ミスターパレットT

「体の中に魔獣を飼っていてね、それが時々、思い出したように外の世界を見たがるんだ」
 片側の目が、琥珀を溶かしたような金色をした男だった。もう片方はくすんだ青をしている。左右の目はどちらも単体で見ると宝石のように美しかったが、片方は瑞々しくて片方は古臭い。何ともアンバランスな印象というのが、美しいよりも先に立った。
「それは、大変なのね」
「そうでもないさ。別に痛くも何ともない」
作り話にすぎないと思っていたのだ。ここは大通りが近いから、旅のお客が色々通る。中には様々な人間がいるもので、あら貴方不思議な目をしていらっしゃるのね、そんな話を一言添えたのもこの国を訪れる人間を歓迎する意思を示すための、いわば挨拶にすぎない。大概のお客に、そうして一言二言のメッセージを添える。雑貨を扱っている関係上、そうしたほうが包装の終わるまで、沈黙を作らずに済むからというのも理由のひとつだ。お客のほうもそれは分かっているもので、気さくに答えるか適当に答えるか、あるいは冗談を返してくれる。最後のパターンに当てはまる典型。そんなふうにしか捉えないで、私はあらそうと笑った。
「でも、目の色が変わってしまうのでしょ?日頃の、両方が青い貴方を知る人が見たら、驚くんじゃない?」
「ああ、それはまあ言えているね。でも、仕方ないんだ」
「簡単なことみたいに仰るのね」
「毎年のことだから。もう慣れっこなんだよ」
よく作られた、面白い話。旅の片手間にそんなことを考えているのかしらと思いながら、にこりと、彼が笑った気配に手元へ落としていた視線を上げる。作業に馴染んだ指は、私の目がなくても綺麗に青と紫の蝶々を結んだ。
「秋が近いからね。黄金の季節は、王者の鬣の色だろう?」
完成したラッピングに包まれているのは、数種類の紅茶とティースプーン。贈り物ではないのだがこの国の包装紙やリボンが欲しい、包んでみてもらえないかと頼まれたそれを渡せば、ほんの一瞬垣間見た気のした妖艶な笑みは形を潜めた。無邪気と言っていいような楽しげな表情になってありがとう、と言った彼に、私も店員らしく滑らかに礼を述べる。決して広くない店内を抜けて大通りから伸びる道の雑踏に紛れていった背中を見て、私は次のお客にいらっしゃいませと声をかけた。脳裏にぼんやりと、揺らめくような金色が貼りついたままだったが、やがてはそれも剥がれて落ちた。

 太陽の街、と呼ばれるここは国の中でも一際賑やかで、他国との玄関的役割を担っていると言ってもいい。駅を中心に南北、東西を示すかの如き大通りが二本あり、さらに細い道が色とりどりの店を従えながら放射状に伸びている形を、数百年前の人々が太陽の街と称したのが数年前から正式な名前になった。良い点はとにかく店が豊富で明るいということだが必然的に人通りも多く、細かな店ばかりが並ぶため、代表的な街であるわりには目立った広場や看板もないので待ち合わせには向かない。向かないのだが。
「……」
奇遇にも、というのはいくら人通りが少なかろうと起こらないときは起こらないし、反対にいくら周りの景色が忙しく動いていようと、起こるときには起こるもので。人混みの一枚向こう側に、見覚えのある背中を見つけた。
(何、してるのかしら)
ふと呼びかけようと思ってから、名前を知らないことに気づいて冷静になる。私にしてみれば結構印象的なお客だったから覚えているが、向こうからしたらただの店員にすぎなかっただろう。記憶にはない、と考えるのが妥当だ。人の出入りの激しいゆえ、この街ではお客と何気ない会話をする店員など大して珍しいものではない。むしろ一般的なほうである。私は彼ほど分かりやすい特徴など持っていやしないのだから、きっと私が包んだあの品物のリボンの形より記憶に薄い。そう考えて、話しかけるのは思い留まろうとしたのだが。
(……地図)
先ほどから頻りに手元を見たり通りを数えたり、何をしているのだろうと思ったら。どうやら見れば見るほど道に迷っていると思われるその様子に、しばし悩んでから意を決して歩み寄る。ぽんと肩を叩いたら、驚いたように振り返った。ああ、やはりか。
「貴方、旅の方?どうなさったの」
あの目だ。後ろ姿しか見ていなかったが、今正面から見て確信を持った。金と青の瞳などそういるものではない。顔だって覚えている。
「ちょっと店を探してて……、というかさ」
「はい?」
「この間の店員さんだね?雑貨屋で、紅茶を包んでくれた」
私の質問に答えるようにしてこちらを数秒眺め、彼は彼で確信を持ったようにそう言った。記憶に残されていたことに、少し驚く。数日前の話ではあるから不思議とまでは言わないが、はっきりと言われたことに驚いた。頷いて、正直にそう口にする。
「覚えていただけたとは、思わなかったわ」
「うん、記憶には人より自信があるんだ」
「……もしかして、旅の方というより、学者様か何か?」
「え?はは、まさか。ただの旅人で正解だよ」
そんな大層なものじゃあない、と笑って、持っていた地図で軽く身を仰ぐ。口ぶりから嘘は感じられず、またその身なりや言動も確かにそうは感じにくく、私はその返答を信用することにした。そう、と頷くと彼はそうだと頷き返して続ける。
「覚えてないかい?魔獣を飼ってるんだ」
「あら、またそのお話?」
「そうだよ。だから人より記憶がいい―――今は、魔獣の目が見ているからね」
くすりと浮かべられた笑みは、やはりどこか先ほどまでの彼の雰囲気とそぐわないものを持っている気がしてならなかった。店で見た顔と同じだ。その両目のようにアンバランスで、何となく落ち着かない。その笑みを見ると、他人の秘密をうっかり覗いてしまったときのような、言葉にしがたい戸惑いが生まれる。私が見るべきではないものを見ているかのようだ。何とも胸に残るざらついた感覚を流したくて、私は努めて変わらない声を出した。
「便利なものね」
「そうだな。まあ、秋が過ぎればいつも通りだけれど」
「え?」
「魔獣は、冬が来たら眠るんだ。秋の記憶は鮮やかなまま残るけれど、その後はまた秋が近づいて起きるまでの間、僕の目だけが見るから、両目は同じ色になるし記憶の力も特別でも何でもなくなる」
何だか、本当によくできたお話である。道端で披露するには完成しすぎた大道芸のようだ。細かく語られるその筋書きを、私はふうんと相槌を打って聞いた。彼の背後で、信号が切り替わって人の波が流れる。
「だから僕の記憶は、いつだって圧倒的に秋のことばかりで、金色だ」
その景色がざあざあと過ぎていくのを、私は焦点を彼の両目に合わせたまま眺めている。金の髪と金の瞳、そこからひとつ零れて外れたようなくすんだ青を見た。思い出の中で霞みかける秋空のようだと、そう思った。
「……貴方って、変わった人だわ」
「え?」
「私はエーリディカ、エリーって呼んで頂戴。どこへ行きたかったの?」
作り話でも何でもいい。面白いことを聞いたお礼に、どこへなりと案内しよう。幸い、この街には物心ついた頃から住んでいる。知らない道などない。地図を貸すよう手を差し出したらようやく伝わったようで、彼は喜んだとも安堵したとも取れる表情になって言った。
「僕はランドウ。助かったよ。あのさ、とりあえず」
「ええ」
「……現在地は、どこなのかな……?」
ばさりと地図を広げて、苦笑する。太陽の街を上から描いた地図の放射状に散らばる道を見つめて、ああ本当に、活気があることが不思議なくらい外の人間に不親切な造りだと私も苦笑した。

