だから俺を諦めて?



それは、突然だった。


「私の彼を返してよ!!」

パァンと張られた頬が熱を持つ。
ただ痛い、なんて久しぶりの感覚だ。心が痛いのも久しぶりだ。

目の前で、栗色のくるくるした髪の女の子が泣き叫ぶ。ああ、叩かれたんだ。

「分かった。」

スマホを取り出して彼のアドレスを削除した。付き合って半年とは、以外と長かったのだなあと今更のように思った。

「彼とは今後会いません。それじゃあ、私帰ります。」

踵を返して歩き出す。
返して、と言われたけれど彼はいつからあの子と付き合っていたのだろう?私と付き合う前から?付き合った後?それとも同時?真実の愛なんて、ラブストーリー染みたことを信じている訳ではない。しかし源氏物語の主人公、光源氏のように数多の女の人に愛を囁くのもどうかと思う。つまり、私の彼は後者だったのだ。人の気持ちなんて移ろっていくものだから、別れることはしょうがないと思う。けれど、二股は不誠実だと思う。隠していたなら尚更だ。

秋風が私の頬を撫でる。
それと同時にすう、と気持ちが冷めていくのを感じた。
それなのに、心がきゅうと締め付けられた気がした。どうして、悲しくなっているのだろう。
あんな男、別れて正解の筈なのに。
どうでもいいと思っているはずなのに、こんなことになるなら、付き合わなければよかったと思う自分がいる。結局情が移ってしまったのだろう。彼と別れてしまえと思う反面、別れたくないと思う自分がいる。二股をしてしまうような彼だったけれど、抱きしめてくれる手は暖かくて心地よかったし、キスだってした。触れ合うだけのキスに恥ずかしくてそっぽ向いてしまったこともあった。私にとっては、彼がどんな人であっても、彼が初彼であった。

「面倒臭い」

口から出た言葉は、叩かれたことへか、彼と別れることへか、はたまた自分へか。そんなことは考えてもきっと答えは出ないと放棄する。けれど、気がついたら再びその問いに逆戻りしている自分がいてイライラした。けれどその苛つきをぶつける場所など私にはどこにもなくて、苦しかった。

彼は隣のクラスだったから、別れれば会わなくてすむだろう。それを寂しいと感じる自分と、もうそれでいいのだと思う自分。考えて、考えて、相反する気持ちの中で最後に勝ったのは彼との別れを選んだ自分だった。
電話なんてしたら、泣いてしまうからメールで。何度も何度も文面を打っては、消して。
また打って。そうして結局できた文面はたったの3行…

「今までありがとう。
別れてほしい。
幸せにね」

たった半年を表すには短すぎる言葉だったけれど、今の私には十分すぎる言葉だった。送信が終わればスマホの画面がトップ画面に切り替わる。そこには2人で撮った写真があった。
夏休みの江ノ島。真夏だったから暑くて、二人とも汗をかいている。満面の笑みの彼と、ちょこっとだけ口角を上げた私が移っていた。彼と2人で撮った写真はたった一枚だけ。この写真が、私は大好きだった。

だけど、もう、この写真もお別れしなきゃいけない。

ちょうどその時、スマホが振動して嬉しくないメールを受信した。

開いてみたメールの送り主の欄には、英字と数字の羅列が続いていた。
自分で消したはずなのに、それがなぜか悲しく思えてしまった。



後悔、していた。



それでもまだ好きなのよ、なんて打てる訳がなかったの。
もう戻れないと分かってしまったから。




「ごめん、迷惑かけた。
こちらこそ今までありがとう。
そっちこそ幸せにな。」

はは、と乾いた笑いがこぼれた。
理由を聞かれなかったのが、少し嬉しくてとても悲しかった。

頬が濡れて、座っていたベッドの掛け布団を濡らした。

「バカ、みたい…」

もう恋はしない。
男なんて信じない。

そんな決意をして、枕に顔を埋めた。



そして、翌日。
早々回った噂のせいで私は、他人の彼氏を寝取った女というレッテルを貼られる羽目になった。