恋の契機は転がって


たとえば、少女漫画のお約束に遅刻しそうなヒロインがかっこいい男の子とぶつかるとか、そんな夢のようなシーンがある。
それは大半の女の子が憧れるものであるはずなのだが、目の前の女の子はそうではないらしい。
だからなのか…

「あ、黄瀬くんじゃん」

朝練に遅刻しそうで更衣室へ急いでいた黄瀬がぶつかりそうになった相手は名前だった。
あくまでそうだった、というのがポイントだ。
彼女は黄瀬にぶつかることがなく、それどころか尻餅をつきそうになった黄瀬の手首を掴みそれを阻止した。
逆だと思うんスけど普通。
黄瀬は心の中で一人ごちた。

「ごめん、あたし急いでて。じゃあまた教室で!」

左手をあげて名前は黄瀬の来た方へ駆けていく。
女子にしては背の高い方である彼女は、あれでショートカットであれば完璧な少女漫画のイケメンな男の子だ。
けれどかつてのマネージャーと同じ高い位置で括られた髪。
先ほど掴まれた腕に残る細い指の感触。
それらは彼女が紛れもない女の子であることを示していた。

「なんなんスか、ほんと…」

一人ごちた黄瀬の胸は、何故だかドキドキとうるさい鼓動を伝えていた。


彼女とぶつかってわけの分からない動悸と格闘したことで、完全に部活に遅刻した黄瀬は笠松にシバかれた。
けれどまあ、朝練は眠いし集中力は散漫だ。
そんな視界の端に映ったのはかつての仲間には劣るが、美しい弧を描いた美しい3Pシュートだった。

「ナイッシュー」

女子らしい高い声が響いた。
ふーん、と思いながら見ると隣は女子バスケ部で今日の朝練は自主練らしい。
いーなー、自主練。
黄瀬がそんなことを思っていると、また美しい弧を描いたシュートが決まる。
それが飛んできた方へ目を向けて、黄瀬は驚いた。
それは先ほどぶつかりかけた名前だった。
彼女はボールを拾うとそのままドリブルで回り込みレイアップシュートを決める。
そのフォームもまた美しい。
細い身体がしなやかに動く。
その細い指から放たれるレイアップシュートは勿論、3Pシュートも一本も外れない。
半端ない集中力だ。
ふわっとボールが彼女の手を離れ、リングにかすることなくネットに吸い込まれる。
それはかつてのチームメイトを思わせるほど…
否シュートの美しさだけであれば、独特な彼のシュートより美しいかもしれない。
そしてその後に見せるのはムカつくほど冷静な表情ではなく、嬉しそうな、楽しそうな喜びを表すそれで。

あ、と黄瀬は自分のなかで何かが落ちるのを感じた。
とくん、と心臓が高鳴る。
あれ、と自分の胸に手を置いたところで、黄瀬の背中に痛すぎる蹴りが叩き込まれた。





一方その頃
あーあ、と高尾は金髪の先輩にバレぬようにため息をついた。
最後に会ったのは確か入学式の日だったから、もう丸二週間は会っていないことになる。
彼女が自分に興味などなくてもいい。
ただ、自分が彼女に会いたいだけで…
まあ会えば会えたで欲は膨らむがそれはしょうがないというものなのだけど。

それでも、彼女は、寂しいと思ってくれているのだろうか。
少しは自分のことを考えてくれるのだろうか?

そんなもの思いをしながらも、高尾はその器用さを存分に了解して空いているエース様にパスを出した。
いや、それはないな、と心の中で苦笑して…


けれどそんな日常にすら、チャンスはふと現れる。
個人練習を終えた高尾は、駅で読みたい漫画と欲しかった楽譜を買いチャリ置き場へ向かった。
そこは毎朝彼女が使っているチャリ置き場で、けれど見渡すところ人はいない。
まあ、会えるわけねえよな。
つか、俺女々しくね?
なんて自虐の言葉さえ浮かんでくる。
こんなところで彼女に会えるなんて、どれくらいの確率なんだろうか。

けれど…


「あれ、和成じゃん。どーしたの、こんなとこで」

幻聴かと思い振り返ると、ちゃんと長い黒髪を一つに束ねた名前がそこにいた。
どうやら、天は俺にも味方してくれるらしい。
そう思って、高尾はニヤリと口の端を持ち上げ左手に持った漫画と楽譜を見せた。
























恋の契機は転がって


彼らは彼女に恋をする





「学校、楽しい?」

二人でチャリに乗りながら名前が尋ねた。

「たのしーよ、学校にすんげえおもしれー奴いんの!ほら、キセキの世代の緑間真太郎。アイツおは朝のラッキーアイテム毎日持ってくんだぜ」

ケタケタ笑いながら高尾が話すと、名前がそーいえば、と口を開いた。

「ウチの学校にもいるんだけどさ、キセキの世代。確か、黄瀬涼太だったかな、モデルの。なんかアイツ犬みたいに私のあとついてくんの。しかも変なあだ名までつけられてさー」

高尾はその言葉にへー、と言いながらも焦燥を感じた。
今日一日、そのせいでめっちゃ疲れたよ、と笑う名前の横顔を見ながら、高尾は黄瀬に対する警戒心を強めるのだった。





幼いころからの恋が脅かされることを、この時高尾は直感したかもしれなかった。
















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