融人(♭)

 佐伯理人は私のことが嫌いだ。それは今さら言われるまでもなく理解しているし、悔しいと思ったこともない。私も彼を良く思ってなどいないし、また彼にとってもそれは当たり前のことなのだ。私達は相容れない。
「気味の悪い女だよ、お前」
柔らかな茶色い猫毛を木洩れ日に晒して、ひどくゆったりとした声で彼は言った。飾り気の強い幅広なフレームの眼鏡は、日本人にしては茶色がかった目をくるりと囲って印象づけ、彼という人間にチャームポイントを増やす。綺麗な人だ。昨晩の雨で土をつけて湿る大木の幹に、追い込むように背中を押しつけられながら、私はそんなことを考えていた。向こうを見せてくれない細身の体、嫌そうに木へついた白い腕、そこに巻きつく銀の時計。綺麗な人だ。いっそくだらないほどに、可もなく不可もなく美しい。
「失礼ね」
「今さらだろう?……気味が悪い」
「どこが?」
「どこもかしこも、だよ」
薄い唇で息をつくように嘲笑して、彼は片手で私の髪を結ぶゴムをほどいた。ばらりと落ちたそれを一束掬って、わざとらしくゆっくりと首に巻きつける。このまま絞められたらどうなるか、少しだけ想像した。それはとても容易くて、けれど私に経験したことはない。
「生まれてきたそのままです、って感じで、苛つく」
笑う茶色い目の中に、私の黒い目が見える。髪と同じ、烏のような黒。白磁の肌によく似合うと、誉めてくれたのは誰だったろうか。目の前の空気を濁らせる甘い香水の匂いが吐き気を誘って、思い出せない。
「生まれてきたそのまま、飾らない、手をかけない。何も弄らなくて努力なんてしなくて、それでも自分は平気です、みたいな顔してさ」
「……」
「何?お前、自惚れてんの?自分は飾らなくても綺麗だとか、そういう考え?」
整髪料の匂いと、昨晩の雨の匂いが混ざる。少し離れてほしいと言おうとして、無意識に伸ばしかけた手を、きつく掴まれた。爪の跡が残るのは勘弁してほしい。これでも肌に傷がついたくらいは、気にする年頃なのだ。
「馬鹿にするなよ。俺が一体どれだけ努力して、俺になったと思ってる?時間も金も削って、全部、全部費やしてきたのに」
日を弾いて光るピアスが目に痛い。そんなところに穴なんて空いているから、空気が抜けているのではなかろうか。酸素が足りないのだ、きっと。だからそんな、苦しそうな顔をするのだろう。
「気味が悪い。―――お前だけが昔と同じ、まっさらなままだなんて」
がん、と幹が殴られて、数枚の枯れた葉が落ちた。ああまた、その手に傷を作る気なのか。私などに楯突いて結局一人で傷を負って、何をしたいのか。私には分からない。彼は、綺麗な人だ。それでいいだろうに。
「……あなたが私を不気味に思うなら、それはきっとあなたが味気ないからよ」
「……」
「綺麗な人。水みたいに綺麗な人になったのね、理人。何が不満なの?」
目の前の面差しが、白昼夢のように揺らぐ。ああ、思い出した。彼だ。私の髪を、目を、姿を、美しいと笑ってくれたのは。あれは、幼い日の彼だった。まだこんなに顔を継ぎ接ぎする前の、生まれてきたそのままの。
「……苛つく女。本当は分かってるだろう」
「当たり前じゃない」
「根性悪いよ、本当」
自分がほどいた私の髪を鬱陶しそうに眺めて、彼は笑う。物語の王子のような顔で、目だけは複雑な切なさを孕んで。その頬に一瞬、昔の笑窪を見た気がしたけれど、そんなはずはない。ここにいるのはもう、かつて川辺を駆けて遊んだ理人ではないのだ。私の隣にいることをからかわれて逃げ出したあの日から、彼は変わってしまった。急激に。
「あなたほどじゃ、ないわ」
私の隣にいることを止めて、同じ色の髪を止めて。日に焼けた肌を戻して、胸焼けのするような甘い香りを纏って。そうして彼は変わってしまった。幾重にも纏っていた友情だ絆だ思い出だ、そんなものはすべて、彼の鼓動に合わせて捨てられたのだ。残されたのは私と、私に対する彼の根本的な思いだけ。
「……意地の悪い女」
「当たり前じゃない。だって私は」
それだけだ。私達に残っているのは。ひやりとした金属の感触。伸ばされた左腕に絡みつく、銀色が目に凍みる。
「あなたと違って、飾り気ないもの」
額の奥がきんと眩んで、ゆるく目蓋を下ろした。苦しげに呼吸と言葉を遣り繰りする唇が、下りてくるのを感じる。私はそれを迷うこともなく、目を閉じて待った。
「……訂正だ、気味じゃなくて気分が悪い」
ひどくゆったりとした声で、彼は言う。私もだ。口にしたかった言葉は薄い唇に飲まれて、彼の息を繋ぐ枷にしかならなかった。
 佐伯理人は私のことが嫌いだ。それは今さら言われるまでもなく理解しているし、悔しいと思ったこともない。私も彼を良く思ってなどいないし、また彼にとってもそれは当たり前のことなのだ。私達は相容れない。少なくとも、友人としては。

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