俺には弟がいた。それも顔も声も瓜二つな弟。所謂双子と言う奴だ。仲は良かったと思う。いつでも2人一緒だった。海が近かったから毎日のように二人で砂浜を駆け回った。かくれんぼ、駆けっこ、チャンバラ、ヒーローごっこ。時には兄弟喧嘩もしたけど、すぐに仲直りしてまた2人で遊んだ。それは仲睦まじい双子だった。裕福でもないが貧乏でもない家庭。帰れば優しい母と父が迎えてくれた。
しかしそんな幸せな毎日は突然終わりを告げた。


俺達が9才の時、父の会社が倒産した。父は多額の借金を抱えた。そんなありがちな理由で俺の家族はあっという間に貧乏になった。食べる物にも事欠く毎日は、両親の仲を引き裂くには十分な物だった。両親は離婚。俺達双子は母親に引き取られた。それでも生活が改善した訳じゃない。
ジリ貧生活1年目。その日は俺達の誕生日だった。ケーキを買ってくると出掛けて行った母と弟。そんなお金がどこにあるのだろうと、子供心に思いながらも二人の帰りを俺は待った。夕方、母がケーキを持って帰ってきた。しかし弟が見当たらない。どうしたのかと尋ねる俺を抱きしめ母は一言告げたのだ。
  

  「あの子の分まであなたが生きて。」


唐突過ぎて涙も出なかった。その夜俺は、母のすすり泣きを聞きながら無言でケーキを食べた。二人分のケーキは俺の腹を十分過ぎる程満たした。










死んだのかと思っていた。あの日の帰り道、弟は不運な事故で死んでしまって葬儀もできない母が泣く泣くどこかに葬ったのだと、本気でそう信じ続けてきた。
母は疾うに死んでしまって、一人暮らしは8年目だった。家から一歩も出ない日がほとんどな俺は所謂引き籠もり。それでもコンピューター関係に才能に恵まれたお陰で収入もあり、可もなく不可もないまずまずな生活を送っていた。
そんなある日、街中でいきなり話し掛けてきた初対面の女性の言葉によって、そのぬるま湯みたいな生活は幕を閉じたのだ。


  「もしかして、ゾンビマンさんですか?私、あなたのファンなんです!!」


何の冗談を言っているのかと思った。そんな変な名前の有名人は聞いたことがない。この女性は俺をからかっているのだろうと、相手にせず家に帰った。それでも頭の片隅に引っ掛かかった女性の言葉。
気付けば検索エンジンを開きキーボードを指で弾いていた。「ゾンビマン」と。


期待の新人ヒーロー、ゾンビマン。何度殺されようともゾンビの如く立ち上がり怪人を倒すまさに不死身のヒーロー。
ヒーロー協会公式ホームページの彼の顔写真に写っていたのはまさに"俺"だった。瞳の赤と肌の異常な血色の悪さを除いては。


真っ先に俺は死別したはずの弟のことを思い浮かべた。死んだと思っていた兄弟が生きていたと知って喜ばない奴はいない。勿論俺は歓喜した。すぐに彼に連絡を取ろうと思ったが、ある噂をネットで見かけてそれを止めた。
「ヒーロー・ゾンビマンは危ない研究所から逃げだしてきた実験体らしい。」
俺はあらゆる機関、研究所のコンピューターをハッキングして情報を掻き集めた。弟があれからどこでどんな目にあっていたのか。なぜゾンビマンと呼ばれるような不死身というステータスを身に付けたのか。それらの事実は俺を打ちのめした。歓喜はとてつもない自己嫌悪と罪悪感に取って変わった。初めて俺が自殺願望を持った瞬間だった。





会うつもりはなかった。合わせる顔もなければその資格もないと思っていた。
それでも、現にこうして再び出会ってしまった。殺されたくて怪人と相対していた俺を彼が救うなどという形で。運命の女神という奴は皮肉がお好きらしい。


「なあ、あんた。」


ああ、やっぱり。大人になった今も声すらそっくり…いや、同じなんだな。俺達は。
血糊のベッタリ付いた斧を片手に、彼は遠慮がちに問うてきた。


「それは怪我でもしたのか?見ようによっちゃ怪人みたいだぜ。」


彼が言っているのは、頭から顔までグルグルと覆うこの包帯のことだろう。隙間から覗くのは黒髪と、視界を保つための目くらいだ。ミイラ男と言われても反論はできない。


真実を知ったあの日から、俺は自分の顔に包帯を巻いた。外出の際にまた彼と見間違えられないようにというのもある。しかしそれ以上に俺は自分の顔を見たくなかった。
鏡に映るそれも、暗転したディスプレイに映るそれも、俺の目には赤い目をしてこちらを睨む片割れの顔に見えて仕方がなかった。「お前達のせいで俺がどんな目にあったと思ってるんだ」その片割れは俺をそう責めていた。
いつか実物が俺を殺しに来るのだろうと思っていたのに…


