Y.星読師


 部屋へ戻ったマリアはベッドに横たわると、すぐに今日、ジルと話したことについて考え始めた。気持ちは今、確かに傍にある。この距離を、彼がこの先も実感していられるためには。一時的でなく、一人にさせないためには、どうしたらいいのだろう。
 ―――王都へ行って、彼の師匠だという人を訪ねてみる?だが簡単ではない。ここから王都へは、まず隣街へ行かなくてはならないのだ。山を越えるか、迂回するか。汽車で迂回するのが妥当だと思うが、それだけで二日はかかる。そこから駅を目指して、さらに王都までどれくらいだろうか。不可能ではないが、今のマリアに自力で用意できる交通手段では、往復で一ヶ月弱かかるだろう。二つ返事で行かせてもらえるとは到底思えないし、何より時間がかかりすぎる。今このときに、ジルを置いて教えを請いに行くことが、本当に彼を一人にしないことに繋がると言えるだろうか。一ヶ月という空白は、このタイミングで作ってしまうにはあまりに大きい。
 ―――それならもっと、今よりもっと、毎日会いに行くこと?それは違う。そんなことは、これまでにだってやろうと思えば誰にでもできたはずだ。むしろただ毎日会えば会うほど、他愛無い会話を重ねれば重ねるほど、彼は自分が物語の中で過ごした時間と、私がこちらの世界で過ごした時間の違いを垣間見ることになってしまう気がする。それは駄目だ。
 考えても考えても、これこそはと思える方法が見つからなかった。仰向けになって腕を伸ばし、ベッドの脇のカーテンを思い切り引く。黄昏の色が目に飛び込んだ。どこかで誰かが買い物でもしているのか、何やら笑い合う声が聞こえる。
「……あ」
上体を起こしてその小さな窓枠に手をかけ、遠くの空を見ようとしたところで、マリアは思わず声を上げた。尖った砂色の屋根が、向こうに見える。どうして今まで気づかなかったのだろう。ここは、商店街の裏を向いた窓だ。路地が一本あり、その脇に並ぶ家々に大半の部分が隠されてはいるが、その後ろは古書屋が建つ道だ。真鍮の風見鶏が、夕陽を受けて光っているのがよく見えた。
 ―――物語の世界に、ついていくことはできないのだろうか?
 その煌きに古書屋の中で見た星のモビールを思い出したとき、マリアの頭の中にふと、そんな考えが生まれた。突如湧いたその疑問は、あっという間に脳内を染めて、それ一色にしていく。そうだ、物語の世界へ、ついていける方法はないのだろうか。彼はそれを存在しない、仮想の世界だと言うし、星の声の聞こえていない人間に行けるものなのかは分からないが。それでも、これまでに思いついたどの方法より、画期的なものだという気がした。
 だが、そこまで考えてはっと、マリアは気づく。物語の世界へ、ついていく。それが可能であったとしたら、自分はそれをするのだろうか。そちらの世界での時間を彼と共に過ごすということは、彼の言っていた何時間という時間を、自分も消費するということだ。どこでもない、仮想の、空想の世界で。現実をひと時、手放して、そちらへ身を投じるということだ。この世界、この世で生きるはずの時間を、そこで使うということ。
「……」
何度も繰り返していればいつか彼と同じように、この世界だけを生きている人々との、言葉にできないずれを感じるようになるだろう。それは、どうにもならないことだ。
 心臓がどくんと、躊躇うように跳ねて、マリアは思わず自分の胸に手を当ててぎゅっと握った。それから慌てて、まだできると決まったわけでもないのだからと心に言い聞かせる。けれどもし、可能だとしたら。この世界での“存在”の時間と、ジルとの長い約束と、どちらが本当に選び取りたいものなのか、秤にかけなくてはならないのではないか。
 カーテンを閉めて再びベッドに横になり、マリアは瞑れる気配のない目を瞬かせて、胸の奥で問いかけを繰り返した。私があなたを一人にしないとき、あなたは私を同じように、一人にしないでいてくれる?答えてくれるべきあなたと呼んだ相手は、今ここにはいない。
 次に会ったら、物語の中へ行くことが可能かどうか、まずはそれだけ訊いてみることにしよう。マリアはそう考えを固めると、しばらくそのまま横になって取り留めもない思考を巡らせていたが、やがて時計の針が夕食の時刻へ近づいてきたので、考えるのを止めて起き上がった。


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