W.薄金色の部屋で


 ジルはそう言って、テーブルの上の雑然とした古書を片づけ始めた。焼け具合も様々のそれらを、彼の手が拾い上げては積んでいく。しばしその動作をぼんやりと眺めて、マリアはそれから天井へ視線を移した。
 薄金色の、光。太陽の出ている時間だが、微かに発光しているのが分かる。先ほどの一つは適当な星と星の間に収まって、今はもうそこにあるのが当然であるかのように、天井に浮かび続けていた。瞬きをしたらどこにいったのか分からなくなってしまいそうなほど、たくさんの星が浮かんでいる。夜になったらどれほど眩しく光ることだろうか。マリアはそっと、視線をベッドの上にある小さな窓へ向けてそう思った。この向こうは、古書屋のちょうど真裏に当たる。
 古書屋「アーク」の主人は変わり者。夜な夜な怪しい古文書と向き合って、何かやっているに違いない。
 ―――本当に?
 マリアは自分の中に、はっきりとした疑問が湧きあがるのを感じていた。本当に、そうだろうか。変わり者だというが、はたしてそう思えるほど、彼と深く関わって結論を出したのは誰だ。夜が更けるほど窓が輝くのは、この天井が絶えず光を零すからだ。怪しい魔術を行っているからではない。
 元より噂は噂として、すべてを鵜呑みにしていたわけではないが、マリアには自分の中で回遊魚が尾鰭背鰭どころかその形を失って、一匹の小さな海月に姿を変えていくのがよく分かった。もはや噂ではなく、作り話の域ではないだろうか。そんな気づきが急速に胸の内側で広がってゆき、ざわざわとたくさんの人の声が、耳の奥で甦る。ひそひそと彼のことを語る、誰のものとも分からないが聞き覚えのある人々の声だ。重なり合うそれらはだんだんと分厚くなって思考を阻み、マリアは思わずすべてを振り払うように、力なく首を横に振った。
 「マリア?」
 「……ジル」
 その仕草に、彼が声をかける。どうしたのかと問う代わりに呼ばれた名前だった。反対に、マリアの彼を呼ぶ声には疑問ではなく、何か意思のこもった大切な言葉の切り出しのような、そんな力強さがあった。察したように口を閉ざして、ジルはただ黙ったまま、先を促す。
「あなたに、頼みたいことがあるの」
マリアはそんな彼の眸を真っ直ぐに見つめて、最低限の言葉を選んで口にした。
 「私に、星を空へ返すところを見せて」
 願った瞬間、ジルが驚いたのが分かった。マリアはそれ以上何も言わず、彼の返事を待つ。心の中では言葉が言葉の形を成さないほど、受け入れてくれることを望んでいた。
 彼が星と呼ぶ、あの欠片。書物から溢れ出て自由に浮かび上がる、星の存在。星読師という、そう名乗る人。今より関わるためには、もう少しでいい、完全でなくても一時的でも、彼の話を受け入れる材料がほしい。噂で構築されていた彼の印象が打ち砕かれてしまった今、マリアにはこれ以上何かを警戒する必要も、反対に呆気なく心を許せるだけの理由も、決定的なものが何もなくなってしまったのだ。このままでは曖昧なまま、宙に浮かんでどちらへも行けなくなってしまう。
 「分かった」
 「……!」
 「ただ、星を返せるのは夜だけだ。今晩八時に、ここへ来られる?」
 長い沈黙を破って、彼が答えた。マリアは反射的に顔を上げ、それから急いで頷く。
「大丈夫よ。裏の階段から抜けてくるわ」
返事を聞いて、ジルもそれじゃあ待っていると頷いた。約束ね、と言ってから、マリアは密かにほっとしている自分に気がついて、複雑な気持ちになる。
 信じられる証拠を、かき集めようとしているようなものだ。会いに行ってくると言うことさえ躊躇われるような人を、火のないところに煙は立たないと思い直すこともできないで、それどころか信じようと努力している。魔法だと言われたものは星だったように、自分たちが煙だと思っていたものは、ただ少し彼が余所から纏ってきた、霧だったのではないか、と。


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