目は宝石みたいだ、と昔読んだ何かの本に書かれていたのを覚えている。空のような水色からはちみつのような金色、そして何もかも吸い込んでしまいそうな黒。その黒い瞳を見るといつも「いっそ吸い込まれてしまいたい」と思うようになっていた。だから、仕方がなかったことなのかもしれない。
ちょうど親戚の家に遊びにいったときのものだった。前々から確かに不思議に思っていたのは覚えている。畳に炬燵、その上にはいるも急須が置いてある部屋。そこに飾られている油彩画。真っ黒な瞳に真っ白な髪を持った女神が、天秤を今にも掴もうと腕を伸ばしている絵。それは確かに美しいものだった。
それに似た絵は星座の本で見たことがあった。確か天秤座だっただろうか。審判をする女神が人々に呆れて元の世界へ帰っていってしまう話だったはず、だ。その話の挿絵として書かれたそれはむしろ天秤を掴もうとしているのではなく、持って今にも帰ろうとしていた気がする。だからそれとこれは違うもの。
でもこの絵を見るたびに思い出すそのお話。毎回のように「この絵はなんの絵?」と親戚に聞こうとして帰るころには脳内から無意識の奥へと押し込まれてしまっていた。だからそれを覚えている今日こそがチャンスだ。

「ねぇ、おじさん」

振り向いた先には誰もいなく、部屋の入口さえ存在していなかった。
声すら出なかった。部屋と廊下をつないでいるはずの入口はまるで「元から壁でしたよ」と言わんばかりにまっさらなまま。この部屋から出ることができないその恐怖に足が動かない。足と床は別物だ。それが分かっていても足は動かない。せめて床とくっついているのが靴下だけならばと、もう一度足を見た。
探しに行かなくてはならないのだ。一瞬のうちに消えた叔父や父を。早く、足よ動け、神様動かしてください。祈っても意味がないと分かっているのに祈ってしまう人間の他力本願。額から頬を伝ってきた汗が床に落ちた。瞬間部屋中がスピーカーにでもなったかのように音が、声が響く。

「少年よ、何を悩む」

脳で感じる声なんてよく小説で読むけれど、これはまさにそれに対となる全身で感じる声だった。音が伝わる。太鼓の皮になったような気分。振動が強すぎて痛い。

「再度聞こう、何を悩む」

耳が痛い。自然と涙が出てくる。

「再度…」
「もう、静かにして」

唾液すら飲み込めないほどの恐怖はそこで終わった。


白いドレスの裾