第二幕


 アーチを作って並ぶ柱の間から広々と差し込む光の中を、一人の青年が歩いていた。ハイエル・グラン。滑らかな黒髪と漆黒のマントが、後ろ姿を一つの黒い彫像のように結ぶ、騎士の正装に身を包んだ青年である。翻るマントの内側は柔らかな赤色をしていて、前から見るとそれが彼の、涼やかで均整の取れた体を、額に納められた絵画のように浮き立たせていた。
 長い廊下を、機械のように乱れることのない足音が響いていく。象牙色の廻廊の果て、この城の最も奥に、彼の目指す部屋はあった。銀色に光る揃いの鎧を着た扉番が二人、彼の姿を目に留めて、手にしている槍の先を下へ向ける。
 青年は彼らそれぞれに軽く一礼し、もうほとんど黒に近い、深い葡萄色の双眸を緩やかに伏せてから、すうと息を吸ってその扉を叩いた。
「失礼します」
 中から扉が開かれる。外に立っていたのと同じ、銀の鎧を着た扉番が二人、左右に開く大きな扉を静かに開けて、彼へと一礼した。彼らはハイエルが扉をくぐって絨毯の上へ足を進めると、素早くそれを閉め、元の立ち位置へ戻る。
 ハイエルは真っ直ぐに、部屋の中心に置かれた大きな椅子へ腰かけている二人の前へ歩み寄り、数歩手前で跪いた。
「ハイエル・グラン。ただいま参りました。お呼びでしょうか、ティモン王」
 王と呼ばれた男のほうが、深くかけていた腰を浮かせ、立ち上がる。ハイエルはそれに驚いて、密かに目を見開いた。だが、まだ許しを得てもいないのに、顔を上げるわけにはいかない。戸惑うハイエルの視界に、深緑の爪先が入った。
「……顔を上げなさい。ハイエルよ」
「はい」
「突然の呼び出しに応じてくれたこと、まずは礼を言おう。よく来てくれた。こうしてそなたの顔を見て、直接話をするのは、少々久しぶりだな」
 その靴の色より一段明るい、蔦のような緑の眸を細めて、王は言った。灰色の髪を、細い金の王冠が飾っている。象牙色と淡い青を基調とした室内で、それはまさしく宝物のように映えた。所々、椅子の背やカーテンを飾る燻し金の糸や金具と相まって、尚のこと上品に美しい。
「姿勢を楽にしてもらえるか。今日はそなたに、大切な話があるのだ」
 王はそう言って一度、後ろの椅子に座っている妻へ視線を向けた。追うように同じく王妃を見たハイエルへ、彼女は頷く。
 こんなふうに、二人が改まって自分を呼び出すとは何事だろうか。ハイエルは返事をして、少々力を抜いたものの、それほど姿勢を変えずにその話を受けることにした。王はそんな彼の生真面目な様子に、少々笑いながら椅子へ戻った。
「変わらぬな、ハイエル」
「そうでしょうか」
「ああ。そんなそなただからこそ、私たちもこの話をしようと思えるわけだが」
 その微笑が、ふと真剣みを帯びる。ハイエルはじっと、自分を見る王の眸を見つめ返した。
「カナリーと、結婚する気はないか」
 上を向いた眸には光が射し、ハイエルの眸は王のそれの中で、葡萄酒のように紫を明るくしていた。さながら水面のごとく、それが一拍の沈黙の後に、石を投げ込まれでもしたように大きく揺らぐ。王は動揺してすぐには何も返せずにいるハイエルへ、諭すように続けた。
「カナリーのことは幼少の頃より、そなたもよく見慣れておろう」
「はい、それは……」
「近頃はこちらに顔を出すことも、少なくなってしまったが。先日、久しぶりに会って話をした。あれも今年で十七だ。気立ての良い、品のある娘に育った」
「存じております。先日、王妃様を訪ねていらしたところを、ご案内させていただきましたので」
「あら、そうでしたのね。貴方が連れてきてくださったのですか」
 王妃がまあ、と柔らかく顔を綻ばせる。ハイエルは「通りがかりです」と遠慮がちに返してから、すいと視線を自分の膝へ落とし、その目を伏せた。
 カナリー。通常、自分がその名を呼ぶときには様をつける。例え年齢では下だといっても、立場はハイエルよりずっと上だ。彼女はティモン王の弟、サイモンとその妻の娘である。
 太陽のような橙の髪が美しい、明るい少女だ。その持ち前の人懐こさで幼い頃は城へやってくるとよく、ハイエルを見つけて兄にでも出会ったように駆けてきたものである。人を和ませる魅力のあるところは、数ヶ月ぶりに顔を合わせた先日でも、変わっていないと感じた。
 しかしそのカナリーと、自分が婚約とは。
 下を向いたままのハイエルに、王と王妃は静かに目を見合わせた。二人には、ハイエルがイエスともノーとも即答できない理由がよく分かった。彼の戸惑いはもっともである。だが、それを見越してもこの話を持ちかけたことには、二人にとってもハイエルにとっても、それぞれに大きな意味があった。


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