「一発殴らせてくれないか。」

そいつは初めにそう言った。
C級ヒーローを自称するナナシという名の男は突然ふらりと現れた。ナナシはゾンビマンの事を知っていた。ファンでもあるとも言ってきた。
S級ヒーローに昇格して不死身のヒーローとそこそこの知名度を持っている身なので別に不思議ではなかったが、人気のない路地裏に呼び出されるいわれはないと思った。相手が女性だったならよかったがナナシは男で、そしてヒーローだった。
C級ヒーローがS級ヒーローを呼び出して何を言うのかと思えば「殴らせてくれ」。
お前は何を言っているんだとゾンビマンは呆れを通り越して笑ってしまった。まさかC級から昇格できない僻みか。そしてそれをS級のゾンビマンにぶつけようとは。
そいつが全くもって真面目な顔付きをしているのも笑えた。非常識な言動を素でやってしまうタイプなのだろうか。
闇討ちしないで面と向かって"お願い"するだけマシかもしれないだなんて思って、それでつい許可をしてしまったのだ。
どうせ不死身で、始終スプラッタな事になっていて痛みに慣れている身体なので一発C級ヒーローに殴られるくらい別になんて事もないだろうと。


迫る拳を全く目で追えなかった。
不可視で不可避で無慈悲な拳は呆気なくゾンビマンの右頬に激突し、そして呆気なくその頭から上をごっそりと持って行ったのだ。
拳が頬骨を砕くのも無理な回転で首の骨が折れるのも頭部のみに掛かったとんでもない衝撃に首の組織が千切れ頭が身体からおさらばするのもそれでもまだ有り余る衝撃が脳漿をぶちまけさせるのも、ほんの数コンマ一秒に起きた事で



「おはよう。」

今日も変わらずどこか満足げな声で言われた朝のあいさつにゾンビマンは閉じていた瞳を開けた。
いい仕事した、とでも言いたげな目で此方を見下ろす男へ溜め息と皮肉の一つでも言ってやろうとして、止めた。
まだ肺や横隔膜の組織が回復していない。これでは喋る事ができない。
起こすならせめて五体満足になってからして欲しいものだとゾンビマンは思った。

「今日どこで食う?ラーメン屋はこの前行ったよな。」
「寿司か焼き肉。」
「だめ。高い。」
「…サイゼリヤ。」
「分かった。行こう。じゃそこのコンビニで手洗ってくる。」

男はべったりと血の付着した右手を振ると行ってしまった。
それを見送りゾンビマンは生まれたままの格好で大きく溜め息を吐いた。


こいつに"殺された"のは何度目だろうとぼんやり考える。きっと20か30か、とにかく両の手では数え切れないくらいだ。
初めは殺されるつもりなんてなかった。まさかC級ヒーローの拳が一撃で人の頭を消し飛ばすなど誰も思わないだろう。ゾンビマンも初めてナナシに一発で殴り殺された時何がなんだか訳がわからなかった。
気付いてみれば、自分は衣類を纏わぬ再生したての身体で横たわり、つい先程まで自分の頭が繋がっていただろう首から下はただの肉塊と化していた。
四肢はバラバラにもぎ取られ、腹は切り裂かれ、中身の臓物と骨は無造作かつ無秩序に引きずり出されて地面へと叩き付けられていた。
見るも無残な昼間の街にあるまじきスプラッタな殺人現場がそこには広がっていて。テレビ放送するならば辺り一面モザイクが掛けられるような場所の真ん中でナナシは血に染まった手で腸と思しき物体を千切りながらそれはそれは綺麗な笑みをゾンビマンに向けて言ったのだ。

「なあ、今度また殺していい?」



本人曰わく、「ムラムラする」
本人曰わく、「でも殺人罪で捕まるのはヤダ」
本人曰わく、「怪人認定されて消されるのもイヤ」

だから不死身体質のゾンビマンを殺させてくれと言うのだ。

ふざけるなと思った。
猟奇的殺人鬼の殺人衝動を慰めるために何故自分が殺されてやらなければいけないのか。痛みには大分鈍感になったとは言え、"死ぬ"のだって楽ではないのだ。
殺人衝動を抑えたいならばさっさと精神科医に掛かるか何かしろと言うゾンビマンだったが、ナナシはけたけたと笑いながら返したのだ。「ギブアンドテイクだよ」と。