何も答えない俺を訝しげに見つめる彼は「まさか怪人化なんてしてねぇよな。」そんなことを言う始末なので、俺は少し考えた後、尻ポケットからスマートフォンを取り出した。人差し指で画面をタップして、完成した文字の羅列を彼に突き付ける。


[助かった。ありがとう。]


今の今まで無言だった俺が突然感謝の意を示したのに驚いたのか、変わった意思表示をしたのを奇妙に思ったのか、彼はその赤い目を少し見開いた。


「ああ、大したことはねぇ。あんたに怪我がなさそうでよかったよ。」


彼は小さく笑ってそう言うと、ボロボロにくたびれたコートから煙草を取り出しふかし始めた。
やめてくれ、怪我がなくてよかっただなんてお前に言われていいような人間じゃないんだよ、俺は。


彼がいなくなってから、俺と母の生活は大分マシなものになった。それは口減らしが功を奏しただけではなかったのを、俺はどうして今まで気付かなかったのか。ケーキを買ったり、俺に義務教育を受けさせられる程の大金をどこで手に入れたのか、その代償になくなった存在を考えればすぐに答えは出たはずじゃないか。自分の生活のため頭のいかれた研究所に息子を売りつけるという最低のことを母がやってのけたのだと、もっと早くに気付けたはずなのに。
だが、俺に母を責める資格はない。俺も同罪なのだ。血を分けたたった一人の弟。同じ顔をした双子の方割れ。それを犠牲にして、二人分の人生を享受していた俺も母と同じ、最低の人間だ。


なあ、お前は俺を怒らないのか?お前に殺されたって文句なんて言えないくらい、俺は最低なことをしていたんだぞ。
真っ先に俺と母に復讐しに来るのかと思ったけど、お前はそれをしなかったな。もう俺のことなんて顔も見たくもないのか?それとも本当に忘れちまったのか?

それなら、それでいいんだ。俺はお前に償うことも出来なければ、お前の受けた傷を清算してやることも出来ない。だったらお前を見捨てたクソ兄貴のことなんて忘れたまま生きていて欲しい。
ただ、俺が心配なのは一つだけなんだ。



[1つ、訊きたいんだが。]

「なんだ?」

[今、お前は幸せか?]


躊躇いがちに打って、俯きながら差し出したその文字を見て、彼ははあ?と少し間の抜けた声を出した。
俺の真意を探るように、赤い目がこっちをじっと見つめる。その目を見つめることなんて出来なかった。やっぱり何でもないと打とうとした時、彼はおもむろに口を開いた。
「なんでんなこと訊くのかこっちが訊きたいくらいだが…。」ポリポリと頭を掻きながら彼は続けた。


「幸せ…なんだと思うぜ。こうやってヒーロー活動も出来てることだしな。」


そっか。幸せか…。
彼の口からその言葉を聞けて、一気に胸が苦しくなった。目の辺りが熱くて仕方ない。
視界を滲ませる液体の理由は、多分安堵だ。
彼が実験体として過ごした日々は決して幸せなんてものじゃなく、苦痛に満ちた最悪のものだっただろう。その事実はもう変えることはできない。だったらせめて、今は幸せであって欲しいと、そう願っての問いだった。
その彼の答えで俺の咎が消えるわけなどないと、勿論分かっている。だけど、それでも。お前の幸せに安堵と喜びを抱くくらいはどうか許して欲しい。
本当に、よかったと。


[俺、お前のファンだから、ちょっと気になってな。]

「そうなのか?そりゃどうも。」


俺の顔がどんなに歪んでるかは彼には分からないだろう。それでいい。表情も造詣も全てを隠してくれる包帯の存在が有り難い。
しかしそんな包帯も、目だけは隠してはくれなかった。


「あんた…まさか泣いてんのか?目、赤いぞ。」


そう指摘されて思わず明後日の方角を向く。涙は零れ落ちる前に包帯に吸われていくが、充血した目はこうすることでしか隠しようがなかった。
何か言いたげな彼が口を開く前に、再び電子機器に文字を打ち込む。


[潮風が目にしみるんだよ。]

「潮風?ここは海から離れてるだろ。変な奴だな。」


首を傾げている彼は、さらに付け加える。


「泣くほど怖かったんなら逃げればよかっただろ。あんたが逃げようともせず怪人と向き合ってた時はもう間に合わねぇかと思ったぜ。」


死ぬつもりだった、なんて言えるわけもない。お前がいつまで経っても殺しに来ないから、待ちきれなくなって自分から死にに行ったなんて口が裂けても言えやしない。


[足が竦んで、動けなかったんだ。]

「そうか…。まあ何にせよ無事でよかったぜ。今度から気を付けろよ。じゃあな。」


そう言ってくるりと踵を返した彼は歩き出す。行ってしまう彼の背中を見送るのが辛いだなんて、思ってはならない。最後に、一言くらい言いたいことも言えないのかと唇を噛み締めるのも許されない。
ぎこちなく口角を上げた俺は、遠ざかりつつある彼の背中へ小さく呟く。


「俺の分まで、幸せに。」


俺が背を向ける瞬間、彼が振り返ったような気がした。

自殺志願者の願い
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