「なあ、父ちゃん。まどんなって何?」
「あん?」
「良牙が言ってた。かーちゃんは昔、″まどんな″だったって」
男を″てだま″に取ってたってあいつ言ってた。それって悪口?でもあいつ、いっつもかーちゃんと喋る時デレデレしてやんの。父ちゃんも結構デレデレしてるけど。
4歳児のがきんちょが、頭の上にはてなマークを浮かべながら大層なことを口にして、俺は苦笑する。我が息子ながら、よく俺に似てると思った。
「良牙じゃねーだろお?せめて良牙おじさんと呼べ。それに俺はかーちゃんにデレデレはしてない」
「え〜?してるよ。保育園の先生も隣のおじさんもみーんな、かーちゃんにデレデレしてるよ」
「え!?そうなのか?そりゃあみんな、かーちゃんの本性知らねーからだな。」
男のサガってーのは本当しょーもないもんで、美人を見れば目で追うし、胸がデカけりゃ鼻の下を伸ばすもん。自分で言うのもなんだが、俺の嫁は確かに子持ちにゃ見えねーし外面良ければ美人の類に入る。唯一料理だけが、未だにあまり上手くないのが難点だけど。そりゃ男だったらデレデレもするわな、なんて他人事のように思ってみるけど内心心臓バクバクしてるなんて死んでも言わねえ。
「……まあ、あいつは昔はそりゃあうざってーくらい男が寄ってきてたんだよなあ」
「かーちゃん美人だもんなあ。怒るとすげえ怖いけど。良牙も昔好きだったんだろお?よく父ちゃんはかーちゃんをゲットしたね。かーちゃんは″ものずき″ってー奴だったんだね」
「てめー、こんにゃろう」
まあ口が達者なことで、俺に似て、よく憎まれ口を叩くもんだから、2人してあかねに怒られることもしばしば。
保育園に迎えに行けば、大体初対面の人間でも俺がコイツの父親だって瞬時に理解される。ある意味ありがたいけど、たまに複雑。例えば今のこの会話とか。
「言っとくけどなあ、父ちゃんこれでもモテたんだぞ?今でこそかーちゃんの尻に敷かれてるけどな?」
「ふぅん。まあ父ちゃんカッケーもんな!俺に似て!」
「ばっか、おめーが俺に似たんだよ!」
へへへ、と屈託の無い笑みで笑う息子が何とも愛らしくて、両頬を引っ張ってやった。そりゃあもうブニブニと柔らかく伸びることといったら。
こいつもその内大きくなったら彼女とか連れて来ちゃうんだろーなあ。俺とあかねの息子だから、そりゃあモテることだろう。あとは性格が歪まないことだけを祈る。
「お前は?今好きな子とかいねーの?同じ組の子とか」
「いるよー!あかりちゃん!いっつもお菓子くれたりすんの!優しいしいい匂いするし可愛いんだぜ。オトナのみりょくって奴」
「へー、あかりちゃんって言うのかあ。おめーも中々ませてんじゃねーか……って、え?ちょっとまて。それって、良牙の嫁さん、じゃねーよな?」
いやあ、まさかな。たかが4歳児があかねとあんまり歳の変わらない子を好きになるなんてこたーねぇか。しょんべんクセーガキには、やっぱり同じ位の女の子がいいと思うよ、うん俺はね。
すると、俺に素晴らしい笑顔を見せて、急にたどたどしく仁王立ちをしだした息子が、気持ちいいくらい清々しくその通りだと返事をした。
「あのなあ、あかりちゃんはもう結婚してるからダメなの。良牙のものなの、わかるか?」
「なんで?俺もあかりちゃんと結婚する!俺知ってる。″じゅうこん″すればいいんだって!父ちゃんは知らないと思うけど、あかりちゃんの作るケーキ本当美味しんだぜ」
「……どこでそんな難しい言葉覚えてくるんだよ。それに今の日本じゃそーゆー制度はねーからだなあ…」
子供の成長ってのは本当恐ろしい。俺の頭がついていかないくらい、毎日毎日凄まじいスピードでものを吸収していく。毎日色んなことが、刺激的なんだろうな。それが俺にも新しい発見をくれる。多分ずぅっとこいつを見てても飽きないんだろう。