「死ねないの、嫌じゃないのか?刺しても砕いても裂かれても死ねないで永遠に生き続けるなんて、俺だったら狂っちまうよ。老衰できるかも分からないんだろ?何十年、何百年、何千年って生き続けなきゃならないなんて苦しくねぇのか?嫌だろ?嫌なんだろ?じゃなかったら、わざわざ避けられる怪人共の攻撃を受けてみたりなんかしないよな。確かめたくなるんだろ?自分が死ねるかどうかって。」

この場の惨状をもたらした人物とは思えない程、ナナシは屈託のない、悪意を知らない無邪気な少年のような笑顔をしていた。
悪戯を思い付いた悪ガキというよりも、母親への素敵なプレゼントを思い付いた心優しい少年のような表情で言ったのだ。


「だから俺が殺してやるよ。そうなる前に楽にしてやる。下手な鉄砲も数打ちゃって言うだろ。
俺は殺したい、お前は死にたい。最高のギブアンドテイクだって思わないか?
なあ、頼むよ。」

手の中の臓物を引きずり、赤い蚯蚓を地面に這わせながら此方へと歩み寄ってくるナナシは、そして一切の表情を消してゾンビマンに囁いたのだ。

「お前しかいないんだ。」





「どうした?食わないの?」

ミートソースの掛かったオーソドックスなパスタを咀嚼しながらナナシは首を傾げた。
口の周りを赤く汚しながらも構わずがっつく姿は、まあ25という年齢にしては些か落ち着きがないものだったが、そこらにいる活発な若者そのもので。

「本当に、お前ってよく分からねぇわ。」
「そうか?分かりやすいってよく言われるんだけどな。」

"お前しかいないんだ"なんて口説き文句に絆された訳では、多分ない。不死身体質を持て余して将来への不安から目を逸らす自分の心理をピタリ言い当てられてそのギブアンドテイクとやらに乗ってしまった訳でもない、はずだ。
後になって考察してみる機会は多々あったが、どこをどう間違ってナナシとの付き合いを始めてしまったのか、本当の所はゾンビマン自身にもよく分からない。

結局あの後、本体と共にズタズタになった服をどうしてくれると文句をつけたゾンビマンに、ナナシは代わりの服をどこからか持ってきた。それでもナナシの提案に同意を示さないゾンビマンに「なら昼飯奢るから」と条件を付けられて、ファミレスへ連行されて飯を食べながら世間話をする内に何故だか「また殺しにくるから」と約束を取り付けられてしまった。

成り行きだ。掴み所のないナナシの調子にいいように乗せられていいように殺されている。それでなんやかんやで良しとしている自分は呆れた人好しなのか、死に過ぎて可笑しな趣味に目覚めてしまったのかと偶に頭が痛くなる。

そんな自分勝手で猟奇殺人鬼みたいなナナシに唯一の救いがあるとすれば、彼はヒーローを尊敬し、また自身も立派なヒーローになりたいと思っている事だ。
話を聞けば、どうもナナシはヒーローとしての正義感どころか人間としての倫理観が欠けているらしい。本人に自覚もあるし改善しようとする気もあるのに上手くいかないらしい。加えて半分くらい怪人化しているせいで殺人衝動まで湧いてくるのだという。
それらを矯正して立派なヒーローになる一環としてこの"殺人"があるのだそうだ。

ゾンビマンや他のヒーローへの敬意やヒーローへの憧れは本物らしいので、協力してやってもいいかもしれない。少なくともナナシの殺人衝動の捌け口が一般市民に向いて惨事が起きる前に対策を打っておくのがヒーローとしての責任だろう。
と、判断したのがナナシと付き合いを続ける今の所の理由である。

「やられっぱなしじゃ腹立つんならお前もやり返したっていいんだからな。」

唐突にナナシはそんな事を言った。

「何時だって俺の事殺したっていいぜ。偶にはやり返せば?」
「なんだ、ヒーローに消されるのは嫌だとか言ってなかったか。」
「それは嫌だけど。」
「だけどなんだよ。しかし珍しいな、お前がそんな事言うなんて。殺し飽きて自分が死にたくなったか?」

