今宵は月も笑う夜

 真夜中に落下していく。

 閑散とした人気のない道を、踵を鳴らして足早に歩く。急いでいるわけでもないのに自然とそうなってしまうのは、今の時刻のせいか。急な仕事が舞い込んだせいで、またタイミング悪く担当になるべき上司が席を外していたせいで、さらに今日は他の人たちもそれぞれに慌ただしく外出の用事があったせいで。毎度のことながら口裏を合わせたように重なった絶妙な不運に見舞われて、結局その仕事を請け負う羽目になり、会社を出た頃にはとっくに夜の十時を回っていた。
(……さすがに暗い)
 暗がりを怖がったりする、それが可愛いと言われると思っている歳でもないのだが。会社を出てすぐの大通りは明るかったのに対して、アパートへ繋がるこの道は忘れた頃に街灯が立っている程度。住宅街の入り口であるせいか、この時間帯になると人通りもなければ車もろくに通らない、それがいいのか悪いのか。すれ違う人間がいるのも緊張する場合があるが、ここまで静かだと落ち着かず、先ほどからかつかつと響く自分の足音に町中が聞き耳を立てているような錯覚に駆られていて、叶恵は徐々に歩調を速めながら家路を急いでいた。
 叶恵の住むアパートは、会社から徒歩で三十分足らずの所にある。距離としてはかなりの好条件だ。ただし辺りの道が狭く、やや暗いため、大通りに近いわりにはあまり明るい場所ではなかった。最も、そのお陰で叶恵のような若い一人暮らしでも何とかやっていける家賃に収まっているのだが。
 公園を通り抜けるのがいつもの近道であるのだが、今日ばかりは木に囲まれた暗さの中を突っ切るという気にもなれず、その外側を律儀に回ってアパートを目指した。見えてきた玄関を入って、階段をひとつ上り、今時オートロックも何もない微妙な色合いの簡素なドアを開ける。202号室。ここが叶恵の部屋だった。
 ただいま、と。昔は自然と口をついてそう言ってしまう癖が抜けなかったのだが、いつの間にかそれも消えてしまった。静まり返った部屋の壁に手を伸ばして、電気を点ける。朝見たときと何も変わらない、小さなリビングがそこにあった。
 テーブルの横を突っ切って、先に寝室へ向かう。ベッドとタンスが一緒の部屋にある。堅苦しいシャツを脱いで、部屋着を出すと微かに頬が緩んだ。―――会社では真面目でこれといった弱点も特徴もない、というスタンスを貫いているが、本当は好みが年齢より幼いことを自覚している。洒落たブランドより高価なスーツより、袖の透けるベビーピンクのシャツと柔らかく布の垂れる黒のワンピースが好きだった。それに黒のタイツを合わせて、グレーのカーディガンを羽織る。シックだが少し少女趣味的だ。とても会社へ着ていったり、休日の昼間に着ていって誰かと顔を合わせてしまったりはできない。
 柄ではない、という言葉が頭を過ぎる。その通りだ、と脳内で答えを返して、だからこうして部屋着にしているのだと居直った。到底毎日着ているわけではないが、時々無性にこういう時間を過ごしたくなる。ケーキでもあれば最高だったな、と思ったが、用意する時間もなかったのだ。仕方ないだろう。冷蔵庫に何か、それに代わるようなものはなかっただろうかとリビングへ戻って―――、コンコン、というノックの音に思わず窓のほうを見やり、叶恵は悲鳴を上げた。
「――――――っ!?」
否、上げそうになったが声にならない声を漏らした程度に何とか押し留めた。こんな安いアパートで悲鳴でも上げようものなら、すぐに両隣へ伝わってしまう。いや、いっそそうしたほうが、今からでも大声で助けを求めてみたほうが良いだろうか。むしろそれが正しかったのではないだろうか。一瞬のうちにそんなことを考えた叶恵だったが、信じがたい光景に白くなりかけた視界へ何とか力を取り戻し、改めて窓を見た。
「よ、叶恵」
「……」
「いい夜だね。ここ、開けてくんない?さっきから足元が覚束なくて」
 窓の外に、人がいた。本当にいた、何度見ても嘘ではない。片手で器用に壁の凹凸か何かを掴み、硝子越しにもう片方の手をひらひらと振っている。真っ黒な髪、黒い帽子を被って黒い服を着て、何よりそのにいとした笑みに深く見覚えがあった。
