キャンディレインはまだ止まない

 摩訶不思議だとか奇想天外だとか、生きていく上で必要だとは思えない。それなのに糸は意思に反して一度絡まると解けないもので、どこからともなく忍び寄った運命の戯れに操られるがまま。
「や、また会ったね」
 長かった夏の気配がすっかり形を潜めた公園には、今年も落葉の季節がやってきて緑が褪せた。収穫の季節だとかセンチメンタルな日々だとか世界的には色々あるようだけれど、こんな街中で収穫もなければ浸るほどの感傷も持ち合わせていない、石橋の上を往復するような毎日を送っている私には関係がなく。強いているなら最近は仕事が忙しくて、澄ました顔で買う職場帰りのケーキが美味しい季節。そんなものだ。
「……あり得ない」
「あのさぁ。人の顔見て開口一番それ?」
「貴方だからよ」
だから大通りではなくて公園を突っ切ったのも断じて再会だとか出逢いだとか、そういったロマンスを求めてのことではなくて。買ったばかりのモンブランを早く食べたくて、アパートまでの近道をいつも通り早歩き。そんなものだったのに。
 へえ、それって俺が特別ってこと。いや知らなかった、そんなに愛されてたとはね。ひらひらと大袈裟に手を動かしてそうぬかす、目の前の男を見つめる。半ば呆然と、ではあったが、心のどこかで驚いていない自分にも呆れた。相変わらず長い爪、と、そんな気の抜けたことを思う。再会の予感が、まったくなかったかと言えばそうでもない。いつかまたこうして口を利くことになりそうな気はしていたが。
「はあ。どうせ再会するなら貴方より、初恋の人とか、なんかもっとこう、人選ってものがないのかしら」
「うわぁ……」
「言っておくけど、貴方に比べればってだけよ。あと、そんな引いた声出してるけど、貴方も傍から見れば結構……なかなかよ」
まあ、会ってしまったものは会ってしまったのだ。からかい倒された憶えのある相手な上、かなり意味不明な手品もどきを見せつけられた憶えもある。本来ならもう少し警戒してもおかしくないと自覚しているのだけれど、それをする気になれないのは偏に、この男が纏う独特な空気のせいだ。春先に会ったときと変わらず、真っ黒な服と帽子。髪も黒いしアクセサリーまで徹底して黒い。一見すれば奇抜なセンスだと思わずにいられないのだが、一度話してしまうと、それがまるで膚の色や目の色のように自然に思えてくるから困る。むしろ私は再会した彼がカラフルな服に身を包んで目元を露出したヘアスタイルに変わっていたら、全力で逃げ出しただろう。胡散臭さに勝てる気がしない。
「久しぶりの廻り合わせだっていうのに、手厳しいな。ま、そんなことはどうでもいいんだけどさ」
「……私、貴方よりは人情的な会話をしてると思うわ。で、何?」
「うん、切り替えは大事だね。それじゃあ、改めて」
本当に何もかも、相変わらず、だ。口調だけならば格好つけだが丁寧と取れないこともないのに、内容が酷い。どうでもいいと切り上げられたぐちぐちとした再会の馴れ合いをため息混じりに止めて、芝居がかった動作でぱんと手を叩いた彼の口が愉しげな笑みを浮かべ、開かれるのを待つ。
「―――悪戯はいかが?お一つ二十円だよ」
 ぐるりと、たった今の言葉はずいぶんと懐かしい言葉と重なって、けれどもわずかな違いを食みながら頭の奥でよく回ること。そういえばあの時もこのベンチで、こうして唖然としたっけ。そんなことをあの時よりは随分と冷静に考えて、それから言った。
「いや、何でお金取られて悪戯されなきゃならないのよ」
「……」
「……」
「ノリが悪いね」
我ながら正しい意見だと思う。やれやれ、と彼は肩を竦めて見せるけれど、考えてもみてほしい。どうしたってただの損だろう。とはいえ。
「……でもまあ、二十円なのよね」
「出血大サービスだぜ?」
