W.薄金色の部屋で


 古書屋の前に着いてノックをすると、返事がなかった。久しぶりだ。久しいことすぎて試しにもう一度ノックをしたが、やはり返事がない。出かけているのだろうか、或いはまた、眠っているか。
 「ジル?」
 ノブを回してみると、ドアはするりと開いてしまった。どうしよう、と迷ったものの、マリアはそのまま店内を覗く。人の気配がない。こつ、と足を踏み入れて後ろ手にドアを閉め、店の中心、天球儀の前に立って辺りを見回した。初めに中二階を左右両側と、振り返って、ドアの近くのレジを兼ねたテーブルを。だが、どちらにもジルの姿は見当たらない。鍵を開けて眠っていたことはあったが、出かけていたときはさすがに鍵を締めていたというのに。どこへ行ったのだろう。
 ジル、ともう一度呼びかけようとして、ふと天球儀の向こう側、店の一番奥にある小さなドアが目に留まった。絵本に出てくるような、上の丸い、大きさのわりに厚そうなドアだ。銀朱色の塗装が、店内のセピア色によく映える。
 マリアはそこについた金色のノブを回しかけて、ノックを忘れていたことに気づき、慌てて手を離した。そうして右手を緩く握り、ドアに押し当てようとした瞬間、そのドアが向こう側から急に開けられた。
 「きゃっ」
 「えっ!?」
 咄嗟に上げた小さな悲鳴に、こちらへ向かって迫ってきたドアがびくりと止められる。それからすぐに、再度、驚いたように大きく開かれた。
 「マリア?ごめん、来ていたんだ。仕事中だったから気づかなくて―――」
 ドアを開けた青年は、やはりジルだった。店内にいたのだ。彼はマリアの姿を確認するとすぐにそう謝ったが、対するマリアはと言えば、今はそれより彼の背後に見えるものに口をぱくぱくさせていた。呆然としたマリアの目が自分ではなく、自分を越えて後ろに向けられているということに気づき、ジルも言葉を止めてその視線を辿るようにたった今まで作業をしていた部屋を振り返る。そうしてマリアの目線の先にあるものを思い出し、彼は小さくあっと、しまったというような声を上げた。
 天井いっぱいに、星が浮かんでいた。店内と違い、作業スペースのようなその小部屋は、天井が高くない。マリアの位置からよく見える。そこにぎっしりと、本来の天井が見えないと言っても過言でないほどに、彼が星と呼ぶあの薄金色の塊が犇めき合っていたのだ。互いの尖りを上手く組み合わせるようにして、隙間なく貼りついているように見えた。大きさも様々で、マリアがこれまでに見たことのないような大きいものもある。それらは動かないせいかあの光の粉を散らしてはいなかったが、確かにあの落し物や古書から溢れたものと同じ、星だった。
 「……驚いたでしょう。あまり、見ないほうが」
 「どうして?」
 「え、だって、気持ち悪いとか怖いとか、見慣れていないと色々衝撃的かと」
 それとなくマリアを店内へ押し返そうとするジルに、マリアは瞬きをして、ゆっくりと首を横に振った。
「衝撃的なのは、本当だけれど。絵本の森の中みたいで綺麗だわ」
「え?」
「それに、あなたがここで仕事をしていたっていうし。危ないものでもないんでしょう?爆発したりとか」
「それはないよ」
突拍子もない台詞にジルが慌てて否定すると、マリアがくすりと笑った。それを見てようやく冗談かと察した彼は、ほんの一瞬何かを考えるような素振りを見せたあとで、背後の部屋を振り返って、躊躇いがちに言った。
 「……入る?興味があるなら、だけれど」
 「いいの?」
 「構わないよ。気味悪がられると思って今まで見せなかっただけで、隠さないといけないものでもないし」
 片側に身を寄せて、マリアの通れるだけのスペースを作る。ジルがそこを空けたことで、マリアの目には一層はっきりとその部屋の内部が見て取れた。広さはあまりない。元が狭いというよりも、生活のすべてをそこに押し込んでしまっているという感じだ。片側にテーブルと小さなキッチン、反対側にベッドがあり、細いタンスとガラスのランプが置かれている。


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