「……嘘でしょ」
「ん、嘘が欲しい?」
「ええ。貴方が今ここにいるのは嘘でしたっていう嘘がね」
 くらくらする。目の前が、白を通り越して真っ暗になりそうだ。これが見知らぬ人間であったら通報どころか悲鳴を飛び越えて卒倒でもしそうな出来事なのだが、そうなれなかったのは偏に、今目の前にいる彼が決して見知らぬとは言えない、所謂知人だからである。
 窓を開けて開口一番本音を漏らせば、彼は何が楽しいのかケタケタと笑って、それは売れないなぁと言いながら窓枠に片方の膝を乗り上げた。侵入する気なのかと思って身構えたが、そうではないらしい。上部に片手をかけ、器用に窓枠に腰を下ろす。妙な安定感だ。
「私、その体勢が貴方じゃなかったら、泥棒でもひとまずこっちに上がりなさいって言うかもしれないわ」
「酷いな、俺はいいっての?」
「落ちそうに見えないんだもの。公園のベンチに座ってるときと同じように見えるくらい」
「まあね。……ところでさ、叶恵」
まったく、本当に。これまでにも何度となく何者なのだろうと思う瞬間はあったが、ここまでくると本気で疑うしかなくなってくる。私が今、話しているのは何なのだろう、と。
 いつまで見ても見慣れない光景に叶恵がついた溜息を無視して、彼は何か、とても性質の悪そうな、愉しげな笑みを浮かべた。
「あんた、ずいぶんらしくない格好してるね。もしかして、こっちが素?」
「……え。あ、違うわよ、これはその……!」
「……ふうん?ま、案外驚かないっちゃ驚かないな。一瞬、独りで寂しく仮装でもしてるのかと思ったけど」
「仮装?……あ、そうか、今日って」
「ハロウィンだよ。思い出した?」
 にい、と。まさにその祭の雰囲気を体現するような笑みに、今日の日付を思い出す。十月三十一日、すっかり忘れてしまっていた。朝は覚えていた気がするのだが、会社でのことがあまりにも慌ただしかったせいだろう、こんなことなら余計にケーキを買えなかったことが惜しまれる。覚えていたら、コンビニでもいいから足を伸ばしたかもしれないのに。
 ハロウィン、という言葉に、そういえば去年もすっかり忘れていたのだったという記憶が甦る。ついでにその去年受けた悪戯という名目の厄介ごとも思い出されて、叶恵は今度こそ身構えた。あのときは大変だった。飴玉がひたすらに降り続けて、しばらくあの場で動けなくなったのだ。結局それは十分間くらいで終わったのだが、いつまで続くのかととんだスリルを味わわされたものだ。おまけに回収がまた一仕事で、傘いっぱいの飴玉をぶらぶらと提げて帰った道の記憶は忘れようがない。翌日半分くらいは会社に持っていって置いておいたらいつの間にか誰かが摘まんだようだが、それでも何ヶ月間か自宅に飴が溢れていた。
「残念だけど、私は今年、悪戯なんて買わないわよ。ついでにお菓子も用意してないの、ハロウィンは中止」
「あれ、用意してないんだ」
「ええ、ちょっと今日は、さっき帰ってきたばっかりだし。全然そんな余裕なかったから」
「ふうん……」
 同じ目に、そう何度も引っかかってなるものか。本当は探せば何かあるかもしれないが、長く関われば関わるほどいい結果になったことがない。さっさと追い返してしまうに限ると意気込んで、少し大袈裟に沈んだ表情を作った。自分でやっておいて何だが、あまり上手い演技ではない気がする。だが、さりげなくその表情を撤回しようとした矢先、彼は叶恵と目線を合わせるように身を屈めて、ポケットから何かを取り出した。
「じゃ、仕方ないなぁ。これでもあげるから、元気出したら」
「え?」
「チョコレート。キャンディが嫌いじゃないならこっちもどうかと思ったんだけど、好みじゃない?」
 差し出す、というよりはむしろ手放すようにぽんと渡された、小さな包みを咄嗟に受け取ってしまう。手のひらで転がしてから、叶恵は彼の言葉を頭の中で数回、繰り返した。
 ―――元気を、出せ?チョコレート?
