花と残照


 東の空に煌々と、星が一つ燃えていた。夜空に緋の色を透かしたような、不思議な色の星である。周囲に星は一つもない。ただひと明かり、そこだけが時を止めたように燃えていた。
「あれはかつての太陽だ」
 嗄れた声が、背中にかけられる。少女は振り返って、空を見上げていたエメラルドグリーンの瞳に声の主を映した。寸胴の、錆びた赤いポストである。雨風に晒された体の所々は、ペンキが剥げて、鉄の色がむき出しになっていた。
「太陽って、いつ頃の」
「わたしがまだ生まれたばかりの頃だったから、六十年は前か」
「どうりで、初めて見た」
「そうだろうな。見たところ、あんたの造りは若そうだ」
 いい技術が使われている。そう言ってポストは、少女の手足を目で示した。関節部分の綺麗に隠された、しなやかな四肢。六十年も前の技術には、確かになかっただろう。少女は頷いて、シースルー袖のワンピースにも視線を落とす。
「私は十五年くらい前よ」
「ああ、そうか。思ったよりは長いんだな」
「結構、大事にしてもらっていたから。服も肌も、大きな傷はなくて」
「いい主人だ」
「ええ」
 ふ、と。笑みを浮かべると、少女の顔立ちの大人びた雰囲気が鮮明になる。涼やかに細められる目尻と、濁りのない口紅。薔薇の花のようだ、と称されたものであった。今となっては、その一言で少女を連想できる者も少なくなったが。
「ここへ来るのは初めてか?」
「ええ」
「じゃあ、あれを見たのも初めてだったわけだ。この町じゃ、ちょっとした名物だが」
 ポストが、再び話を赤い星へ振る。少女もその視線を追うように、東の空を見上げた。
「六年くらい前だったか。あれも突然、この町に現れた。向こうの世界の空を去ってから、何十年とどこにもいなかったのに」
「話題にする人が、きっとまだいたんだわ。あちらに」
「そうなんだろうな。だが、さすがに新しい太陽が生まれて何十年と経つ。そろそろ、そういう時期なんだろう」
 冷たさも、暖かさもない風が頬を撫でていく。がりがりと歯車が二つ、追いかけ合いながら駆けていった。発条仕掛けの鳥が、古い屋敷のバルコニーで鳴いている。生きた鴉が籠を開けて、その檸檬色の小鳥を慣れた様子で連れ出した。
「――何日、何年、何十年。忘れられたくないと、輝いている。あちらの世界で名を失くしても、誰かに覚えていてもらいたいと。あの星は、あの太陽は、わたし達の象徴だ」
 明るさを取り戻していく、絹のような空に。二つの鳥の影が高く舞って、霧散する。ああ、帰った、と思った。路地の彼方では黒猫が、帰還にも動じることなく消えてゆきながら身繕いをしている。
 ここは、忘れられたくないと望んだものたちの行き着く、夢の町。直に朝が来ればまた箱の中へ帰る体を見下ろし、朝焼けの色に染まる手を広げた少女に、ポストは言った。
「寂しいと言えば、それだけの町だ。だが、確かに在るものもある」
「……ええ」
「あんたが良ければ、また来るといい。忘れないよ」
 爪先が、ふいに重力をなくす。見れば、あの鳥たちのように霧散してゆくところだった。帰る時間がきたのだ。少女は今一度、空を見上げ、最後にポストへ微笑んだ。
「――きっと、また」
 少女の体とポストの赤が、差し込んだ日の光の下で消えた。同時に、その足元に伸びていた路地も、連なる家々も消えていく。
 在るべき世界が、今日もまた、朝を迎える。赤い星はそれを一人見届けると、白紙と化した空に溶けて、再びの夜を待つ短い眠りに就いた。


暁の星ネックレス/ストーンマーケット



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