自分の娘ながら娘は、本当にいい子だった。練習の間愚図ったのはオムツが濡れた一回だけ。その時だけ笠松先輩に許可をもらって一度練習を抜けさせてもらった。けれど、それ以外はボールを見てきゃっきゃとしているか、寝ているかどちらかだった。
部員たちはいつも私にボールが当たらないよう気をつけてくれるが、今日はより慎重で少し笑ってしまいそうだった。
練習が終わると、チームの面々が片付けを手伝いつつ娘に構ってくれた。ある者はいないいないばあ、をしたり、ある者は変顔をしたり。大抵のものはきゃっきゃと喜んでいた娘だったが、流石に早川先輩の変顔はインパクトが強すぎたらしく大泣きした。だが、その後森山先輩がいないいないばあをした途端、ピタリと泣き止んで、再びご機嫌に戻った。
「ほんっとちっちゃいっスねー」
帰り道、いつも通り私の横を歩く黄瀬くんが娘の寝顔を見ながら呟いた。
「まあ黄瀬くんも大きすぎるけどね」
190cmちかくあったらさぞかし娘が小さく感じられることだろう。これでも生まれて一年半。だいぶ大きくなったのだ。
「ほっぺやわらかいっス」
黄瀬くんの長い指がふにふにと娘の頬を突っつく。優しく、優しく。ふと、彼だったらどうだったのだろうなんて馬鹿げた考えが浮かんで、頭を振った。
「あ、起きそうっスよ?」
キラキラと目を輝かせた黄瀬くんが興味津々な様子で娘を見る。そう言えば黄瀬くんは練習に必死過ぎてこの子が起きているところを見ていなかったのだ。
「ん?あ、おはよ娘」
目をこすっている娘に声をかけたその時、だった。
「んー、ま…ま」
思わず、立ち止まった。
娘は私に手を伸ばして、初めてちゃんとした意味の言葉を口にした。それはたどたどしかったけれど、確かに私を呼ぶもので…
「まんまっ!!」
真ん中にん、が入ってしまっているけれど、確かにそうだ。ママ、だ。嬉しい。
泣きたいくらい。
「最近ママ、が言えるようになってね。私にも言うの。」
だが、隣に居る黄瀬くんに不審に思われてはいけない。そんな思いからか、口から飛び出したのは誤魔化しの言葉だった。
可愛いでしょ、と続けようとして黄瀬くんが娘を凝視しているのに気がついた。
「黄瀬、くん…?」
声をかけても黄瀬くんは娘を凝視し続けた。
まずい、予感がした。
「行こう、黄瀬くん」
私が声をかけると、彼はやっと娘から顔を上げた。
そして、悲しそうに、私を安心させるように、微笑んだ。
「俺、ずっと不思議だったっス。何であんたが青峰っちと別れたのか。あんた、あんなに青峰っちが好きだったのに。けど、その理由、分かった気がするっス」
目を見開いて、彼を見た。
なんで、こんなに、私に似ているのに。
どうして、あなたは気付けたの?
「名前っち、この子」
どうして、その答えに辿り着いてしまったの?
どうして、見破ってしまったの?
「青峰っちと名前っちの…」
純白の雲
いずれ雨雲に変わる筈のそれは、本当気まぐれね。
「少し、話そっか。うち、おいでよ」
もう隠し通せない。
誤魔化せない。
まんま、と娘の呼ぶ声に、帰ろうか、と言って駅までの道を再び歩き出した。
もう、逃げられない。
止まったはずの時間が流れ始めた。