柔らかな泡が指先に優しい。髪をほぐすように、頭皮をマッサージするように泡を散らばせば春の香りが広がった。しかしもう季節はアスファルトが人を殺す頃へと変わっている。ああ、季節ごとにシャンプーの匂いって変わらないかなあなんて無理すぎる欲求を脳で処理しながら手を動かす。
最近は太陽光の所為で髪が少なからずとも痛んでいた。毛先なんて日焼け止めを塗ったみたいにごわごわとなっている。いっそ髪の毛をショートにしてしまおうか。それとも毎日帽子被ろうか。その選択肢は考える時間もなしに1つに決まった。そうだ、髪を切ろう。いっそのこと染めてしまおう。
何故帽子をかぶるという、安上がりでなおかつ健康にもいい選択肢が消えたか。それは中学校のこと。母校の体育祭のメインは最上級生による騎馬戦だった。中学校という義務教育、そして海外のように飛び級留年がない日本では最上級生になることは免れることのできないこと
そのときの自分も最上級生であった。つまり騎馬戦には強制参加させられる。未だに変わらない位の低身長だった自分には騎馬なんて役職につけるはずがなく、一番面倒くさい騎手になった。騎手は本来であったら兜を被らなくてはならないが、現代は21世紀。そんなものが世に流通しているはずがない。
それに私立でもない公立中学のように金のないところには帽子で代用するしかすべがなかった。せめて鉢巻だったどれだけいいものか。だが鉢巻はこちらも最上級生絶対参加のソーラン節を踊るために学年統一カラーで鉢巻を作ってしまった所為で色別の鉢巻を作るときにいろいろと問題事が起きてしまったのだ
わが母校は俗に言うマンモス校というもので、クラス数も人学年7クラスもあったが故に紅組白組なんて分け方ができなかったのだ。おかげさまで赤、白、青、緑、黄、黒、金という色別対抗になったのだが、例のソーラン節の鉢巻が奇抜な緑色だった。せめて青色だったらそれなにお洒落でよかったかもだが。
騎馬戦ももちろん色別対抗で、それぞれがそれぞれの色の鉢巻を吐ける予定だったが緑色のクラスだけソーラン節と同じ鉢巻が使えて費用の違いだ出るだのなんだの傍迷惑なPTAの指摘により帽子使用の騎馬戦となったのだ。体育祭前の体育の時間では体育祭の練習を行った。夏の日差しの残る暑い中。
騎手は帽子を被れ、という無駄に張り切った体育教師の命令により嫌々ながらも帽子をかぶると、騎馬のうちの1人が笑い始める。何かタグでも切り忘れたか。真っ白の帽子の位置を整えながら様子を見ると帽子よりも自分の顔全体を見て笑っていた。大変失礼である。しかし私には理由が分からない
嫌でも気になる理由を聞いてみると、彼女の口からその後、現在に至るまでの自分の人生に多大なる影響を与える言葉が出てきたのだ。

「…お前、帽子被ると農家の人みたい」

当時、その言葉を聞いて怒りを通りすぎて呆れたのを覚えている。今でも帽子はトラウマだ。麦わら帽子なんてもってのほか。
髪を伸ばすのはこの季節の日差しが収まってからにしようと、いつもより水温の低いシャワーで髪の汚れや汗を落とすという役目を働いてくれたシャンプーを流す。本当はトリートメントでダメ―ジ修復ができればよかったのだが、今までの経験上成果が出たことがない。財布の中身を考えて、ため息を吐いた。

紫外線が、敵?