 季節、というものを一言で説明せよと言われたら、それは一体なんと答えたら良いだろう。一年の中で四つに分けられる、気温や気候の変化。四季。草花の違い。何ともうまく説明がしにくい。彼はそれを、朝昼夕夜のようなものだと言った。
「いらっしゃいませ」
お客の少なくなる昼時、私は時折開かれるドアにそう言って視線を向けながら、商品の整理をしつつそんなことを思い出していた。昨日のことだ。昨日、あの場で道に迷っていた彼を一通り道案内しながら買い物に付き合い、お礼だと言ってカフェで紅茶をご馳走してもらった。日射しの強い時間帯に差し掛かったこともあって、ぽつりぽつりと色々な話をしたのだが、中でも印象的だったのが先の会話である。彼曰く、一年と一日はよく似た構造で、春は目覚めの季節。夏は太陽が最も輝き、秋は景色が黄昏色に染まる。そして冬は、ゆっくりと静かに過ぎる。言われてみれば何ともその通りな話で、私も納得してしまった。
『夕焼けは秋の気配によく似ている。だから時々、間違えてしまうらしくてね』
西日の射し込む壁に掛けられてすっかり色褪せた絵画を、彼はそう言って少しの間、眺めていた。あれは秋ではないのかと、金の目が確かめたがるのだそうだ。もちろん僕は違うと分かっているけど、と呆れたように言いながら、コーヒーを啜っていた姿を思い出す。彼は、季節に纏わる話をよく口にする。旅の話もいくつか聞いたが、思い出はどれも時間ではなく、季節で区切られていた。春に寄った街の話、夏に出会った人の話。秋の話はとても情景が細かい。落ちていたという木の葉の色から、買い物をした店の看板の形まで、様々なものを絵本のように記憶しているようだった。そして冬の話になると、また思い出は思い出らしい霞み方を見せる。
『案内してくれてありがとう、ここで大丈夫』
帰り際、宿を訪ねると反対の方角だったので大通りまで見送ると申し出たのだが、彼は平気だと首を振った。
『この街に来たのが、秋の近くでよかった。今なら、一度通った道は大体覚えていられるから』
宿も駅も、君に教えてもらった店も、抜け道も、全部覚えていられる。そう言ってにこりと笑い、彼は躊躇うこともなく細く長い道の一本を奥へと歩いていって、曲がり角を越えて見えなくなった。迷いのない足取りに、心の中でふと、本当の話みたいだと思ってから我に返った。魔獣の目。そんなもの、あるというのだろうか。きっとただ本当に人より少し記憶が良いだけだという結論に達して家へ戻ろうと歩きながらも、私はどこか宙に浮いたような心地でならなかった。
 そして今も、どうしたものかと考えている。
「いらっしゃいませ……、あ」
「やあ、エリー」
新たな来客を告げるベルの音に振り返れば、色の違えられた双眸と目があった。よくできた、ほんの一掴みのお話。引っかかるのが馬鹿みたいに、あったらなんて面白い、秘密基地のような素敵な話。
「……本当に来られるのね。ここ、特別大きな店でもないのに」
「何?」
「いいえ、何でもないわ。ねえ、ランドウ」
「ん?」
「……貴方って、どうして旅をしているの?」
そんなものに、漠然とした続きを求めてしまうくらいには。
「秋を、連れて歩くためさ」
「秋を?」
「そうだよ。秋が次に訪れるべき国を回って、季節を動かす手伝いをする。それが、僕と彼との約束だ」
このお話と、そのストーリーテラーに情が移ってしまっている。とんと金の目を指差して言った彼に、くすりと笑って楽しそうねと言った。お客だから、話を合わせたのではない。そんな物語がもし本当にあるならば、私もその中の一人になって同じ景色を見てみたいと、心からそう思った。

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