第四幕


 翌日、ハイエルは昨日と同じ正装に身を包んで、象牙色の廊下を歩いていた。
 王に、七夢渡りが無事に成功したことを報告に行ったのだ。ハイエルが本当にライラと会えるのか、そのことをひどく心配していた王は、ハイエルの読み通り、ライラが今でもトコロワに暮らしていると知ってその目を静かに潤ませた。
 泣いてはおれぬな、娘に情けない姿を見られてしまうということではないか。
 今ならまだ会いに行けるという事実と、ライラが一人、背中合わせの世界からこちらを見守って、美しい娘に成長しているという話を耳にして、親として堪えきらないものがあったのだろう。涙に丸められた背中は、ハイエルの知る堂々とした姿より、歳相応の小ささすら感じさせるようだった。
 そういえば、ティモン王ももう若くない。
 いつの間にか月日が流れていたことを克明に感じて、ハイエルは中庭へ視線を向けた。自分がここで、剣の訓練を終えてから同世代の少年たちと遊んでいたような日々は、もうずいぶんと過去のことなのだ。誰の上にも、時間は平等に流れている。己が成長したのと同じだけ、周囲も歳を取る。
 ――後継、か。
「聞いたか、あの話。王がついに、ハイエル様を呼び出して」
「ああ、あれだろ? いよいよ王も次代のことを真剣に、っていう」
 中庭の奥のほうから、今まさに考えていたような内容が話されているのが聞こえてきて、ハイエルは溜息をついた。今日一日、どこへ行ってもこれだ。
 人払いはそれなりにされていたはずだが、こういった話は洩れるのが早い。城の中ではあちらでもこちらでも、ハイエルがついに王の指名を受けてカナリーと婚約した、という気の早い噂話が囁かれている。まだ、その話を検討しているだけだというのに。
 ハイエルが実際にその場所を訪れると、皆、何事もなかったかのように口を噤む。ただ、その視線はあからさまに様子を窺うようなものがほとんどで、何かと問えばいいえと首を振るのに、そうかと思って扉の外に出ると、待っていたと言わんばかりに囁きあう声が漏れてくるのだった。
 ハイエルは再び、大きな溜息をついた。噂をしていた中庭の二人組は、彼の存在に気づかなかったのか、そのままどこかへ行ったようである。遠巻きにこうしたことをされるのが、一番苦手だ。
 悪意はなくても、騒ぎの対象にして楽しまれているのは否めない。もっと言えば、悪意を巧妙に隠して、噂という手段で情報を集める者もいる。七夢渡りに集中したいこの期間、ハイエルにとってはそうした者にまで気を回さなくてはならないことが非常に億劫で仕方なかった。
 分家の中では決して、グラン家は血筋としては身分が高いとは言えない家柄である。代々騎士として仕える間に、自然と王に近しい立場となってきたが、元を辿れば本当に末端の家系だ。騎士でいる分にはそれを問題に思ったこともなかったが、結婚となると当然、余計に周囲の興味を引き、一枚裏で恨みを買う。
 もっとも、それが自分に向く分にはまだいい。大国でない分、反発といっても規模は目に見えているのだ。場を凌ぎ、相手を探り出して王に直接伝えることさえできれば、抑えるのはそう難しいことではないだろう。
 問題は、その王や王妃、自分の父母といった、周辺の人間に害が及んだ場合の可能性である。これにはハイエルも神経を尖らせざるをえず、父ならば同じ騎士であったからまだしも、母にはしばらくの間、一人での外出を控えてくれるようにと今朝がた文を送ったところだった。
 そしてもう一人、その立場上、可能性は限りなく低いと思われるが、カナリーもこれに例外ではない。
 彼女は公言こそされていないが、実質的に次の女王になることが決定している。手を出した場合の報復が割に合わないため、容易く標的にされることはないだろうが、その分、狙われた際には命が危ない。大きな渦が動き出すことのないように、噂のある場所にはハイエル自身が顔を出し、牽制しておく必要があった。
 わざわざ好きでもない噂話の跋扈する城中をこうしてゆったりと歩いているのも、自分がどこにでも出歩いていることを、公に見せつけるためだ。そうすることで話がどこまでも広がっていこうとするのを、少なからず抑えられれば。カナリーの身辺を調べ上げようとする人間がいたとしても、そう容易には進ませずに済む。
 少しは効果があればいいのだが。ハイエルがそう思いながら廊下の角を曲がったとき、ふいに視界を鮮やかな橙色が染め上げた。


- 11 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -