぜ物しちゃうと、後で怒られそうだな……」
結構です、と断る間もなく、アランは一人で何事かぶつぶつと言いながら、その薬を飲み干した。厄介なことになった、と思考を巡らせながら、牽制するように彼を睨みつける。
単純に、あれが魔力を高める薬であればよかった。攻撃ならばどんなものだろうと、大抵は防いで逃げることができる。ただ、防御を上げられたとなると私の力では打ち砕くことができない。
可能ならばここで、合流地点に私がいないことに気づいた師匠が来るのを待ちたいところだが、無理な話だろう。アランにだって、ここに師匠がいなかった以上、彼が今から向かってきていることは分かっているはずだ。
「人間を作ろうとしているって、聞きましたけど」
アランがドアから手を離した。数歩、寄られた分だけ私は下がる。
「そのわりには、関係のない薬まで取り揃えてあるんですねぇ? 魔法に対する防御を強めるなんて、あたし達みたいな魔法使いならともかく、学者の貴方に役立つ薬とは思えないのに」
体術で戦われたら、体格が違いすぎてまず敵わない。魔法の効きが悪いとなると、力に魔法で対抗するのも限界がある。相性次第、と言ったが、アランも薬との相性はかなり良いほうなのではないだろうか。予想以上に分の悪いことになった。
時間を稼ぐか、もしくは逃げる隙を作るため、誘うように距離を取りながら問いかけてみる。アランは一歩、また一歩と慎重に私を追いながら、面白い話でも聞いたようにはっと笑った。
「そうでもないんだよ、これが」
「へえ?」
「むしろ、僕の研究には欠かせない薬でね。――ねえ、“アイギス”」
「え……?」
「君くらいの個体を作り出すのはなかなか難しくて、ちっとも上手くいかないんだけど。考えたことはない? 自分くらいの能力を持った魔法使いがたくさんいたら、人間が魔物の脅威に怯える必要はなくなるんじゃないか、って」
頭の隅に押しやったはずの瓦礫の光景が、一気に舞い戻ってきた。魔法使いになってから、何度となく繰り返してきた自問自答が脳を埋め尽くす。
――今の私なら、あのときの村を救える?
答えはいつも決まってノーだ。――いいえ、魔法は万能じゃない。どんなに強い魔法を持っていたって、どんなに強固な盾であったって、たった一歩踏み出すのが遅れれば何も庇うことなどできない。
分かっているのに、同じ答えを出し続けては、ふとした瞬間にまた同じ問いをする。その触れられたくない循環を、目の前の男に指摘された気がして唇を噛んだ。魔法に望みをかけたい思いと、魔法に絶望していたい思いとが、私の中には絶えず混在していて、私はまだ魔法使いでいる。どうしてと思いながら、まだ。
「こっちへ来たらいい。君を待っている人がいるよ」
「なに、それ」
「魔法使いを生み出す研究を、やってみる気はないか? 成功すれば君が戦わなくても、君の守りたいものを守れる。そういう世界になる。僕たちは、魔物の力を人の体に組み込むことで、生まれながらの魔法使いを作り出す研究をしているんだ」
震えるほどに見開いていた目を、瞬かせる。討伐隊に匹敵する魔法使いを、人の手で作り出す。それはまるで透明な水のように淀みのない言葉で、私の耳へ流れ込んで全身を巡った。
「……いませんよ、そんなもの」
心は、ほんの一瞬その流れに浚われそうになった。ただ、脳裏にこびりついた記憶までは浚えなかった。
え、と立ち止まったアランを静かに見上げて、深く息を吸い込む。
「この、大嘘吐き。今のあたしに、待ってるような人なんていません。精々所在を知ってるのは、一緒に暮らしてる師匠くらいです。あの人がそっち側にいるわけないじゃないですか。だったら他には誰もいませんよ」
「本当に、そう思うのかい」
「当たり前でしょう。残念ですけど、騙される理由がありません。あと」
見下ろすアランの若草色の眸は、華やかな色の奥が濁っている。ぐ、と踵に力を込めて、私は嘲るように笑った。
「胡散臭いんですよぉ、貴方。いい個体がなかなかできないって言ってましたけど、じゃあその失敗作はどうやって処理したんです? 中途半端に力を持った、人型の魔物でしょう? 表に出ちゃったら、騒ぎになりますよねぇ」
「……っ、それは」
「ホムンクルスとはいえ、中央は貴方のしたことを無実にはしないでしょうね。あたしを誘惑できれば、証拠をごまかせるとでも思いました? そう簡単に、乗るわけないじゃないですか。いっぱい喋ってくれちゃって、助かりましたよぉ」
「この――」
「嫌いなんです。貴方みたいな、上っ面だけキレイな人」
ぶるぶると肩を震わせていたアランが、飛びかかってきた。ポケットから数本の試験管を掴み出して、その足元へ叩きつける。無駄だ、という顔をした彼の体は、硬い石の床を割って突き出した土の柱に跳ね飛ばされた。室内が大きく揺れて、棚の上からいくつも瓶が落下して割れる。