それは、雨が降りそうなある梅雨の夜のことだった。 「どうしてよっ!!」 数日前に彼氏と別れた私が、無駄足になった傘を左手に一人寂しい会社からの帰り道を歩いていると、前方から女の甲高い叫び声が聞こえた。 「るせぇな、惚れた女が出来たんだよ」 はた、と足が止まる。 低い声は、先日私にも似たような言葉を向けた男の物と同じだった。 ああ、浮気してたんだなあ、なんてぼんやりと考えた。 けれど、まあ終わった恋は追いかけない、と自分に言い聞かせて足を進めようとしたが、はて困った。 修羅場の彼らの隣を横切るしか駅にいく道がない。 ちょっと神様。 あんた、何を考えているんですか。 こんな悪戯、真面目に笑えないんですけど… 心の中で悪態をついてみたけれど、そんないるかいないか分からないような存在の仕掛けた悪戯はどんどんヒートアップしていく。 「あんなに好きって言ったじゃないっ!!」 「あ?しらねぇよ。お前よりいい女が出来た、それだけの話だ」 目の前に街頭に照らされた漆黒の髪が目に入った。 ああ、後ろ姿も好きだったなあ、なんて。 まあとりあえずヒートアップしているようだから、横を通り過ぎても気が付かないだろう。 そう思って顔を伏せて彼らの脇を通ろうとしたその途端… 「ふざけないでよっ!!」 女が手を振り上げた。 パァン、と乾いた音が辺りに響き渡る。 「すみ、ません。あなたから、この人を、奪ってしまって。」 あーあ、私、なんでこんなことしてるんだろう。 数日前、好きな奴が出来たから別れて欲しいなんて言わた男を庇うなんて。 「けれど、私も彼の事、大好きですから、諦め、られませんっ!!」 ああ、これが惚れた弱みってやつか。 叩かれた頬が熱を持って行く。 うわ、本気で引っ叩きやがった。 マジで痛い。 私のことを引っ叩いた女は、こんな女を選ぶような男と付き合ったのが馬鹿だった、と吐き捨てて去っていた。 おい、失礼じゃないか。 確かに美人ではないし、性格がそこまでいいわけでもないが、そこまで言うとは失礼すぎるぞ。 「おい、何してやがる」 ぽつり、と吐き出された言葉と共に一つ、熱を持った頬に水滴が当たった。 「何って、修羅場だから、助けただけです。」 顔なんて見ない。 そうしたら、またこの人のことを好きになってしまうから… 「それじゃあ、私はこれで」 「ちょっと待て」 なるべく自然に立ち去ろうとしたら手を掴まれた。 「なんですか?お礼とか要らないですよ」 「ちっ、借りは返す主義なんだよ」 なんでもいいから言ってみろ、と彼は続けた。 ああ、もうだめだ。 想いは、止まらない。 「借り、返してくれるんですか?」 私がゆっくり顔を上げると紫色の瞳と目が合った。 その目が、好きだ。 「じゃあ、一ヶ月だけ…」 もう一度、私の彼氏になってもらえませんか? この恋を止められない そうして、私と彼の契約は成立した。 戻る |