Z.トウミツ祭の奔走


 翌朝、マリアはいつもより少し遅れて目を覚ました。時計の針がいつもならとっくに品出しの手伝いや掃除を終えているはずの時間であることに気づいて、急いで服を整えて階段を駆け下りる。昨日の夜、あれこれと考えすぎて寝つけなかったせいだ。いつもであればそろそろ店を開けるわよ、と起こしに来るはずの母も、今朝は来なかったらしい。
 「おはよう。ごめんなさい、遅くなって」
 だが髪を片手で整えながらリビングのドアを開けた瞬間、目に飛び込んできた景色にマリアはようやく今日が何の日であったかを思い出して脱力した。キッチンが、バターとミルクの匂いでいっぱいだ。昨日はそれどころではなくてすっかり忘れてしまっていたが、今日は十三日。トウミツ祭の朝である。
 「おはよう、寝坊なんて久しぶりね。朝ごはん、適当に食べてくれる?」
 母が起こしに来なかったのは昨日のことがあったからではなく、店が休みだからだったのか、と分かってほっとしたマリアだったが、会話はやはりどことなくぎこちなかった。うん、と答えてオーブンが塞がっているのを確認し、トーストを諦めてフランスパンにジャムを塗る。ハーブティーでそれを流し込むように飲み込んで、早々に席を立った。
 「出かけるなら、午後には戻ってきて頂戴ね」
 「……うん」
 ドアに向かう際、ちらと見たキッチンはすでに菓子の山だった。心なしかいつもより量が多い。目を合わせず、まるですべての雑念を振り払うように菓子作りに没頭する母を見て、マリアはそれ以上何も言わずに玄関へ向かった。ワゴンを出すのは早くても昼、商店街が暇になる時間帯からだ。それまではあと、二時間くらいある。
 姿見で軽く髪を整え直し、靴を履いて外へと出た。顔見知りが何人か、ドアの開いた音に反応してこちらを振り向く。
「あら、マリア。どこかお出かけ?」
「ええ」
向かいの店で雑貨を売っている女性が、黄色の風船を軒先に括りつけながらそう訊いた。マリアもいつものように微笑んで、それから辺りの人達に聞こえる声で答える。
 「ちょっと、アークまで」
 空気が、ざわめいたのが分かった。誰一人として何も口にすることはないが、その一種の連帯感を持った緊張は静電気のように宙を走り、マリアの声など聞こえなかったはずの遠くにいた人までもが、何かを察するようにこちらへ視線を向けた。
「行ってきます」
マリアはその中を、真っ直ぐに歩いていく。長い髪が弾むたび、背中に絡む視線の数を振り払うように、前だけを見て。


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