oh my hero

いたい

いたい、いたい



いたくない

いたい、ううん、いたくないよ


痛みなどなくなるくらいもう十分、いたい

痛みを忘れたから、あたしに思い出すものなどもう何もないの





殴られた腕は青い。引っ掻かれた腕からは血が滴る。それはただの事実で、そこからはどんな感情や感覚も生まれてくることはない。
この腕は打撲によって皮膚の中で出血し変色しているだけ。この腕は破れた皮膚から中身が滴り落ちているだけ。傷を負ったらそれ相応の変化が身体に起こることは必然のこと。痛みを感じることは馬鹿らしい。

「あーイライラする」

「それならあいつ殴ってスッキリしようぜ」

「「寅」」

痛々しい音。陰湿な笑い声。だけどあたしは痛くないから。どこも痛くないから。そんな気持ち、感覚、もう忘れてしまったから。
ああどうしてかな。いつからだったのかな。何がいけなかったのかな。あたしの目の前であたしを殴る彼は、彼女は、以前はあたしの目の前で笑って、もっと優しく名を呼んでた。今となっては知らない子だって、もう味方なんかいないけどさ。ああほんと、どうしてなのかなぁ。

いけない。考えちゃいけない。忘れてなきゃいけない。思い出すと痛みも思い出すんだろう。


『えっとー、5時間目は僕、生徒会長からのありがたーいお話しがあるから通常の授業を中止して体育館に集まってねー!』

明るい声が放送で流れる。ああ確かこの人の声、知ってる。少し前の雨の日に、なんだか泣いているような声がしたから「どうしたの」って声をかけたんだ。知らない子だったけど。


「靴隠されちゃって」

「いいよ、新しいの買うし」

「今日はそのまま帰るね」

「…ちょっとキミ、」


靴は外のゴミ箱で見つかったけど雨だったからどろどろに汚れていた。笑ってありがとうと言った彼の声を次に聞いたのは生徒会選挙だった。見事生徒会長に当選した後は話すこともなく、まあ人間関係なんてこんなものだろうと、思った。

それからしばらくしてからだったかな。痛いことが沢山起こるようになったのは。

それからしばらくしてからだったかな。痛いことを忘れてしまったのは。





「……っ」

「…こいつ、叫びも何もしなくなったな」
「痛くないのかしら」
「ロボットみたい!」
「いや、そんなの」

「ガラクタじゃね?」



これが終わったら体育館に行かなくちゃ。昼休みが終わってしまう。
靴を探していたあの彼はもう遠い前の方にいるけど、あたしはだんだん後ろへ下がってるんじゃないかなあ。進むための足を、たくさん怪我してしまったからなあ。きっともう彼に近づくことはできないんだろう。そんなことを考えながら、今も痛みを感じない。



「やめたげてくれないかなあ?」

目の前に、あたしを庇うような白い腕。見上げるとたじろぐ彼たちと彼女たち。もう少し見上げると

「会長…!」

「ちょっとこの人、借りるね」

されるがままに抱き上げられ、どこか運ばれていく。なんだか久しぶりの心地よさに、戸惑ってしまう。



「…どこですか」
「保健室。すごいよキミの傷」
「痛くないから平気です」
「痛いよ」
「…だから、」
「僕が痛いよ」
「え?」
「キミは僕のヒーローなのに、キミが傷つけられたら僕も痛いじゃないか」

彼は不思議だ。靴を隠されておきながら今じゃ人気者の生徒会長。言ってることもよく分からない。
だけど人とこんなにまともに話すのは久しぶりだったあたしにとって、なんだか彼は…やっぱり不思議だった。

「寅ちゃん」
「…会長さん?」
「白蘭て呼んでね」
「離してください」
「痛い?」

彼はあたしのほっぺをむにとつまんできた。

「痛くないです」
「ほんとのこと言いなよ」
「離してください」
「この傷が痛くないなんて」

彼は脚の青いところや切り傷をみた。

「キミは人間じゃないの?」

キョトンとした、無垢な目。

「ねえ、どうして痛くないの?」

彼は青いところをくっ、と押す。

「痛っ……」
「痛いの?やっぱり?痛いでしょ?」
「………っ」
「よかった」

彼は子どものようなのだ。

「だって痛くて普通だもの。キミは人間でしょ?よかった。やっぱり僕のヒーローだ!」
「ヒーロー…?」
「靴を見つけてくれたヒーロー」

彼は自分の足元を指差した。白い彼の肌には見合わない薄汚れた靴だった。

「あのとき平気なふりをしてたけど、ほんとは僕も痛かったんだ」
「…どこが?」
「心とか」

ズキン。
心が痛むという感覚。この頃は忘れていた気持ち。確かに今、痛かった。

「キミも痛かったんだね。だって、こんなに青くなったり赤くなってるんだものね。だって、こんなにも温かい涙が零れるんだものね」
「………!」

驚くことに私は泣いていて、できた傷が痛くて、心臓も痛くなっていた。どうしても誰かに聞いてほしくてすがりたくて受け入れてほしくなった。自分の弱さを知ってあたしは人間だと知った。それを誰かに見てほしかった。それは彼がよかった。

「…っ、」
「うん」
「助け、て…」
「助けるよ」
「痛い」
「痛いね」
「やだよ、傷つきたくないよ、」
「傷つかないで」
「傷つけられるよ」
「護るよ」
「怖い」
「ここにいるよ」
「遠い」
「触れるよ」

彼はもう一度ほっぺたをつまんだ。

「痛い?」
「…こしょばい」

あ、いま、笑えたかもしれない。






「いいよ、保健室にいなよ」
「でも」
「大した話じゃないから。終わったら戻ってくるよ」
「…うん」

僕は始終にこにこと笑って保健室を後にした。そして体育館へ向かう。彼女は保健室。傷ついた身体を癒やす。そしてせめて心は僕が癒やす。

僕は全校生徒の前に立つ。全校生徒を見下ろす景色にはそろそろ慣れた。マイクを手に取り、特有の耳鳴りを終えたら始まりの合図。


「いい感じだよ。さすが僕の生徒たちだね」

すべて思惑通り。

「これからもそんな感じで続けてってよ」

報酬ははずむからさ。

「なんならもっときつくていい」

僕のために。

「なんなら、今でもいい」

痛みが増すほど僕に助けを求めろ。



「彼女いま、保健室にいるからさ」


痛みが増すほど僕しかいないと感じろ。
僕だけが救いだと。
僕だけが欲しいと。



「たっぷり苦しませてあげてね」



痛みを思い出した彼女は再び傷つくだろう。

その度、僕のぬくもりを求めて

夜中すら泣き叫べばいい

そうして僕に堕ちてゆくキミが見たいんだよ


寅チャン







end



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