「貴方って切っても血が黒そうだわ。……後が面倒じゃないものなら、買わないこともないけど。っていうか、なんで値上げしたの」
「不景気なんだよ、ついでに腹が減ってんの。後が面倒じゃないものねぇ……じゃあとりあえず、三つの案のうち二つは無しだ」
「……釘、刺しといてよかったって本当に思うわ」
値段は良心的というかなんというか、もはや子供っぽいくらいだ。要するにその値上げは気分なんじゃないだろうかと思わないこともなかったが、それにしたって大した問題にはならない。会ったのが運の尽き。そう思って、どうせなら楽しもうと財布を取り出して、ふと気づいた。
「……あ、そうか」
「ん?」
「ハロウィン、なのね。今日」
悪戯だとか、なんのことかと思ったが。行事ごとは反抗期に卒業してしまった上、記念日だなんだと騒ぎたい恋人もいない口なので、どうにもそういったことに疎い。ハロウィンの近いことは漠然と知っていたが、いざ今日になると忘れていた。それならモンブランじゃなくてパンプキンプディングを買えばよかったと、ささやかな後悔の内容まで味気ないなと自分で思った。
「そうだよ?あんたって忘れっぽいわけ?」
「違うわよ。たまたまそれは忘れていただけ。はい」
「毎度」
全く失礼を言ってくれると思いながらも、大して嫌気が差すわけでもなく。若いと言われる部類ながら建前上大人である私と、その私より若干年齢も高く見える彼とがこんなくだらないやり合いをしているという事実が、むしろ何だか可笑しかった。
 二十円を払って、その悪戯とやらを買う。ちゃりんと音を立てた十円玉に、そういえば春先と全く服装が変わらないなと思う。何をしている人なのか知ったことではないが、それほど貧しいようには見えない。寒くないのかしらと思って訊いてみようかと思ったが、そういえば名前すら聞いたことがないとふと思って、一瞬躊躇ってしまってタイミングを逃した。
「さてと。じゃあ、またね」
「……は?」
「ああ、大丈夫。あんたの買った悪戯は、ちゃんと成功するはずだから」
「えっ、ちょっと待ってよ。まさかいつ来るか分からないの?今じゃなくて?」
「まあ、悪戯ってそういうものだからね。……ああでも」
そんな靄を抱えたこちらの真情など知る由もなしと言った様子で、彼はひょいと立ち上がってどこかへ去ろうとする。その言葉に慌てて引き止めて、思わず早口になった。いつどんなふうに襲い来るか分からない悪戯とやらに身構えて過ごさなくてはならないだなんて、そんなの勘弁してほしい。私はどうせ彼のことだから、この場でちゃらっと何かして終わり。そういうもので済ませてくれると、春の経験から一応信用して買ったというのに。
「荷物が多いね。傘が差せない」
「え?」
「もらってあげようか、それ」
それ、と。彼が意味ありげに指差したのはケーキの箱だ。上から目線にこの男は何を言っているんだという気持ちが勝って、思わず馬鹿にしたような、呆れたような笑いを漏らしてしまう。それでも彼はにまりと笑っているだけだった。
「結構。どうしてもっていうなら、考えてあげたかもしれないけど」
「……」
「トリック・アンド・トリートなんて、使い古された冗談だわ。どっちも手に入ることなんて、そうそうないと思わない?」
「そうかな?」
「そりゃ、そうでしょう。普通はね」
にやり、間違ったことは何も言っていないと思うのに、その笑みはやめてほしい。自分の言動に自信がなくなる。咄嗟に付け足した普通は、という言葉がやけに弱々しい声で響いたような気がして、思わず目を逸らした。
「……まあ、あんたがそう言うならそうかもしれないよ。どっちにしろ、俺はこれで当分食事に困んないし」
「たったの二十円よ?あ、だから貴方って細いんじゃないの」
「さあねぇ、考えたことないし」