 脳が、それを聞き間違いではないようだと理解すると同時に、凄まじい動揺が走る。馬鹿だの嘘吐きだの、間抜けだの、そんなことは多々言われた覚えがあるが、正気だろうか。目の前の人を偽物なのではないかと思ってまじまじと見てしまったが、どう見てもこんな奇抜なセンスと独特な髪型、それに何より爪の先まで徹底して黒く染めた偽物などそうそういるとは思えない。疑いをかけられた本人はと言えば、叶恵の視線に気づいて何か言いたいことでもあるのかと言うように笑った。心なしか穏やかに見えるその顔が、それこそ、らしくない。
(……まさか、気を遣わせた?)
 彼が彼である、という一言に尽きる理由で、ここまで思い当たらなかったのだが。どう考えても、そうとしか思えない状況である。叶恵は急に自分が悪いことをしたような気分になって、内心で慌てふためいた。どうせ大して相手にされないと、無意識にそう思っていたのだ。彼のことだから、自分の発言など適当に流して、その先はいつもの売り言葉に買い言葉。そう頭から思い込んでいて、だからこそできた、騙すような顔だったのだけれど。
「い、いただきます」
「どうぞ?」
「……」
 居た堪れない。これはあまりに、罪悪感が勝るというものだ。否、彼にされた数々のことを考えれば、自分がこの程度で何かを思う必要はまったくないのかもしれない。だが、それはそれ、これはこれになってしまうのが叶恵の厄介な性分であり、考え出すとどうにも抜け出せない。
 結局、視線を微妙に逸らしたまま、黙々とそのオレンジの包みを開いてチョコレートを口にした。頭の中にはこの後なにを言ったらいいだろうと、そればかりで、だから失念していたのだ。
「……食べたね?」
「え?」
「それじゃ今度は、俺の番だ」
 彼が、あくまで彼であるという、そのたった一言ですべてに片をつけるような真っ黒な真実を。
「トリック・オア・トリート。チョコレートの代わりに、あんたは何をくれるのかな」
 にやりと、その笑みが濃くなる。宙を漂っていた気持ちがさあっと引き戻されて、血の気が引いた。ごくんと、その拍子に飲み込んでしまったチョコレートの味にはっとしたところでもう遅い。受け取った時点で、その手のひらの上だったのだ。
「詐欺だわ。こんなの詐欺よ」
「まあまあ。ほんの遊びだよ」
「最初から、こっちが狙いだったんでしょう?ああもう、どうして気づけなかったのかしら」
「くくく、悪いね。あんたがあまりに下手な演技で頑張ってるからさ、乗らないと失礼だろ?」
「この……!」
「おっと」
 振り上げた手を、どうしたかったのかは分からない。ただ、また引っかけられたのだというやり場のない悔しさが一気に溢れ返って、一瞬彼がどこに腰かけているのかも忘れていた。思い出して胃が冷たくなったが、最悪の想像には至らなかったようだ。掴まれた手首をぐるりと一周した手の熱の低さに、こちらばかりが熱くなっているような感覚に陥って、瞬間的に妙な緊張が走る。言いかけた言葉を見失って叶恵が空気を噛むように唇だけを動かすと、彼はその動揺に素知らぬふりをするかのように、代わって口を開いた。
「さっきあんた、言ったね。お菓子は用意していないって」
「あ、あれは……」
「まさか、嘘だなんて言わないだろ?嘘吐きの日でもないんだから、ねえ。でも、できれば悪戯も買いたくない、と」
「そう、だけど?」
「じゃあ、提案だ」
 嘘吐きの、日。まるで初めて顔を合わせたときを思い起こさせるような台詞を混ぜ合わせて、秘密の話をするように囁く。ろくでもない提案が飛び出すのではと固唾を呑んだ叶恵に、わざとらしい間を空けてから彼は言った。
「―――デートしない、叶恵。今、退屈してたんだ」
「……は?」
 数秒、今度は意図も何も感じられない、純粋な間が空いてしまった。質問の意味を理解するのに時間がかかって、はいともいいえとも、すぐに答えが浮かばなかったのである。デート。彼の口から聞くとあまりに縁遠い気のする響きに、頭の中で茶色とピンクのテディベアが手を繋いだ。現実逃避に近いと、その映像を振り払う。
「誰が、誰と?」
「あんたが、俺と」
「……正気?」
「今日は嘘吐きの日じゃないって、俺は分かってるんだけど?」
 飄々と、あっけらかんと。返ってきた答えに、叶恵は瞬きをしてから、大きく溜息をついた。
「なんで、私が貴方と。言っておくけど、退屈しのぎに使えるような面白い女じゃないわよ。それに貴方、今って言ったでしょう?」
「うん?」
「何時だと思ってるの。もうどこも閉まっちゃってるし、今更遠くまで出て行く気にもなれないわ。私、明日も仕事だもの」
 悪ふざけとしか思えないような、そんな提案。だがどうにも冗談だって、という言葉が出てこないので、本気だったときのために正論を述べておく。自分がつまらない人間だなどと自分から言いたくはないが、少なくとも、彼のような特殊な何かを持っている人が楽しめるような技能は持っていない。私に声をかけるくらいなら、彼はあの手品もどきを独りでやっていたほうが、よほど楽しいのではないか。叶恵は本気でそう思ってたし、何より時計を見ればもう十一時を回ろうとしていた。はいと頷く余地がない。
 だが、彼はこれでどうだと言わんばかりで返事を待つ叶恵に、簡単な結び目を解くように答えた。
「別に、店になんて行かないよ。大した時間も取らせない」
「え、じゃあ何がデートなの?ああ、公園でも行くの?」
「まっさか。こんな時間にわざわざ公園に出て来いなんて、無駄なことは言わないよ」
窓の下に、街灯にぼんやりと照らされたあの公園があった。いつもそこで会話していたせいで何となく、そこまで下りていきたいのかと思ったが、そういうわけではないらしい。呆れたような顔をされて、何とも言えない気分になる。誰がいつも同じベンチにいるせいだと、と言いかけた口を、気合いで閉じた。
「あんたは、とりあえずついてきてくれるだけでいいよ。別に行き先もないし、目的もないし。これはホント」
「……じゃあ、何。ただ少しぶらぶらするだけでいいってこと?本当にそれだけ?」
「すっかり疑い深くなっちゃって、可哀相に。そう、少し出かけるだけ」
「主に貴方のせいだわ。なんか信用できないもの、行きたくない」
 掴まれたままの手を、さりげなく振り払う。そうしたつもりが、なぜだかできなかった。
(……何、これ?)
 きつく掴まれているわけではない。むしろ、どちらかと言えば掴んだ力は緩くなっている。だが、動かないのだ。固まっているわけでもないのだが、そう、まるで。
(なんか、力が……入らない?)
