月の浮かぶ水面から 後編
中に入った途端に突きつけられた、短刀。
それを認識した俺は本能的に後ろへ飛ぶ。
そのまま刀の柄に手をかけ、鯉口を切り短刀を突きつけてきた相手を見る。
「へぇ」
口角を上げたのは、俺より明らかに年下に見える少年。
けれど、よく見れば顔立ちはなんとも可愛らしいという言葉が似合う顔だ。
女顔なのだろうか。
いや…
そう思いもう一度相手をよく見る。
確かに少し背は高い。
俺よりは低いが、藤堂隊長と同じ位はあるだろうか。
「名前、そのくらいにしとけ」
土方副長が言うと、そいつははーいなんて間の抜けた返事をして短刀を収めた。
それから俺を見て
「いきなりごめんな?」
ってペロッと舌を出した。
口調は男のようにしているが、声を聞いて確信する。
こいつは、女だ。
「とりあえず、中へ入れ。」
副長の声に従い、中に入る。
俺の後には名前と呼ばれたそいつも中に入り、襖を閉めた。
「土方さん、彼ならいけるよ。」
襖を閉じて、開口一番にそいつは言った。
「反応も良いし、頭の回転もよさそう。それにさっきの総司との稽古もかなり良かった。」
「そうか。」
副長はそいつに向かって頷いて、俺を見た。
そして、言われたのは
「お前に、監察方(かんさつがた)を頼みたい。」
思ってもみないことだった。
「は…監察方って、あの諜報とかする…」
「ああ、そうだ。」
「けど、なんで俺が?」
今まで普通の平隊士だった俺。
ちょっとすばしっこいくらいしか、取り柄がない俺。
「剣の腕もかなり良くて、接近戦が得意。そんでついでに言えば喧嘩慣れしてる、からかな?あとなんかある、土方さん?」
「いや、そんなところだろう。で、高尾。どうだ?」
けれど、そんな俺の長所が最大限生きるのなら…
この人を支えられるなら…
「俺、やります」
俺に迷いはなかった。
その日から、俺は名前さんの元で監察方としての仕事を学んだ。
少しずつ変装の仕方、情報の取り方、人間観察などの方法を身につける。
人当たりはいい方だし、試しにやってこいと言われ軽く実践した時には満面の笑みで褒められた。
その笑顔が俺の心をくすぐった。
いつからか感じてなかった胸を締め付けられる感覚に、俺はその感情との久しぶりの再会を認めた。
そして、半月後。
一応半人前と認められた俺は初めて彼女と仕事をした。
それは珍しく暗殺の仕事。
名前さんが相手を始末し、俺がその後処理をするというものだ。
頼まれた翌日、仕事は難なく完了した。
だが、その時の彼女の表情は忘れられない。
いつも飄々としていて、笑顔ばかりの彼女が虚ろな目をしていた。
「名前さん?」
俺が声をかけると、ハッとしいつもの飄々とした笑顔を浮かべ、帰ろっか、と笑った。
屯所に戻って一眠りし、再び起きた頃には既に太陽は天高く登っていた。
朝食は全て永倉隊長と藤堂隊長の腹の中だと原田隊長に苦笑混じりに告げられ、しょうがなく副長に許可を貰い町の安い蕎麦屋へ向かう。
その途中の小さな小川の前で俺の視界が見慣れた背中を捉えた。
ああ、彼女も飯がなくて食いに出る途中なのか。
そう思いながらどうせなら一緒に行こうと誘おうと思い近づく。
だが、近づいた先の彼女の肩は震えていた。
今まで俺の前を歩いていた彼女。
確かに華奢だと思ったことは何度もあった。
けれど、彼女の背中がこれほどまでに小さく見えたのは初めてだった。
「名前さん」
俺が声をかけると、ビクリと肩を揺らし、少ししてから振り返った。
いつもの飄々とした、あの笑顔で。
けれど、何処かよそよそしく、貼り付けられたような感じがして、俺の胸は締め付けられた。
「なんだ、高尾か。お前も新八さんと平助に飯をくわれたのか?」
幹部を平気で呼び捨てにする彼女はもともと江戸にいた時から彼らと親しかったそうだ。
昔からこうだったのかと原田隊長に聞けば、昔はもっと悪戯好きで、感情表現豊かだったと答えられたのは記憶に新しい。
そんな彼女は京に来てから一度も見ていないということも…
まだ震えの収まりきってない肩を見ながらそんな事を考えていた俺はハッとした。
そうか、彼女はただひたすらに…
堪えていたんだ。
飄々とし、笑顔を貼り付けることで
本当は何もかも怖くて仕方なかった。
けれど、皆と共にいたいから
ずっと笑顔を貼り付け、その裏でこんな風に震えていたんだ。
駆け寄って、暖かい体温をその手に閉じ込める。
いくら女の中では背が高くたって、彼女は俺の腕の中にすっぽり収まるほど小さい。
今まで必死で追いかけていたから、こんな事にさえ気がつかなかった。
「俺は監察としてはまだまだ半人前だし、名前さんの腕にはまだまだ及ばない。だけど、こうして抱きしめて名前が泣いているとこを隠す事くらいはできる。だから…」
一人で泣くなよな
「は…半人…まえ…のく…せにっ…ししょーを…呼び捨…てやがってっ…」
生意気
そういいながらも、彼女は俺に縋り付いた。
暖かい温もりが、俺の着物を濡らす。
「こわ、いんだ…いつかっ…昨日の、あいつみたく…みんながっ…死んで、いくんじゃ、ないかってっ…そ、して…誰かを、殺め続ける私も…いつかはああなるんじゃ、ないかって」
本当は、彼女も小さな女の子。
だから、仲間や自分の死の恐怖に怯える。
それを必死になって隠して…
今までどれだけ辛かったろうか?
「名前さんは、皆を守ればいいんですよ。みんなが死なないように、今まで通り。大丈夫っすよ名前さん強いから。そんで、名前は俺が守る。」
抱きしめていた彼女の体を少し離した。
「絶対俺は死なない。死なないで君を守る。もう一人きりで悲しくさせたりしないから、だから…」
俺の、女になって?
「言って、くれる…」
ははっと笑いながらも、彼女は自ら俺の肩に顔を埋めた。
「はんにん…まえ、のくせにっ…」
俺の腰に回った、細く、華奢な腕がどうしようもなく愛おしい。
「さっさと一人前になって名前さん脱いてやるから、待ってろよ」
そう言って、もう一度、抱きしめた腕に力を込めた。
月の浮かぶ水面から
光の見えない深海へ彼女と二人、何処までも沈んで行こう。
俺が死ぬとき
それは、彼女が死ぬとき。
もう一人きりでは泣かせねえよ。
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