「なんで、いるの?」
「いーじゃないっスか」
ここは放課後の教室。
目の前にいるのはうちの学年一、いや海常高校一の有名人であろうクラスメイトの黄瀬涼太。
確かに中学は一緒だったし、現クラスメイトだが、私と彼は断じて仲が良い訳ではない。
ただ、面識がある程度だ。
それなのに…
「どうしたの?帰らないの?」
「そんな冷たいこと言わないで欲しいっスよ」
ヘラヘラと笑顔を浮かべる彼は私に問題集を差し出した。
「ここ、わかんないんスよ」
なぜ、この人は私に構うのだろう?
「なんで私に?」
すると、彼はうーん、と言ってから…
「よく、青峰っちに勉強教えてたじゃないっスか。だから、頭いーのかなって」
出てきた名前にピクリと肩が跳ねた。
この人は何がしたいのだろうか。
私の反応が見たいのか、それとも「青峰っち」の元カノに興味があるのか、はたまた無意識なのか。
どちらにしろ、私の傷を悉く抉ってくる。
「断ったら?」
頼まれたら、どんなに苦手な人でも、嫌いな人でも断れないのに、そんなことを言ってみると…
「そうっスね、じゃあ
アイス、奢ってくださいっス」
とにっこり笑った。
本当にこの人は、よく分からない人だ。
「この式をXっておくと、二乗の方程式になるでしょ?」
「あ、なるほど」
それから小一時間。
定期テスト前で部活がないという彼に数学を教えている。
無視すればいいと思った。
けれど、それはよくない、と変にいい子な自分が嫌になる。
「で、他には?」
「うーん、あとは…」
「私、そろそろ帰らないといけないんだけど」
「あ、そーなんスか?」
じゃあ、明日もお願いするっスなんて言われたから、思わず目を見開いた。
「じゃ、駅まで送っていくっスよ。暗くなってきたし、最近何かと物騒っスから。それに勉強教えてもらったお礼も兼ねて」
ね?とにっこり笑った彼。
嫌だと、迷惑だと、一言言えばいいのだけど、言えなくて。
一つため息をついた。
それを見ていた黄瀬くんはクスリと笑った。
「苗字さんって、嫌だと思っても断れないタイプなんスね。でも顔にはめっちゃ出てる」
そう言って笑う黄瀬くんは、さっき話しかけてきた彼とは別人。
本心から楽しんでるようだ。
「よく言われる」
少し悔しくてそっぽを向いて言うと
「ははっ、ほんと面白いっスね」
と更に笑われた。
鞄を持って外に出れば、夕日が青くなった桜の木を照らす。
「コンビニでも寄ってかねっスか?奢るっス」
本当、変わり身が早い。
さっきはあんなに好奇心むき出しで話しかけてきたのに、今はこんなにも親しげに話しかけてくる。
「ねえ、なんで私に構うの?」
と問えば
「確かに青峰っちの彼女だったから興味があったんス。けど、この一ヶ月同じクラスで見てて、仲良くなってみたいなあって純粋に思い始めたんス。」
って言った。
しかも、
「あっ、何回も青峰っちの名前出してごめんなさいっス。別れた彼氏の名前は聞きたくないっスよね」
なんて謝ってくるから思わず笑ってしまった。
「黄瀬くんって、面白いね」
「そーっスか?始めて言われたかもっス」
二人とも互いが可笑しくて、通学路を笑いながら歩いた。
途中のコンビニでお菓子を買ってもらった。
自分の分は出す、と申し出たがこれでもモデルっスからと断られてしまった。
それからも同じクラスだからか、話題は尽きなくてお菓子を咀嚼しながら沢山喋った。
「それじゃ、俺はここで」
「うん、ありがとう」
そう言って改札に続く階段を登ろうとすると、苗字っち、と呼び止められた。
仲良くなると呼び方が変わるシステムなのだろうか。
なあに、と振り返ると
「あの、明日も教えてくれるっスか?」
と不安そうな目の黄瀬くん。
まるで、主人が出かける時の犬のようだ。
それで背が高いからちょっと面白い。
「うん、いいよ。」
そう言うと、さっきまでの表情とは一転して、ぱあっと笑顔になった。
「ありがとうっス」
「ううん。」
「じゃ、また明日」
「うん」
改札を抜けて電車に乗る。
一瞬、黄瀬くんの今日の態度はすべて演技なんじゃないかという不安が頭をよぎった。
けれど、彼との会話はとても楽しかったからその演技に騙されてみてもいいとさえ思った。
ふと、電車の窓から外を見ると太陽の沈み切らない空は山際でオレンジと青の綺麗なグラデーションを描いていた。
そんなありふれた夕焼けが…
初めて見る空のように思えた