二章 -東風と祈り-


 テオは管理所から三つ目の橋の上空を越えたところで、飛行艇の針路を運河の上から右へと外した。途端、路地が目につくようになる。観光地区の道は広く、分かりやすさをモットーとしているが、一歩奥へ入ると看板も立てられないような道が残されている。昔からの居住区の面影を今も残しているのだ。もっとも、観光者の中には好んでそういった路地を巡っている人間も少なくないようだから、こういった地域での生活を保つ人々も、素知らぬ顔をした裏でしっかりと観光に貢献しているのだが。
 上空から見ていると分かりやすいが、徒歩で来たら呆気なく迷いそうな道だ。テオは目的地の屋根が見えてきたのに気づいて、高度を下げ始める。石造りの低い煙突が見えてきた。そして、草の生えるに任せてある広い庭も。
 広いといっても停留場よりはずっと狭いその庭に、テオは慎重に飛行艇を降ろした。エンジンを止め、草むらに足を下ろす。屋根の上からは、黄土色の小鳥が飛行艇を遠巻きに眺めている。分厚い手袋を外して操縦席に放り込み、ドアをノックした。
「はい」
 音が聞こえやすかったおかげか、前回よりも返事が返ってくるのは速い。内鍵を開ける音がこぼれて、向こうからドアが押し開けられた。
「……あ」
 窺うように顔を出した少女の、紫苑の双眸が丸くなる。一応覚えられていたらしい。や、と軽く挨拶をすると、戸惑いがちにこんにちはと返ってきた。今日は生成りのエプロンの上で、色とりどりの瓶が揺れてかちゃかちゃと鳴った。

「クロベルをきらしていまして。マウルベリーとサシェのお茶でもいいでしょうか」
 かたん、とテーブルにティーカップとガラス製のポットが並べられる。お構いなく、と言ったのに、それならば簡単なものを用意しますと答えた少女は、赤いハーブティーを二つの白いカップに注いだ。貝殻のように薄い陶器の上で、赤紫は深い桃色に変わる。お好みで、と出された蜂蜜を、一口飲んでみてから追加した。強い酸味に蜂蜜の濃い甘味はほどよく溶けて、香りさえ幾分かまろやかにする。
「美味いね」
「どうも……」
 セネリは向かいの席で、そう言って軽く頭を下げた。今日はキッチンに小さな鍋が三つも出されている。ドライオレンジやハーブの束は皆、作業台によけられていた。何か忙しいところだっただろうか。たずねてみればいいえと首を振ったが、それが咄嗟の気遣いなのか本当のことなのか、さすがにそこまでは読み解けなかった。
「よかったら、おかわりを」
「え? ああ、悪い。ありがとう」
「いいえ」
 飲み物を手早く飲みきってしまう癖があるのは、飛行艇士に共通の特徴だ。空の上ではレバーから手を離して、不安定に揺れる液体を口にするのは難しい。必然的に、どれほど忙しくても降り立ったときに飲んでおく癖がつく。ちょうどカップに一杯か二杯。ガラスのポットを傾けて二杯目を注いでくれた少女の手元を見てそんなことを考えながら、テオは困ったような笑いを漏らした。


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