一人きりの教室は嘘のように静まり返って、靴底のゴムが擦れる音から教科書の角が机と触れる音、果ては僕の吐き出した些細な呼吸の羅列までも音にして耳へ返した。空気は微かに埃が浮いて、泥濘のようにどこまでもゆっくりと循環している。掃除の時間の喧騒を思い出して一人、意味もなく放りかけた咳を飲み干した。からからと、渇いてもいない喉が錯覚に痛む。僕はそれをやり過ごして、誰に気を遣うわけでもないのに、手早く帰りの支度をした。
 廊下に出ると、そこは一層空気が撓んでいた。橙色が窓の桟に弾かれて目に沁みる。それらはこの重たい空気から追い出されて逃げ込んでくるように、ドアを開けて廊下へ現れた僕の目をめがけ、一斉に射し込んだかのようにすら思えた。思わず瞼をきつく閉じ、少し下を向いて開く。橙色はそんな僕を覗き込んで、諦めたかのように散らばっていった。
 昇降口の空気は涼しい。ここだけ水の粒が無限に立ち上っているかのようだ。僕はそこに来てようやく深く息を吸って、空になるほどに吐き出した。橙色が、逃げていくような冷たさにほっとする。
 しかしながら、いつまでもここにいるわけにはいかない。僕は何度目かの息を吐き、下駄箱を開けて靴を履き替えた。小さな刺が指先を撫でる。古びた昇降口を、踵を押し込みながら出て行く。
 通学路には電車の通っていない線路が錆びついて横たわり、草を生やして踏切の先で静かに息をしていた。僕よりよほど深く、長く。その向こうに朱く、ゆうるりと浮かんで沈んでゆく太陽を見る。空が、その橙色が熱さを焼きつけるように僕の膚を、瞳を焦がした。じりじりと熱い皮膚を指先の皮膚で辿る。靴底のアスファルトまでもが、橙色に染まっていた。
 僕はその橙色の大気に捕らわれたように動けなくなり、ただじっと、電車の来ない踏切の前で、彼方の蜃気楼のような歪んだ円を見つめている。落ちる、嗚呼もう夕陽が落ちる。空のそのまた高いところが、がらがらと嗤った気がした。


ブラッドオレンジ・ビート




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