黄色い薔薇も美しい

『ねえ、暇』
『俺は暇ではないのだよ』
『えー、教授が何言ってるか、分かんないんだもん』
『知らん、理解出来ぬお前が悪い』

少し丸みを帯びた女子らしい文字と、習字のお手本のような達筆な文字が並ぶ。
前ではマイクを持った教授が、自身の配布したレジュメを読んでいる。
しかし名前にはそれらは全て魔法の呪文のようにしか聞こえない。
かつて高校時代の友人数人とファミレスに入った時、ある友人が頼む品物の羅列も呪文のようにしか思えなかったが、これも大して変わらない。
それなのに、隣に座る端正な顔立ちの男は教授の話す内容を理解し、自分なりにノートをとっていた。
大切なところにはラインが引いてあったり、説明の走り書きがついていたり。
びっしりと、しかし見やすく書かれたノートにため息が零れる。
対して名前のノートは真っ白だ。

『ねえ、後でノート見せてよ』

綺麗に書かれたノートの端っこにそんな事を書き込めば『断るのだよ』という言葉で一刀両断にされてしまった。
むー、と頬を膨らませた名前は再びシャーペンを握って教授の言葉を理解しようとした。
しかし、今までの授業を全く聞かずに高尾とふざけていた彼女がその内容を理解できるはずもない。
いつも彼女に構っていた高尾は隣で気持ち良さそうに眠っている。
対して名前の隣で眼鏡のブリッジを押し上げる男は不機嫌全開だ。
先程からもうシャーペンの芯を五回は折っている。
何かやらかしただろうか、と名前は頭の中で思い返す。

入学式、たまたま席を隣り合わせた名前と高尾は意気投合し、同じ大学に通う緑間と彼女を引き合わせた。
それから一年、紆余曲折あって二人は結ばれ、あの偏屈な親友(緑間曰く親友ではない)にもついに彼女ができたのか、と高尾が泣いたのは三ヶ月前のこと。
三ヶ月、長いようで短いこの間に二人は数度の休日デートを重ね、同じ時間に授業が終わる時は待ち合わせをして帰ったりと、普通のカレカノ生活を送っていた。
だが、高尾は二人共通の友人であり、二人のために一役買ってくれた高尾を邪険にすることは緑間はともかく名前にはできない行為であった。
それ故、3人で授業がかぶる時は一緒に受けるし、たまに3人でご飯を食べたりもする。
そういう時は名前と高尾が喋り、それに時々突っ込みを入れる緑間というのが普通なのだが、今日は何故か緑間の機嫌が頗る悪いようだ。

さっきまで高尾とお喋りしてほっといたからか?
いや、いつものことでもう気にしていないはずり

それとも、今日バイトで一緒に帰れないことだろうか?

うーん、と名前はうなる。
もう、教授の言葉など耳には届かない。

考えて、考えて、考えて…

それでもやはりこれといった理由が思いつかなかった名前は配られたプリントにシャープペンシルを走らせた。


トントン、と音がして緑間が隣を見るとプリントに小さな文字が書かれていた。
たった三文字。
無視してやろうかと思ったが、そんなことをすれば余計に事がややこしくなりそうなので堪えた。

『何を謝っているのだよ』
『だって怒ってる、ごめん』
『本当に分からないのか?』
『うん、だから教えて』

お願い、と彼女は泣きそうな顔をしながら言う。
そんな顔をされたら、もういい、と言うしかなくて…
けれど

『うそ、よくないもん』

ぷぅと頬を膨らませ、緑間を見上げる名前。
その目には涙さえ滲んでて…
また溜息が零れた。

『お前、今日飯を食べる時何をしたか、覚えているか?』

緑間の問いに首を傾げる名前。
なんともまあ可愛らしいのだが、こんな恥ずかしい理由を言っても良いものか、と緑間は思案する。
けれど、言わなければ折角収まった名前の涙が零れてしまうかもしれない。
それは不本意であるから、緑間は仕方なくシャーペンを走らせた。

『お前が高尾の箸を使っていたのが気に入らなかったのだよ』


ぷぃっとそっぽを向いた緑間とその言葉に赤くなる名前。
五月の優しい風が二人の間をすり抜けた。




黄色い薔薇も美しい





こんな可愛いー嫉妬も今時珍しいよなー、なんて起きていた高尾が思っていたなんて二人は知る由もない。


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