隣であの子が泣き出した。理由なんて僕はあの子でもあの子の親類でもないから分かりこっちゃない。ただ叫びそうな気持ちをすべて吐き出さずに抱え込むように泣いているということが分かるだけ。でも演技にはまったく見えない――そもそも演技でもないが――ほど感情を込めて泣いているとは分かる。どう声をかけようか。彼女は見たことある子だったから、話したこともたぶん1回はあるはずだから。放っておけないんだ。痞えるように泣いていた声がいつの間にか漏れてきている。声が感情がぼろぼろと涙とともに零れ落ちている。いったい誰が、何が彼女を泣かせているのだろうか。こんな、まだ大人の汚さも知らなそうな子に。彼女の想いが色や言葉になって涙に現れてしまいそうなのに。
「…大、丈夫?」
本当は放っておくのが最善策なんだろうけど、困っている人を見て助けないなんて選択肢がない僕には無理だった。それでも彼女はこちらを向かない。ただ零れ落ちる涙と戦っている。湿った呼吸音が、ふと聞こえる。でもうまく言葉にできないのか、それともうまく声が出せないのか、分からないけど返事は返ってこない。けれど僕はもう一度質問を繰り返すことはしない。それを行うことは彼女への傷になることは知っているから。攻めてしまわぬように。むしろ答えを要求せずに。ただ彼女の自問自答への手助けとなるように、彼女の今の状態を少しでも助けられるように薬のようにじっくりと彼女の中へ染みわたるように。またもやつっかかりそうになりながら声を出す。
「…いないの、どこにもいないの」 「そう、どこにもいないの」
ちゃんと君の話を聞いているよと言葉を繰り返す。
「でもね、どこにもいないの知ってたの」
ああこれはもしかして、最近の女子高生たちの綴るありふれた文章のような展開だろうか。苦笑いを仮面の奥にしまいながら今の表情を続ける。いつの間にか、彼女は泣き止んでいた。真っ直ぐと彼女と僕の視線がかち合う。それを遮るものは何一つない状況だ。
「カナダに行っちゃったの、れーくん」 「カナダ、」 「うん、とても遠いところ」
思ってもしなかった答えに仮面は割れる。ただ驚きの感情がそのまま表情へとつながっていった。れーくんとやらはカナダに引っ越してしまったのだろうか。どこにもいないということは欠片がほぼ何もない、というわけだから。達観したかのように彼女は笑う。僕より大人っぽい表情しやがって、本心は無意識の海に放り投げてやる。
「れーくんは、れーくんの好きな子と結婚するの」 「結婚?」 「そう、この国じゃできないから」
彼女のもう湿らない声からは予想もしない言葉が溢れてくる。さぁそろそろいいんじゃないか。何で泣いていたのなんて質問はせずに彼女の話しを繰り返しながら脳内で組み立てる。れーくんは彼女の兄、彼は男性と結婚するためにカナダへ行ったようだ。彼女が泣いていたのは、その同性間での結婚への戸惑いからだったらしい。彼女は全部語りきったあとにすっきりした顔で言う。
「ありがとう、ぱぱ」
美しき盲人
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