Prologue -飛行艇士と風の調合士-


 蔓の長い植物が、白地に橙を織り交ぜた石の壁をゆったりと這い上がっている。花はなく、深い緑の星型に近い葉ばかりが大小さまざまに生い茂っていた。黄土色の羽をした小鳥が二羽、舞い降りてきて、家のすぐ傍らの湿った地面に生えた草の根元をつつく。昔の画家が描いたスケッチのように静かな、古めかしい一軒家だった。
「本当に、こんなとこに住んでんのか……?」
 幸いにして、庭は広い。森の奥の廃屋のように小さなその家を何軒も抱え込めそうなほど、どこもかしこも草ばかりで殺風景だが、広々とした庭だった。エンジンストップ、ルーダ。静かな音を残して降り立った飛行艇をそこへ止め、決まり文句をかける。機体の振動がぴたりと止み、わずかに続いていた音もなくなると、辺りは余計に静まり返る。
 アイボリーのジャケットの胸ポケットから地図を取り出し、飛行艇を降りたテオは今一度その家をまじまじと見上げた。ウェストノール六番地、ハ‐三号。きっとここで間違いないはずだ。表札が出されていないので分からないが、地図を読むことに関しては自信がある。それが例え、絵心の無に等しい、堅物な教官の描いたものであったとしても。
「失礼します! 風の調合士さんのお宅でしょうか」
 テオは地図を左手に持ったまま、右の手で拳を作って、アーチ型に組んだ石の中にぴったり嵌っている焦げ茶色のドアを叩いた。ベルが見当たらないので、こうしてみるほかない。厚い手袋をつけたままだったことを思い出して、くぐもったノックの音だけでは聞こえなかったかもしれないと、小さなドアに向かって声も張り上げた。
 中で、人の動く気配があった。椅子を引いたような音が聞こえる。やがて眼前のドアが、遠慮がちにそっと押し開けられた。
「……はい」
 顔を覗かせたのは、柔らかな淡い茶色の髪をした、ややおどおどとした印象の少女だった。少女、というにはもう些か、大人びた部類に入るかもしれないが。特別に長身というわけでもないテオを見上げても、少々上目遣いになる。華奢な背格好が、彼女を実際の年齢より幼い印象に引き下げていそうだった。
「観光地区沿いの、ウェストノール飛行艇士管理所から来たんだ。テオです。風の調合士セネリという人に依頼があるんだけど、今はどこに?」
 テオは少女に左手の地図を見せ、そうたずねた。少女は紫苑の眸をぱたりと瞬かせて、テオの顔を窺ったまま首を縦に振る。それからドアをもう少し広く押し開けて、言った。
「どうぞ。依頼でしたら、中で詳しい話をお聞きしますので」
「ああ、ありがとう。……え?」
 咄嗟に礼を言って上がってから、ふと、テオは彼女を振り返る。その口調ではまるで。
「セネリ。……ウェストノール担当の、風の調合士です」
 テオの視線に気づいたのか、それでというわけでもないのか。膝丈ほどのワンピースにかけたエプロンの前で両手を揃え、少女はそう言って、硬いお辞儀をした。


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