あいつが消える夢をみた。あるときは真冬の凍った湖の上で、あるときは夜の水族館で、あるときは白いアパートの屋上で。あいつは消えていく。
真っ白な息を吐き出しながら「寒いね」「そうだな」とかたわいもない会話をして立つ氷は本来の湖ではなくスケートリンクのようだった。耳が冷たいと悲鳴を上げるのを無視しながらそういえば渡すものがあったと分厚い防寒具のポケットを漁りながら目の前の人物を見た。あいつはあまりにも静かに儚く笑っていたから、いなくなってしまうんじゃないかと怖くなって腕を掴もうとした、はずだったのに。まるで元から雪でしたとでも言うように風に溶けて消えた。取り出したラッキーアイテムの赤い林檎が手の上から転がり落ちて歪んでいく。真冬の湖には俺しかいない。雪も紅葉も美しく見えなかった。
誰もいない夜の水族館で、冷たい床に転がって小さな海を二人で見つめた。電気は海にしか灯っていない。沖縄の海を再現したらしき海は絵の具では表現できない世界を作っていて、本当にそこに硝子があるのか確かめたくなった俺は一人立ち上がり境界線に触れた。しかし境界線なんてそこにはなかった。本来体重を預けるはずの透明な壁はどこかに消えて俺の体は傾いていき、そしていつの間にか海の中にいた。どういうことだ、と周りを見渡すと海底へ沈んでいくあいつの姿が見えた。本能で腕を伸ばしても手は届かなかった。あいつは真っ暗な海の底へと沈むように消えた。
世界遺産に認定されていそうな人が住んでいるようには見えない白い町で、頭一つでたアパートの屋上に俺はいた。そこはコンクリートさえも白く塗りつぶされていて俺以外誰もいなかった。いやきっとあいつがいたのだろう、気持ち悪い虚無感を感じた。今日の夢はあいつが消えてからの世界。耳の中にはあいつが好きだった曲のギターとドラムの音が残っている。この曲はいつかピアノで弾いてやると約束していた曲だ。約束を守れなくてすまないと唇を噛みしめていると突然町の電柱に取り付けられたスピーカーが声を放つ。あいつの声だ。「もう眠っていいよ、こんな夢なんて見なくていいよ、もう俺はいないんだから」その声は町にエコーしては空気に溶け込む。
もちろん目が覚めた世界には高尾和成という人間はちゃんと存在している。ただ俺が毎晩のように変な夢を見ているだけだ。でも夢を見るたびに俺の心は削られるけれどあいつへの想いは増えていく。――今日はいつもより優しくしてやろう、と昨日と同じ約束を立てて、TVの電源を入れた。
鍵盤消失
「なあに真ちゃん」
その声が、幸福。
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