フォークでそれをくるくると無闇に無駄に巻き込み続けながらナナシは黙ってしまった。どこかボンヤリとした顔で皿に目を落としたまま口を開かない。

無言は肯定と取ってもいいのだろうか。だとしたらこれは祝い物の出来事だ。

「なら俺の役目はもう終わりって事でいいか?殺し飽きたんならもう殺人衝動も起きないだろ。いい加減まともにヒーローとして…」

言いかけたゾンビマンの頬を何かが掠めた。弾丸めいたスピードで頬の皮膚と血管を薄く裂き、後方の背もたれに深く突き刺さったのは銀色の使い古されたようなフォークだった。
あっという間に治癒が始まるのを感じながら、それを投擲した男の目が僅かに狂気を孕んでいるのを見ながら小さく溜め息を吐いた。
殺気と呼ぶべき邪悪な気配を滲ませながらナナシが低い声で言う。

「馬鹿言うな。俺は殺し飽きてなんかいない。全然、足りないくらいだ。お役御免なんて許さねえ。」

まさかこの真っ昼間のファミレスで先程と同様の解体ショーを繰り広げるつもりかと、キレたナナシが周りの一般人へ危害を加えるのではと、腰元のホルスターへ収まった拳銃へと手を伸ばすが

「ただ、」

しかしナナシは、ふと小さく笑うと急に殺気を収めてひらりと軽く手を振った。

「死にたくなったってのは、そうかもしれねえや。」

ナナシのそんな弱気な口調と表情を初めて見た。ゾンビマンは拳銃を掴むのも忘れてナナシを凝視する。
その視線に気付いてか、すぐにいつもの飄々とした笑みを浮かべたナナシだが、取り繕っているのは見え見えだった。

「死んだら生まれ変わる、とかあるだろ。ああいうのに縋ってみたくなった。…ちょっとだけな。」
「…生まれ変わったら何になるつもりだよ。」
「真っ当なヒーローに決まってんだろ。正義感溢れる、格好いい奴。」
「…ハッ、お前の現世の行いじゃロクなもんに生まれ変われないんじゃないか。」
「言うだけなら自由さ。だからその点お前は本当に救いようがないよな、不死身だなんてよ。」
「別に、良いことだろ。俺はずっと俺のままでいれるんだ。」

そう返せばナナシはキョトンと首を傾げて何かを考えるように数秒の間を置いた後、ぼそりと零した。

「羨ましいよ。」

その言葉に嘘はないのだろうとゾンビマンは直感した。
ナナシの目の語った感情をゾンビマンは見逃さなかった。羨望と尊敬とそれから嫉妬と。

自分が嫌いだとナナシは言った。ヒーローでありたいと思う反面、倫理観も情緒も欠如した半分怪人化したような自分が嫌なのだと言っていた。
ゾンビマンとてさして自分が好きと言う訳でない。
不死身シリーズの実験体サンプル66号という忌々しい過去の称号と望んでもいない不死身の体質を永遠に背負っていかねばならない自分自身とその運命に対して諸手を挙げて好きだなどとは決して言えはしない。
だが、今の自分があるのはそんな過去の積み重ねな訳で。ヒーローとして活動するのに不死身体質が役立っている事を考えるならば、少しくらい……(死にてぇのはどっちだよ。)

ナナシは不死身ではないが、ナナシを殺せる存在がこの世にいるのかと思ってしまう程桁外れに頑健で強かった。
呆れてしまう。
"死ねないの、嫌じゃないのか"だなんて台詞は見事なブーメランじゃないか。
ゾンビマンは自分がきちんと死を迎える事ができるのか不安になることはあるものの、だからと言って今すぐ死にたいとは思わない。ナナシに殺されてやっているのだって、どうせ自分は死なないだろうという自信が前提にあっての話だ。
結局初めから死にたい殺されたいだなどと非生物的な願望を抱いていたのはナナシの方で、殺人衝動を収めるついでに自分の代わりのようにゾンビマンをズタズタに殺していたのだ。毎度のオーバーキルな惨殺も、純粋な人間とは言い難い怪人寄りな体質でありながらヒーローとしての気概を持つゾンビマンへの嫉妬が含まれていたからと考えるならば納得だ。

