いたずら好きの神の手に



「なあ、新八。俺、やっぱ、あいついねえとダメだわ」

隣で顔を真っ赤にしながら親友が何杯目かのジョッキを煽った。

「なんで、手ぇ離しちまったんだ」

手のひらを握りしめる親友に、かけてやれる言葉がなかった。





そして、俺の親友が大事な彼女と別れてから、二年の月日が流れた。

「左之ぉー!!頼むっ!!代返しといてくれ!!」

『ああ?またかよ新八。この前もしてやっただろーが。』

呆れ返った親友の声。
くそっ、あいつ、なんで夜な夜な女の子と遊んでるくせに寝坊しねえんだ。
携帯片手に着替えながら頼む、と叫んだ。今度飯奢るから、と。
すると

『たくっ、今言ったこと忘れんなよ』

「おおっ!左之!!やっぱ、お前は最高のダチだぜ!!」

『なんでもいいから早く来いよ。じゃーな』

あー、マジ助かった。
そう思って電話を切った。あのじいさんの目ならきっと誤魔化せるはずだ。あー、でもそろそろ出ねえとヤバイな。そーいやー、今日何日だっけか?

ちらりカレンダー日付を見て、絶句する。



「やっべえ!!面接っ!!」





























いたずら好きの神の手に




永倉が大学生でありながらギャンブル好きになったのは父親の影響だった。まだ学生であることもあり、そんなに多額の金をつぎ込むことはしないし、生活費を崩すほどのことはしない。が、しかし、若かりし大学生の中でも体育会系の人間と遜色ない永倉である。
到底、ギャンブルで残った金で暮らすのは厳しかった。

もう少し稼げるバイトをしねえと…


ギャンブル類を一切止めれば良いのだが、そんな考えは微塵も浮かばない永倉である。
とまあ、そんな思考に至った彼はたまたま歩いていた町中で時給1200円でバイトを募集している飲食店を見つけた。それもスタバのような雰囲気ではなく、どちらかと言えばラーメン屋か居酒屋に近い空気の店である。永倉はそのバイトに飛びついた。



そして、そのバイトの面接が今日であったことを永倉はすっかり忘れていたのである。
大急ぎで履歴書を購入し、授業中にも関わらず授業そっちのけで、できるだけ丁寧な字で必要事項を書き込んでいく。できるだけ印象をよくしておきたい。

そうして、3時半ちょうど。
自宅から電車で10分ほどのおしゃれなR駅にはあまりふさわしくはないステーキ屋に彼はいた。バイトの面接はべつに初めてではないし、殆ど落ちたこともないのだが、やはり緊張する。


落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、永倉は自動ドアのスイッチを押す。


「いらっしゃいませー」

明るい透き通った声が聞こえて、永倉は首を傾げた。それは、彼が知っている声によく似ていた。この前親友と飲んだから、それに感化されてしまったのだろうか?

「何名さま…で…」


そんな予測とは裏腹に、彼の前に現れたのは、彼のよく知る人物であった。

「あっ、えっと、バイトの面接…を…」

「え、あ、はい。少々お待ちください。」

パタパタとかけていく姿は、高校時代を彷彿とさせる。ただ、あの頃かけていく先には彼の親友がいた。

けれど、駆け去る先には当然彼の姿などない。



「なんなんだよ…」

頭をガシガシとかいて、永倉は一人呟いた。





「じゃあ採用ということで。明日また書類書きに来て」

「了解っす」

難なく面接は採用に終わったが、永倉の頭の中はそれどころではない。面接の質問に自分がどう答えたかも全くと言っていいほど覚えていなかった。

「お疲れ様です」

「おお、名前ちゃん、お疲れ。あがっていいよー」

そこでナイスタイミングというか、タイミングが悪いというべきか、名前もバイトを終えたようだ。

「丁度良かった。彼、永倉君。新しく入ってくれることになったんだよ。まあ夕方の時間だから君とは入れ違いだろうけど。永倉くん、彼女は…」

「店長、大丈夫ですよ。彼、高校の同期で部活も一緒だったので」

またよろしくね、と名前は笑った。

まるで、永倉1人を過去に取り残すかのように。

「え、そうだったの!?」

先に言ってくれればいいのに、という言葉には苦笑を返して名前は永倉に向き直った。

「着替えたら終わりだからちょっと待ってて」

そう言って更衣室に引っ込んだ名前の背中を永倉は複雑な心境で見送った。








「お願いっ、左之には絶対に言わないで!!」

近くのファミレスに入って開口一番に名前は永倉に頭を下げた。

「え、いやっ、その、頭上げろよ。言わねえから」

突然の彼女の行動に戸惑った永倉はそう口にしていた。

原田と名前が別れたことにより疎遠になっていた2人であったが、もともと永倉と名前は原田と永倉がそうであるように仲が良かった。三人でいつもツルんでいたのに、二人が付き合いだしたことをずっと内緒にしていて、腹を立てたのが昨日のことのようだ。

その親友がこれだけ必死に頼むのを永倉が断れるわけがなかった。

「ありがとう」

その言葉を聞いて名前の張り詰めた表情がホッと緩んだ。それを見た永倉もまた少し安心する。この店に入るまでのどこかピリリとした空気は両者を極度の緊張状態にしていた。ひとまず空気が変わり、永倉は一つ息を吐いた。

けれど、永倉にとっては不思議でならないことがある。それをずっと聞かねばならないと思っていた。

「お前、なんであいつと一切連絡とってねえんだよ」

永倉の長所は性格が根っから真っ直ぐであることだ。けれど、それは同時に時によっては短所でもある。それがちょうど今のような場合だ。これは原田もそうで、名前は一瞬ピクリと肩を跳ねさせた。

「お前、別れてもあいつとはいい関係でいたいってずっと言ってたじゃねえか」

「さあ、そんなこといったっけ?」

震える声が、嘘だと語っていた。
言葉よりも震える肩が雄弁に何かを語っていた。きっとそれは問い詰められることへの恐怖。

「お前、今男いんのかよ?」

「いるよ、だから別れたんだもん」

そう言い放って前髪をかきあげる名前を永倉はじっと見つめた。嘘をつく時の名前の仕草なんだ、と原田が苦笑した記憶が頭をよぎる。

「いないんだったら戻ってやってくれねぇか?彼奴、ずっと荒れてんだよ」

酒に酔えず、手当たり次第に女を変えて夜を過ごす。そんな親友を見るのは、永倉にとっても辛かった。なんとかしてやりたかっただけなのだ。

「だから、私には彼氏が…」

「嘘だろ?お前さっきから俺と目ぇ合わせねぇじゃねえか!!」



ピクリと彼女の肩が震える。彼が旧友のために必死であるように、彼女もまた必死であった。けれど、同時に永倉を相手にこれ以上だんまりを決め込めないことも分かっていた。彼は真っ直ぐすぎる人間だ。ある意味で永倉はとことん残酷な人間である。一方、原田は無理だと思ったら、そこで追及をやめて困ったように笑うのだ。


今度は名前が大きく息を吸う。

彼女の呼吸だけが2人の沈黙の上に落ちる。店内の喧騒は最早耳に入らなかった。









神の悪戯とはかくも不思議なものである



名前の言葉に、永倉が人生最大級の衝撃を受けるまであと3秒。




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