不意に吹き出して、俺は笑った。それを横目に、息子がバカにされたと思って頬を膨らましたのが、さらに俺を笑わせた。
いつまでこうやって俺と馬鹿な話してくれるんだろうなあ、と急に寂しくも思えた。
「はー、笑った笑った。よっしゃ。かーちゃん呼んで公園でも行くか!サッカーするぞ。ボール持ってけ」
「むぅ。父ちゃん俺のこと笑うから嫌。」
「あかりちゃんも呼ぼーかなあ?」
「行くー!」
そう言って慌ただしくドタバタと、準備を始めた息子を可愛く思いながら、それを横目に笑いを堪えた。本当可愛いなこんちくしょー。
そうして俺は、台所に立つ嫁のところへそそくさと向かう。台所に近づくにつれ、思ったのは、食材を切る音だけは昔と随分変わったってこと。俺もそれだけ歳を取ったってことかな。
キッチンに立つ彼女の後ろ姿だけは、とても様になっていて、その立ち姿に見惚れて、ふと我に返り急にそんな自分に恥ずかしくなった。あかねは髪が伸びた。綺麗になった。もう高校生の時のあどけなさは無くなって、大人の色気ってーもんを持つようになった。
正直あの頃より、今の俺の方が危機感持ってるかもしれない。そのくらい、俺に余裕がなくなるくらい綺麗になった。だからさっきの息子の話は、4歳児といえど正直気分が良いものではなかった。
「そこの奥さん、お出かけしましょうか」
包丁を持つあかねの肩に後ろから手を回し、覆い被さるように抱き締めると、驚いたあかねが「危ないじゃない」と穏やかな声で俺を叱責する。
「なんかさあ、早乙女さん家の奥さんは、昔マドンナだったそうで」
「へえ?」
「保育園の先生も隣のおじさんも、はたまた良牙クンですらデレデレなんだってさ」
「まあ、そうなの?それはそれは、さぞ素敵な奥さんなんでしょうね」
俺の話を受け流しながら、作業をする手を止めないあかねの髪を指でクルクル絡めながら、俺はふん、と鼻を鳴らした。そして、あかねの匂いに酔いしれて首元にすり寄った。危ないからあっちへ言って、と如何にも邪魔そうに俺を邪険にするもんだから少しふて腐れるフリをする。
「昔はガサツで乱暴で、ズボラだったのになあ。それに俺も割とモテた方だった」
「はいはい。早乙女さん家の旦那さんは、男前で有名だそうですからねえ。そーゆーあんたは私に喧嘩売ってるの?」
包丁を置いたあかねが、少し怒ったように、邪魔だって言ってるのにと俺の方を向く。そのエプロン姿が堪らなく幸せだと思えた。
俺の嫁は、昔も今も変わらず俺の好きな女だと思えた。
「もう台所立つ時はーーーー…」
ちゅ。
よくわからないけれど、どこかで俺のスイッチが入ったんだろう。気付いたら腕の中にすっぽり抑えて抱き寄せて唇を重ねていた。
はじめの内は、いやいやと少し抵抗していたあかねも、何度も何度も重ねる唇に、いつしか抵抗しなくなって、俺の首に手を回すようになっていた。鼻を掠めるシャンプーの香りだけは昔と変わらず、気持ちを昂らせた。少し伸びた背も、長くなった髪も、大人びた表情も、全て愛おしいと思えた。きっと彼女もそうだろう。
変わったものは沢山ある。変わらないものは本当に僅かだけで、それを懐かしむのも好きだけれど、これからのことを想像するのも悪くない。割とこいつと一緒に変わってきたもので、嫌なことはないかな。息子もしかり。なんだかんだで、幸せもん。
これから先もそうやって、同じもんを同じよーに分け合って、色んなものを共有して、ああ、俺の人生悪くなかったなって死んで行けたらそれで最高。あ、ちなみに俺は絶対お前より先には死なないからな。これは誓うよ、生涯ずっと。
END.