頭を撫でる大きな手
「はあっ、はあっ」
リズムよく聞こえる自分の吐息。その感じが彼女は嫌いではない。ここ数年聞き慣れたものだ。時にはそれが煩わしく思えることもあるけれど…
「よし、おっけー…」
今日も今日とて彼女は朝練だ。テスト前であろうと彼女の朝練の扱いは自主練であるのでなくなりはしない。一週間に一回、少し早めのペースでジョグをする。その他の3日は疲労を抜くために軽めのジョグで残りの3日はストレッチと疲労抜きのため部員に頼んでマッサージをしてもらう。疲労を抜くことも大切なメニューだ、と高校生になってからうるさく言われているのでこれでもかつての半分ほどに練習量を落としている。
「明日は、マット、持ってこないと…」
一人そう呟いて汗をぬぐいながら持ってきた一口サイズのおにぎりを口に入れた。程よい塩加減が疲れた体に丁度いい。もう一つ口に入れようとすれば、あ、名前ちんだー、た変わったあだ名で呼び止められた。
「おはよう、紫原。ジャージと口の周りにポテチついてるよ?」
「んー、あ、ほんとだー」
名前が服についたポテチを指さすと紫原はそれを払い、口の周りも払った。それから名前の隣に腰掛ける。
「朝練は?」
「今終わったとこー」
「その後によくポテチなんてたべれるね」
「そういう名前ちんだって食ってんじゃん」
「お菓子じゃなくておにぎりだけど」
「一緒だよ」
「一緒じゃないですー」
子供みたいな会話をする少年少女。
持ってきたおにぎりの3つ目を名前は口の中に放り込んだ。じわりとほのかな塩味が口の中に広がる。それが結構美味だ。
「そう言えば、バスケ部は朝練あるの?」
「うん、大会近いからねー」
「へえ、大変だね」
「これで赤点あったら補習だってさー。あー、だるー」
「あ、それは嫌だね」
紫原はポテチを口に放り込み、名前はタオルで汗を拭う。五月の日差しは夏ほどギラギラしていないものの、なかなかに暑かった。けれど、時折通り過ぎる風はまだ少し冷たさを含んでいる。
「そう言えば、今日は31度まで上がるらしいね。」
「うわー最悪。暑すぎでしょ。」
「体育館蒸し風呂みたいになるもんね。」
「そっちは?」
「風が吹く分ましだよ。まあ、真夏になったら風も熱くなるしあんまし関係ないんだけど。」
会話が途切れることがない。他愛ない話をぼーっとしながらする。2人にとって互いといる時間はかなり居心地のいいものだった。同じクラスのため話題にもあまり困らないし、何より互いの波長が合うのであろう。中学の時は割と居心地いい場所にいたの思っていた2人だが、互いの隣が一番落ち着いた。
チャイムが鳴る。
休み時間はあと20分。
「そういえば朝練終わるの早くない?」
「んーテスト前だから軽めにって。あと片付けはめんどいから抜け出してきた。」
「ちょっとそれはダメでしょ。ちゃんと片付けくらいしないと…」
「えー、なんでー?」
「自分の使ったものは自分で始末しなきゃ。」
「えー、めんどくさー」
まるで片付けを嫌がる子供のようで、名前がくすりと笑うと、何笑ってんだし、と紫原が唇を尖らせた。拗ねた紫原に向かって彼女が、紫原子供みたい、と言えばはあ?と言いながらも、次からやるし、と紫原。やはり相性はいいようだ。
「あー、着替えなきゃ」
「だねー、めんどくさー。」
「それは同感。」
4つ目のおにぎりを口に入れたところで視線を感じた名前が紫原の方を見ると、彼の視線は彼女のおにぎりに釘付けになっていた。
「どうしたの、紫原?」
「なんでおにぎり食ってんのー?」
「ああ、運動した後に炭水化物取るといいんだって。たしか疲労回復してくれるんだってさ」
「俺もほしい」
えー、という名前。
ほしいという紫原。
どちらも譲らなかったが結局折れるのは名前である。
「分かった。その代わり次からちゃんと朝練の片付けしてくること。」
「えー」
「じゃなきゃあげないよ?」
「わかったー、やるー。」
ぶすくれながら言う紫原に微笑んでおにぎりを渡す名前。
手が触れた時どくんと大きく心臓が跳ねた。
「おいしい?」
「うん、おいしー」
朝練ある日、教えてくれれば作ってあげるよ、と言えば目を輝かせる紫原。じゃあ明日からーなんて紫原が言うから、はいはいと名前は笑った。
「あ、あと10分しか休み時間ない。着替えなきゃ。」
着替えを持って立ち上がった名前。それでも目線は紫原より少し高いぐらい。
「じゃあ明日はがんばってね」
「うん、名前ちん、ありがとー」
不意に大きな温もりが頭の上に乗っかった。
ああ、心も暖かい。
頭を撫でる大きな手(見ろ、紫原がお菓子じゃねーもの食ってる!!)
(失礼だなー、あげないよ。)
(なんだ、彼女の手作りアルか)
(はっ!?ちげーしっ!!)
(うおーー!!ワシにはなんで彼女ができないんじゃー!!)
(大丈夫、お前はモテない)
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