「それ、痩せてる人の台詞だわ」
「ははは。ま、何にせよあんたも濡れないうちに帰るといいよ。もう間に合わないだろうけど」
「え?」
笑って与えられた忠告に、空を見上げる。降られるような天気ではなかったと思うのだが、そういえば先ほども傘が差せないだとかなんとか。天気予報が変わったのかな、と瞬きをして、言われてみれば朝よりも曇っているようないないような空に目を凝らした、その時だった。
「ッ!?」
がつんっ、と、何かがふいに降ってきたのは。額に直撃したそれの威力はなかなかのもので、一瞬の衝撃の後にじわじわと広がってくる痛みが生々しい。何かにぶつかった、いやぶつかられたというのだろうか、この場合。何が、と慌てて辺りを見回せば、それらしきものはすぐ足元にあった。きらきら光る銀色とオレンジ色のセロファンに包まれて、両脇をぎゅっと捻ったその形は。
「……飴……!?」
そして理解と同時に、空を見上げる。視界の中に無数の点が光って見えた。それらはすべて急激な速度でこちらへ向かって降下していて、あ、と声を上げる間もなく視界が金色やら紫色やらに変わる。
「い……っ、きゃあああああ!?」
がつんだのごつんだの、自分の身のあちこちからそんな音が聞こえた。ばらばらと大量の、飴が降ってくる。考える暇もなく逃げるように避けようとするが、それは不思議なほどに私の頭上を目がけて降ってきて、どうしようもない。はっと思い立って両手の荷物を必死に持ち替えながら、鞄の中の折り畳み傘を探した。その開かれた鞄の中にさえ、飴が入り込む。ころころと。
「な、何これ……っ」
何とか傘を広げ、けらけらと笑う声がしてそちらを向けば、彼が腹を抱えて笑っていた。こいつの仕業だ、と本能的には理解したものの、投げつけられているわけでもないので頭が追いつかない。飴は、確かに降ってきているのだ。主に私の真上から。
「っていうか!どうして貴方は平気なのよ…!」
「俺だけじゃない、あんただけが大変なんだよ」
「はあ?」
「ご愁傷様、んではぴはろ」
「……ちっとも可愛くないから」
「そうかね?結構夢があるだろ?」
飴は止め処なく傘を叩いて、ぼんぼんと跳ねた。歩こうにも食べ物だ、踏み潰してしまったらと思うと良心が痛んで、なかなか向こうへ行けない。そんなことお構い無しに、彼は器用に飴を避けて傍へやってくると、それこそ悪戯が成功した子供のような顔をして、言った。
「トリック・アンド・トリート。人の話はもうちょっと聞くものだぜ?」
「……!」
「それじゃあね、十月馬鹿のお嬢さん。ワルイコになれる日に、また会おうよ」
ひらひらと手を振って、去って行く。思い出したように十円玉を口に放り込んで、またポケットに手を突っ込んだ後ろ姿を見ながら思う。まったく本当に、出会ったのが運の尽き。どこまで揚げ足を取って転ばせて、厄介な人だろう。一連の混乱で、すっかり振り回してしまったモンブランの箱をじとりと見下ろす。きっとこれがこの店の売りなんですと言われた、チョコレートの繊細な飾りが取れた。どうしてくれよう。
  摩訶不思議だとか奇想天外だとか、生きていく上で必要だとは思えない。それなのに糸は意思に反して一度絡まると解けないもので、どこからともなく忍び寄った運命の戯れに操られるがまま。
「……ほんと、あり得ない……」
見上げた傘の上には今も、ばらばらと飴が降っては跳ねる。この飴はいつまで、止まないのだろう。とうに見えなくなった背中を思い出して、心の中で毒づきながら傘を逆さに持って飴を受け止めることにした。こつんと、頭にオレンジ色と紫色で飾られた大粒の飴がぶつかる。まったくもって本当に、とんだ悪戯に引っかかったものだ。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -