「ーーーーもう嫌っ!」
頬杖をつくあたしの前で、あかねが勢い良く机を叩いた。それを一頻り横目で見て、また視線をTVへ戻す。今日もつまんない番組ばっかりだわ、と煎餅を片手にTVのリモコンをとった。
「なんであたしが、アイツのラブレター渡さなきゃいけないのよ!自分で直接受け取りなさいよ!なんであたし経由なのよ!」
今日も我が妹は大変ご立腹なようで。触らぬ神になんとやら、知らん顔が一番良し。
晩御飯はなんだっけ。ああ、そうか、肉じゃが作るってかすみお姉ちゃん言ってたっけ。そのパシリに居候が買い出しに出かけてたっけ、お腹空いたなあ、そんなことをぼんやり考えているあたしに、鼻息を荒げたあかねは顔を赤くして金切声をあげる。
「そもそも何が許嫁よ!なんでアイツの尻拭いが全部あたしなの?ラブレターなんかーーー」
「あんたが誰彼構わず、『許嫁なんて親が勝手に決めたことで』って他人事みたいに言いまくってるからでしょ」
そんなの自業自得よ。何よ、ラブレターくらい、渡してやりゃあいいじゃない。あたしが渡してあげようか、もちろんタダとは言わないけどね。
もう五月蝿いから、そう言って目も見ず掌をヒラヒラ差し出した。勿論、火に油なのは百も承知。案の定、見るまでも無く彼女の熱が上がったのが熱気でわかった。
ああ、もう、だから面倒臭い。
「お姉ちゃんには解らないのよっ!あたしがどれだけ苦労してるかなんて。許嫁なんて名前ばっかりよ!」
好きで許嫁なんじゃないのよ。お父さん達が勝手に決めたんじゃない。お姉ちゃん達が勝手にあたしに押し付けたんじゃない。あたしはあれだけ、嫌だって言ったのに。
TVの音が聞こえやしない。耳障りな愚痴だけが部屋の中で木霊する。夕暮れの外は、鈴虫の鳴声だけで涼やかなのに。
あたしは苛立ったように煎餅を一噛りした。
「ーーー要らないなら、あげれば?」
あかねを見据えて、そう言った。
そうよ、必要ないならあげればいいじゃない。邪魔なら捨てればいいのよ。
あかねが、あたしの言葉に言葉を詰まらせたのが、よくわかった。本当に夏が終わった涼しげな夕方だった。西の向こうの空だけが、まだほんのりと茜色だった。
急に止まった文句の雨と、困惑したような彼女の表情に、あたしは意地悪く笑った。
「あんたが要らないもの、どれだけの人が欲しいと思う?どれだけの人間が、羨んでると思う?不要なものなら捨てなさいよ。本当に必要な人が拾うから。」
なんなら、あたしが貰おうか。
私の方が、よっぽど有効活用してあげれるし大事にしてあげる。あたしなら、まずラブレターなんか渡されないように予防線を張れるけど。わかるでしょ?あんたはね、人のせいにして逃げてるの。自分で自分の首を絞めてるのに気づいてるのに、文句だけ言って全部相手のせい。
ねえ、頂戴よ。
我ながらよくもまあ、ここまでの嫌味をすらすら言えるもんだと感服した。あかねが少し涙目になって、口を震わせてるのがわかった。意地悪なのは誰よりあたしがわかってる。あかねが彼を好きなのも、近くで見てきた、あたしが一番わかってる。
「〜〜……っ、モノじゃないもん」
「そうね。わかってる。でも要らないんでしょ?手放せば楽になるかもよ」
「……凄く意地悪ね」
それはもう、本当は全部わかってるクセに、とでも言いたげな苦笑だった。目を伏せたあかねが、軽く唇を噛んだ。
ええ、そりゃあもう、わかってるわよ。
あたしが意地悪なのも、あんたの気持ちも。だってあんたが生まれた時から一緒なんだもん。嫌でもわかるわよ。あたしはお姉ちゃんで、あかねはあたしの妹なのよ。当たり前でしょう。
静けさを取り戻した部屋に、今度はTVの雑音だけが煩わしく響いた。
「……意地悪ついでに言っておくけど、乱馬くんが、あんたの許嫁じゃないなんて言ったこと、あたしは一度も聞いたことないけどね」
賢いあかねは、当たり前のことを当たり前に理解していた。その言葉に、何か気づくと同時に少しバツの悪そうな顔をして、あたしもそんなの聞いたこと無いや、と眉を下げふにゃと笑った。泣き出すかと思う程、目を赤くして。
ごめんなさい、乱馬には言わないで。
その表情が幼かった彼女を連想させた。
そういや、乱馬くん、買い物に行ったらしいんだけど、お姉ちゃん人参頼むの忘れたって言ってたっけ。人参の無い肉じゃがなんて、ジャガイモの無いカレーと一緒だわね。あたしはそんな肉じゃが嫌だなあ。
「ね、あかねはそう思わない?」
「……はいはい。もう、あたしが行ってきますよっと」
「さっすがあ!」
少し、嫌がる素振りを見せて、しょうがないなあと支度する妹が、なんだかとても天邪鬼に見えて、微笑ましい。そして、あたしはまたつまらないTVへと目を向ける。
思ったことを思った通りに言える人間なんて、限られてるもの。あたしは思ったことを我慢して我慢して、正反対のこと言っちゃうような人間のほうが、意地らしくて好きなのよ。そのほうが、人間臭くていいじゃない。
少し経ったら、いってきますの声とガラス戸の開け閉めの音が聞こえて、あたしは口に煎餅をほうばりながら、ひってらっさいと小さく言った。
ーーーー………****
「なびき、あかねにあんまり意地悪しちゃダメじゃない」
「あら、嫌ぁね、お姉ちゃん。盗み聞きなんて趣味悪いわよ」
エプロン姿の姉が、心配そうな表情をして顔を覗き込ませた。
大丈夫よ、お姉ちゃん。
昔からあかねはそうだった。意地っ張りで素直じゃなくて、どこか頼りないのに頼もしくて。よく泣いて、あたしの後ろを付いてきて、邪険にしては不貞腐れたご機嫌ナナメなお姫様を宥めてたっけ。昔からそう、我儘だけど可愛らしい自慢の妹。
口に出したことはない。それは私の性格上の問題だけれど。言わなければ伝わらないこともあるけれど、言わなくても伝わることも沢山あるのよ。
『あかねには、幸せになって欲しいのよ』
そんなクッサイ台詞あたしは一生言ってやらない。言わなくてもいいの。唯一無二の私の妹なんだから。
end.