「身を焼くような苦しみはないが、確かに毒に冒されていた。胸に根を張った蔦がその身を這い尽くし、いずれは自我を奪ってしまう。そんな毒だ」
審判と天秤の彫刻を張り巡らせた部屋の中心、ぐるりと周囲を賢人たちに囲まれた椅子の上で。痩せ型の身を深いオリーブのローブに包んで緩やかに靡く金の髪を腰まで伸ばした女は、静かな声でそう証言した。長い前髪が瞼を掠めているせいもあり、私の座っている席から女の表情は読み取りにくい。だが、落ち着いた様であった。裁判にかけられているとは到底思えない、深い眠りから目覚めたばかりのような、森の奥に広がる湖の如き、不思議な静けさを湛えていた。
「貴女はなぜそれを知っていたというのか」
賢人たちの目には、それが余計に薄気味悪く、同時に底の知れないものに映ったのだろうか。女を詰問する声は、次第に荒く掠れていった。しかし、女はそれにも一向に表情を変えはしない。ただ聞く者の深層へと直接語りかけるような声で、淡々と答えた。
「彼を保護したのが、私だったからだ。魔の森の蔦に絡まれて気を失っていたところを、私が見つけて連れ帰った」
「ならば、初めから毒に気づいていたと?その上で傍に置いたと言うのか」
「そう。彼に毒のことを教えたのも私だ。目を覚ましてすぐに言ってやったよ、お前の自我は保ってあと二年だとね」
賢人たちがざわつく。うちの一人が拳を握りしめ、声を上げた。
「残酷な。人の心をなくした魔女よ」
「残酷なものか。黙って町に帰して、自我のないまま何かをしてからでは、後悔するのは誰だ。彼だろうさ」
ずっと伏し目がちだった女が、ふいに発言のあった賢人を見据えた。月の青白さに似た眸が、冷たく燃え立つように煌めく。その場にいた誰もが、瞬間的に息を呑んだ気配がした。
「それに、あの毒は感染するんだ。素肌に触れた者に、高確率で種子をうつす」
「……」
「もっとも、魔の蔦ではなく人間から感染した者なら、治療法は確立されているがな。しかし迷信だと思われている。町へ戻れば人間は皆、彼を避けただろうね。英雄などと担ぎ上げて、毒に冒されればそんなものだ」
四十人の賢人を相手に、女は声を張り上げて言った。張り詰めていた空気が、弾けて泡立つように震える。それは女の怒りであった。そして、賢人たちの決断であった。
「だから、手にかけたというのか。自我を完全に失う前に」
「そうさ。触れて毒されたって、私には治療ができる。二年も共に暮らしたんだ。最後くらい、誰かが見てやれなくてどうする?」
「決まりだな。さあ、最後の証言をしろ」
女の背後で彫刻が、音を立てて開く。中から現れた長い剣が、天窓から射す光に煌めきを放った。
そして、その瞬間。女は聖母のように深く、微笑った。
「私が彼を、殺(あい)した」
審判の剣が、真っ直ぐに振り下ろされる。裁きの瞬間、私はそっと瞼を下ろし、胸の内で十字を切って、今日の裁判記録の表紙にこう記した。


魔女の慈愛






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