知らせを聞いた。心の奥底まで刺さるようなそれはきっと治らぬ傷を作ったのだろう。胸の名称の分からぬどこかが痛い。じわりじわりと染みていく感覚に反して涙は出なかった。


涙の海の味


俺の片割れでありながら最愛の人物、といっても良いのだろうか船のほうが正しいのだろうか、そんな彼が海の奥底へ旅立ったと聞いた。ほんの少し前には兄である比叡がと聞いたのに今度は彼までも。比叡の話を聞いてせめて彼だけでも助かってくれと思っていた。けれどそれは叶わぬ願いとなってしまった。それでも涙は出ない。


「――、」


―さんのための行動をしていた彼はいつも儚げで美しかった。無論、自己愛なんかではない。ただその方にも言われたくらいそっくりな俺たちではあったが、――の方が心から何からみんな美しかった気がする。少し変におちゃめな所もあった。たまたまもらってきた茶菓子にいろいろな花の刻印がされたものがあったときは、いつもそんなものには別に興味なさそうな彼なのに真っ先に選ぶのだ。“菊”のものを。だから俺はそのうれしそうな姿を見て自分までもうれしくなっていた。でもその姿はもう見れない。


「―、―――…っ」


目を閉じればその姿がいつでも思い出せる。片割れである自分にも何を考えているか分からない表情。それでも自分たちを仕切る―さんだけを見つめている瞳、静かにけれどはっきりとした意思を伝える口、ふと吐き出される空気の音さえも愛おしかった彼を見て、自分がこんな美しいひとの片割れでいいのかと何回も思った。でもその度に何度も何度も自分の名前を呼んで泣いてるときには抱きしめて笑ったときは目を合わせて大事なことがあったときは手を握り合って。それは俺だけではなく、――が同じ状況になったときもそうする、交わした覚えすらない約束だった。


「…大丈夫か?」
「金剛…」


ふと視界が暗くなる。見上げればそこにいたのは我らが長男金剛だった。きっと金剛のところにも知らせがきたのだろう。心なしか表情がいつもにまして暗かった。ほんの2・3日の間に自分の弟を二人も失えば誰もがそうなるだろう。分かってはいる。自分だって悲しいのだから。
金剛の薄曇りの中うっすらと輝く金髪は太陽のようだった。俺らにとっての太陽は―さんだけれど。――はよく言っていた。金剛のような髪だったらいつも―さんに見守られている感覚がするのだろう、と。その時の俺は何も答えなかったけど、でも今なら答えられる。俺らのように―さんと同じ髪色なのも―さんの所有物である感覚がするからいいと思う。結局どんな髪でも―さんのために戦っていることには変わりないのだから。


「…比叡だけじゃなく――も、行っちゃったね」


いつまでもこうやって悲しみの底に沈んでいる俺を――なら好きなだけ泣けばいいんじゃないかというだろう。けれど泣けないときはどうすればいいの。自分に怒ればいいの、何も考えないようにすればいいの、それとも逆に笑えばいいの。――なしじゃどうしていいか分からない。


「無理して笑うものではないよ、強がったって何も意味はないのだから」
「でも、泣けないんだ」
「榛名…」
「悲しいのに涙が出そうなくらい淋しいのに、――なしじゃ涙さえも出てきてくれないんだ」


ふと衝撃が走る。二つの帽子が宙に飛んでいくのを見た。抱きしめられている。そう気づくのに時間がかかった。自分を抱きしめるのは――だけだと思っていたから。背中に回された腕は――のようにただ添えるだけのものではなく、包み込むようなものだった。


「俺では――の代わりにはならないだろうけど、怒らないし笑わないから好きなだけ泣きなさい」


その姿はいつかの――と重なった。“泣くとすっきりするしその後眠くなって、寝てしまったらみんな忘れるし、怒らないし笑わないから好きなだけ泣けばいいと思う”甲板の上でも薄暗い日差しの下でもなかったけれどそこには――がいるようだった。体に染みていく体温がとても心地よい。鼻の先がじわりと痛んだ。いつの間にかたまっていたのだろう体温と変わらない滴がぽろりぽろりと頬を伝ってくる。ああもうだめだ決壊する。


「淋しい…っ、――がいなくちゃ淋しいよ、俺はどうしていいのか分からないよ」
「泣いたらいいんだ、そういうことはみんな後で考えればいい。悲しいのなら淋しいのなら辛いのなら泣けばいい」


きっと俺はこのまま比喩じゃなしに本当に涙が枯れるまで泣くのだろう。それでもいい、――のためならいくらでも泣けるから。それくらい愛しているのだから。俺はこの戦いを終わらせるまで頑張るから待っててね霧島。最後までこの身が朽ちようとも戦うから。


それじゃあ榛名、また会いましょう。そんな声が聞こえた気がした。