歪んでやがるな、とは思う。
数十回と殺されて、数十回と共に飯を食って漸くほんの少しだけ理解できるような回りくどく捻子曲がったナナシの感情。
心底面倒臭い。

「いいだろ。俺は今の生活も今の自分もなかなかどうして嫌いじゃねぇんだ。」

少し自慢気な口調でそう言ってやった。怒るだろうかと思ったが、ナナシは重く苛立ちを含んだような溜め息を吐いたものの、口調こそ乱暴なものの、吐き捨てた言葉はゾンビマンの予想から大きく外れていた。

「じゃあお前は永遠に生き続けてろよ。俺は少なくとも老衰で死んでやるけどな!お前はずーっとずーっとヒーローやってりゃいいさ!何十年も何百年もな!そしたら俺が…―…時は…」

最後の方の台詞は聞き取れなかった。尻すぼみになっていって、そして小さな溜め息を吐いて薄く笑った。「なんてな。」

「まあとにかく。お前は俺が必ず殺してやるから、安心して職務を真っ当すりゃいいよって話。」

早口で言われた言い訳めいた言葉に、嘘吐けよとゾンビマンは思った。
聞き取れなかった言葉の続きは紛れもなくナナシの本心だった。
つまりナナシはもう今の自分、現世の自分に期待なんかしちゃいないのだ。人として、ヒーローとして生きていく事が今の自分には出来ないと諦めている。
だから死んで生まれ変わって…だなんてそんな戯れ言を吐いてみせる。
心底面倒くさくて馬鹿げた考えだ。

「先行くわ。スッキリしたし、腹も膨れたし、帰って寝る。」

席を立ちつつ伝票をプラスチックの筒から抜き取って、ズボンのポケットを漁りながらナナシは足早に去ろうとする。
その後ろ姿を敢えて見ずにゾンビマンは独り言のように呟いた。

「わざわざ死ななくたって、人は変われるもんじゃないのか?」

足を止めたがナナシは振り返らなかった。ほんの少しの間を置いた後、抑揚のない声でボソリと言った。

「かもな。けど生憎俺は"人"じゃない。」

ナナシは今度こそ去っていった。
背もたれに刺さったままだったフォークを抜いて、いつの間にか空になっているナナシの皿に投げつけるように戻す。

「…面倒臭ぇ奴。」

屁理屈みたいな事を言いやがって。
人だ怪人だ、そんな区分をしての言葉じゃないとナナシだって分かっていただろうに。しかも、ナナシと同じく人と怪人の間にいるようなゾンビマンに言い返した所で説得力はないとも分かっていただろうに。

そちらが屁理屈をごねるならこっちだってごねてやろう。
俺だって変わる。食べ物や武器の好みは勿論変わる。内面も外面も成長という形で変わった。まだまだひよっこで世間を知らない十年前と変わらぬままな訳がない。
生物たるもの変化せずにはいられない。否、生物だけじゃない。万物は流転するだなんて言葉を残したのはどこの哲学者だったか。

(まだ諦めるには早いだろうよ。)

幸い此方は不死身なのだ。ナナシの殺人衝動にも相手をしてやれるし、ナナシが本当に老衰で死ぬまでだって十分生きていられる自信がある。それはつまり、ナナシの更生にとことん付き合ってやろうという結論で、ゾンビマンは我ながら呆れた。
理想と自身の現実の落差、それから殺人衝動に苦しむ青年を文字通り身を呈して救ってやろうというのだ。これをヒーローと言わずしてなんと言うのか。
玉砕が前提のようなゾンビマンのスタイルをナナシはたまに揶揄する事があるし、今後もするだろう。今度言われた時は「ヒーローらしいだろ」と言ってみようかと思ったがそれだとヒーローに憧れるナナシは嫉妬するかもしれない。
ならば、
「ヒーロー仲間が困っているのだから当然だろう」
こう言ってみようか。そしたらナナシはどう反応するだろう。何かが変わってくれるだろうか。
変わってくれるといい。
ゾンビマンとて、人外同士背中合わせで怪人と対峙するなんて理想を頭に過ぎらせない訳ではないのだ。
ただ、そんな自分の理想を正面切ってナナシに言ってやれる程、ゾンビマンとて素直ではなかった。

「本当、面倒臭ぇ奴。」

それはどちらへ向けた言葉か、ゾンビマンにも分からなかった。

その時は君の隣で
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