その日はちょうど兄さんと金剛さんがデートでいない日だった。いつも兄さんに置いて行かれる僕に対して同情したのかもしれないが、榛名さんと霧島さんが僕を外へと連れ出してくれた。別に外へ出歩くことが嫌いなわけではない。ただ読みたい本がたくさんありすぎてつい部屋に籠りがちになってしまうのだ。二人もかなりの量の本を読むと聞く。それならば話が合うのではないかと――兄さんと話すと大抵が恋人との惚気話のため、少々疲れるというのが実のところの本音である――快く提案を受け入れたのである。しかしそんないつもと違う一日が一変しまったのは、伊勢さん日向さんほどではないけれどなんだかんだ甘いものを好む霧島さんの案内で甘味屋さんへと行こうとしていた時のことだった。
この時期の刺すような陽光は季節の象徴だともいえるが、時に人の心身を蝕む。扶桑姉や山城姉のように体が弱いわけでもない人でも油断ができない、そんな季節。それの被害を受けたのは、このメンバーの中では一番元気であろう人物だった。影が地面を黒く染めるが、左側の影がふらり、傾いていく。

「え…?」

あっという間の出来事だった。碧と目があった。けれどそれはそのまま熱を吸い取った地面へと崩れ落ちていく。身体が動かない。先ほどまで笑顔で「あそこのあんみつはおいしいんだ」と呟いていた彼の髪さえも地面に着いたとき、右側の声でやっと正気を取り戻したのである。

「はる、な…あ、あ…うわあああああ!!」

この人もこんな大声を出せるんだという場違いな思想が、脳の回転を取り戻してくれた。このままでは危ない。船自身には恐らく影響はないだろうけども、人の形をした僕らが死に至った場合どうなるかなんて誰も知らないしその後にいても知りたくはない。だから早く手当をしなくては。頭ではそう思っていても今の僕にはそれを行う手段など持ってはいない。こういうことは金剛さんや比叡さんが得意であるが、金剛さんはともかく比叡さんもちょうど扶桑姉と出かけてしまっている。ここ長らくの間雨ばかりが続いていたので今日みたいな日は絶好のお出かけ日和だからだろう。では他に、と思いついたのは恐らく屋内で涼んでいるだろう弟分のことだった。しかし連絡を取る方法なんてここにはない。周辺の家の電話を借りたい所だが、見事に家は見当たらない。海の見える丘に走る道も草木のみ、という隠れ家に案内してくれたことが返って不便な結果を招いた。

「霧島さん、僕にはここらに何があるか分かりません。貴方にならここ一帯の土地勘もあるだろうし電話を借りてくれませんか?」
「はるな、はるな…」

いつも静かに物事を見守っているような人物がここまでパニックに陥ってしまうとは。けれどこのままではいられない、ともう一度声をかけた。

「落ち着いてください霧島さん、大和を呼んで下さい!」
「ああああああああ、はるなが、あ、あ…」
「いい加減にしてください!貴方が正気を失ってどうするんですか!そんなんじゃ助かるものも助かりません!」

本当に落ち着くべきなのは僕だったのかもしれない。――大声と共に思わず手が出てしまった。発砲音に似たそれは三人しかいないこの場に響く。感情のままに右手を真っ白な頬へと打ち付けてしまったのだ。痛みは相打ちに、僕の掌へとも伝わってくる。そしてそれから数秒経って、僕は何をやらかしたんだ、と後悔の渦に引き込まれていった。しかし未だ大粒の汗が体から吹き出ている榛名さんを助けるにはこうしかなかったのだ、と言い訳をしてみてもそれから逃れることはできなかった。夏だと言うのに、どこか涼しく感じてしまうのは、きっと気のせいじゃない。

「っ、あ…俺は…」
「僕にはここらの土地勘が残念ながらありません。一番近い家で大和を呼んで頂けませんか?」

ようやく正気を取り戻した霧島さんは一度倒れた片割れを見やり、静かに頷いた。立ち上がり遠くへ消えていく彼の姿はいつもより幼く見える。未だ僕の呼吸は荒いまま、心臓も大きく音を立てながら速く血液を全身に送っていく。恐る恐る右手を裏返してみると、そこは熱と赤みを持っていて、先ほどの自分の行動が嘘じゃないと証明していた。夏の暑さは僕の頭さえ支配していたのかもしれない。

夏の悪魔