自分のほうが、脱力しているように。身に覚えのない感覚に、手首に触れる黒い爪を見つめる。再度挑戦してみても、やはり感覚は変わらなかった。足は普通だ。反対の手も自由になる。ただ掴まれた手だけが、麻酔を打たれたように自由を失っていた。
「……ついてないね、うっかりばったり、俺なんかと遭っちゃって」
「え?」
「いいや、何でも。それより叶恵、そろそろ選んでもらわないと」
「な、何を」
「とぼけきれると思ってる?―――トリック・オア・トリートの時間だぜ」
 黒い、靄のようなものがするすると伸び上がってくる。それは彼の膝から伸びていたはずの、影だった。体が動かされていないのに、影が動いている。その光景に息を呑んだ瞬間、影は彼の背中で大きく二つに分かれて、気づいたときには、窓枠を越えて室内へ伸ばされた足に膝の裏を取られていた。
「――――――!」
 肌に触れる空気の温度が、視界が、足の裏の感覚が。すべてががらりと入れ替わって現実味を失った。空の黒さ、街灯の色。部屋の中からでは見えなかったはずの、大通りの車が見える。外なのだ。
「う、嘘だ……っ!」
「ははは、どっちでもいいよ」
「良くない、良くない!」
 ―――真夜中に、落下していく。窓枠を飛び出して、あろうことか、彼は自分を引っ張り上げるようにして抱えたまま、背中から窓を出たのだ。出た、と言っても部屋があったのは二階である。それは、外出とは言わない。転落だ。
 幼い頃に、母親から聞かされたことがある。その昔、自分は二階から落ちて一時意識不明に陥ったのだと。明確な理由の分からないまま奇跡的な回復によって立ち直ったそうだが、一度は死も過ぎるような出来事だったらしい。ああ、そのときは助かったというのに、二十年が経った今、結局この身は転落で終わる運命にでもあるのだろうか。それもこんな、どこの誰とも知らない男の狂言じみた飛び降りの巻き添えで。だが、最悪を覚悟した叶恵が目の前のシャツにしがみついてきつく目を瞑った瞬間、頬を切る風の感触がふいに柔らかいものに変わった。
「人の不幸は蜜の味、ってね。あんたの不運は甘い匂いがするんだ」
「……?」
「まあ、言っても分かんないか。悪戯でもお菓子でも、どっちも結果は変わんないってことだよ」
 その風の切り替わる瞬間、確かにそんな声を聞いた。だが、今の叶恵にとってそれを理解することは到底できなかった。恐る恐る開いた目が、落下の瞬間を超えるほど見開かれる。半透明の影で作られた蝙蝠のような翼が、その目に映っていた。
 落下はとうに止まっていて、むしろ体は上昇していく。アスファルトは夜に紛れて見えなくなるほど遠く、それだけ今、自分たちが高い場所にいるということだ。辺りを見回したが、傍には何もない。そっと下を見ればそこにもやはり何もなく、叶恵は宙に浮かんだ黒い靴を見つめてから、ぽつりと呟いた。
「……貴方って、何者なの。翼まできたら、もう手品じゃ通用しないわよ」
「仮装だよ、仮装。ハロウィンだろ」
「私の知っている仮装グッズで、空は飛ばないもの」
「あ、そう?じゃ、違うかもな」
 質問に、返される答えはない。視界はどんどん高度を上げていき、大通りの喧騒は高いビルの上から見ているかのように小さいものに映る。信号の点滅が、辛うじて確認できた。足元を確かめる勇気は、もうない。
「しっかり掴まっててね。俺がうっかり落としそうになっても平気なように」
「や、やめてよ。絶対やめてよ?」
「分かってるって」
 くつくつと、笑う声が耳に刺さる。一瞬躊躇ったが迷っている隙もなく、叶恵はその首に腕を回して万が一の場合に備えた。視界はとうに真っ暗を越えて、ネオンカラーになりそうだ。これが悪い夢でなくて、何が現実だろう。
「……悪魔みたいだわ」
「ん?」
「その羽。なくても、最初からそう思ったけれど」
 トリック・アンド・トリート。影のものが蔓延る祭の夜。幽霊も魔女も、これに比べたら可愛いものなのかもしれないとさえ思えてくる。退魔の心得などないままでは、どうすることもできないが。どうにかしてやりたいと思いつつ、ここで消えられても非常に困る。
「……だったら、どうする?」
「地面に降りてから、戦う」
「は、いいねそれ。あんたが必死に知恵を絞って苦戦するのを見るのも、悪くない」
「……苦戦が前提なのね」
 仕方ないから、しばらくはこのままで。どうしようもないほど不安定な空気の中、唯一傍にあるこの体に、掴まっているしかないらしい。
 真っ黒な空の真ん中に、三日月が笑っていた。助けてくれる手はない。叶恵はもう一度、ちらと夜に溶けそうな翼を見て、諦めたように遠くの町の明かりへ目を凝らした。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -