無表情と無味乾燥
※オーケストラ部 個人練習にて
(先輩二年生一回目) 


 

廊下にて、折り畳み式の背の高い譜面台を前に立つ。
背の低いロッカーの上には楽器のケースと小さなマイクが繋がったチューナー、そして腕時計と筆記具。

黒のスラックスに半袖シャツ。極一般的な男子高校生の制服。


一通り音出しを終え次の演奏会の曲を申し訳程度に練習した後、何を弾こうか迷って――結局違う曲を弾き始めた
途端、滑らかな低音が響く。所々引っ掛かりはするが、聞くに堪えない程ではない。
それは彼が最近手にいれた楽譜で、弾き始めて一年やそこらでは弾けないような、比較的難易度の高い曲。


遠くからも同じ楽器の音色が複数聞こえるが、我関せずに彼は一人で引き続ける。
どこまでも無表情なのに、生み出す音は意外にも感情豊かなものだった。
開かれていた窓からは風と共に野球部の掛け声が飛び込んでくる



「せーんぱいっ」


闖入者は女生徒だった。黒色に赤いラインが数本入った襟とカフスの白い半袖セーラー服。
数センチ程だがこの辺りでは珍しくスカートは膝上。黒いハイソックス。

確か部内のあだ名は"つるみん"だったか。一年生な上にパートが違うからあまり確かでないけれど。と思いながら振り返る。 彼女の手にはファイルと楽器。


「ええっとどしたの? わからないとこあった?」
「ここのところが綺麗に弾けなくって…。あとこことここの繋ぎもなんですけど」
「あーうん。ここなぁ…確かにちょっと難しめかもな ふーんふふふんふんふふふん……」


鼻唄を歌いながら楽譜を捲る。何年も前に弾いたことのあるメロディ。初心者向けの曲ではあるが、始めて数ヵ月が弾くには少し難しい気もする。流石あの変人が顧問なだけある。とそこで顧問の化学教師のチェシャ猫顔が浮かぶがしかし。


「あと やっぱり指が追い付かなくって… こことか特になんですけど」
「まぁ初心者には難しいと思うよー まぁ練習次第で指はどうにかなると思うけど… ってヴァイオリンの子にききなよ。知ってると思うけど俺ヴィオラだよ?」
「でもヴァイオリン上手いですよね先輩 少なくともコンマスの先輩より」
「……まぁ否定はしないけど」


それは確かに事実だった。当たり前だ。弾いてきた年数が違う。


「だからきいてみよーかなーっと思いまして」
「まぁ俺も別に暇だしいいけどさ」
「ですよねー さっきまで音ずらして弾いてたのってバッハのシャコンヌですよね流石先輩。あれは二年やそこらであーゆーふうに弾けるようになるものでないと思うんですが」
「よくわかったなー うん 五歳からヴァイオリン習ってたから」
「やっぱり! でもなんでヴァイオリンにしなかったんですか?」

「あー……ヴィオラやってみたかったから?」
「成る程そんな理由…… ってあれ?習ってたってことは辞めちゃったんですか?」
「うん 高校入ったとき位に先生が亡くなってね それからずっと習ってないよ」
「そうだったんですか……」


それが大きな理由ではあるが、決定的な理由ではない。
他に教室を紹介してもらうことも出来たし、事実提案はされた。それを受けなかったのは、音大に行く気もなく、これから続けることに疑問をもったからだったが。



「まぁだからちょっと遅れて入部したんだけどな」
「へー先輩って途中入部だったんですか」
「つっても数ヵ月程なー」

と、ひとつの空白


「なるほど、先輩があんまりつるまないのって……」
「ちょっ俺浮いてないからな! ぼっちが好きなだけだからな!! つかそれとこれとは関係ないって」

「そっちじゃなくって 先輩若干浮いてるっていうか一人で練習してるのが多いのってハッキリ言って先輩が上手すぎるからなんじゃないですか? あと大量の欠席と」


この頃の子って鋭いねぇ…というかはっきり言うねぇ……と年寄りじみたことを彼は思う。
確かに彼女の言うことは正解で、ヴァイオリンの同級生達には遠巻きにされている。先輩達は対抗心とかそういうものがないのか、よく絡んでくるが。
というか、可愛がられてると言ってもいいかもしれない。
ヴィオラの同級生は……腫れ物扱いというのが当てはまるかもしれない。主に欠席のせいで。
回想を溜め息に変え、返事は。


「……さてとねぇ」
「なので先輩私に教えてください!」
「全然意味わからんいや教えるけど。というか一回弾いてみてよ聞かなきゃ教えようがないじゃん」
「わかりましたー! つるみんいっきまーす」


と意味不明に弾き始めた彼女の弓をもつ手は極自然で、左手にも全く余計な力は入らず、その弾く姿はヴァイオリンを始めて半年も経たないとは全く思えなかった。
綺麗に弾けないと彼女が主張したところも、僅かな差でしかなく気をつけて聞かなければ全く気にならない。
指が追い付かないとは言うものの慣れればヴァイオリンパートの誰より早く弾けるようになるだろうその正確さ。

不自然な程にこの女生徒は上手い。


「……ホントに高校入ってから始めたわけ?」
「え?あぁ、はい。 ピアノは習ってましたけど。」
「俺が教える必要なくない? ハッキリ言って二年より上手いだろ」


彼が投げ遣りに言うと彼女はぐしゃりと笑った。
ちょっと泣きそうで、困ったような、そんな笑顔に顔を変形させた彼女は。


「気持ち悪くありませんか?」
「? あぁ 上手すぎるのが?」
「……まぁそれもですけど。あまりに感情がこもらないことが」
「まぁ正確過ぎて面白みにはかけるかな」

「音を出す機械みたいだって先輩に言われたんですが」


意を決して言ったようだがしかし、彼にはそれが先輩からこの女生徒への言いがかりにしか聞こえなかった。
確かに楽譜通りすぎ正確すぎる演奏だが、機械は言い過ぎだし、初心者だらけのオーケストラではそう指揮者も解釈を変えたりなぞしないし、細かく気にもしまい。機械っぽくとも正確に弾けるのはそう不利なことではない。

あくまでこの部内においては、だが。



「え?あいつらもそんな人の事言えないと思うけど。
つか一年やそこらで感情豊かにきれーに演奏できる方が怖いわ。つか、単にやっかみだと思うけど。つるみんちゃんが上手い故の」
「先輩は……どうしてあんなにきれいな音が出せるんですか」
「まぁキャリアが違うから?」

「そうじゃなくって。あんなに無表情で弾いてらしたのになんであんなに」

「んーそればっかりは結構感覚で弾いてるから俺自身にはよく分からん。と言うか聞く方は大丈夫なんだなつるみんちゃん。」



不満そうに膨らむ頬。上目遣いに睨む瞳。


「つるみんじゃなくって本名で呼んでいただけませんか?」
「いいけど……君も不本意なあだ名つけられた口か。ごめん、名前なんだったっけ?」
「岡田千鶴子です。」
「じゃ 岡田ちゃんでいい? あとさ、出来たら俺も本名で呼んで欲しいかも」
「すいませんお名前を…… あだ名がインパクトありすぎて」
「だよなー。男にカミツレってどんなセンスかと思うよな! 山神将暉。改めてよろしく」

「はい よろしくおねがいします マサキ先輩!」


ん?あり?そこは名字じゃないのか。とは思ったが、後輩の笑顔の前に文句なぞ言えるわけもない。
二回り程小さな丈の少女は満面の笑みで滑らかに弾きだすが、だがしかしやはり無味乾燥としたものでしかなかった。


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