痛みにやさしく触れてみたい、という、ある種の暗い欲はどこから来るのだろう。雨の降るたびに疼くような疵痕を、癒すのでもなくただ触りたい、と思う。自分のではだめだ。真似事にはなるけれど、満足できない。疵痕は他人のものでなくてはならない。それもできるだけ、綺麗に顔をしかめてくれそうな。
「そうね、ほんの少しの間でいいの。私のことを、誰より好きになってね」
仄暗い井戸の底から。私の中の、深淵から。そんなふうに例えてしまうにはあまりに甘い足取りで、その欲求は這い上ってくる。私の背中を、胸を。両手の先を、舌を。
愛するという行為はこのときにおいてのみ、それを包み隠し、上手に気化するための手練手管に成り下がる。私はただ、暴きたいのだ。呼吸に上下する胸の、ほんとうの裏側を。
「あなたが、欲しいんだもの」
浸食する影のような、黒い吐息に交えた言葉は、見えない指となってその心臓を撫でた。ああ、此の人は瘡蓋に触れたら、どんな目をして私を見るのだろう。どんな困惑と期待と焦りを持って、この手を制そうとし、舌っ足らずに嘆くのだろう。
今はその想像だけが、この唇に愛を囁かせるのだ。
(熱帯夜、羽化する脈を数える)
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