短編 | ナノ






ヒビキは一世一代の決心をしてこの日を迎えていた。どれ程までにこの日を待ちわびたことか、ヒビキは拳を震わせた。激しく脈打つ心臓を落ち着かせようとバクフーンに話しかけたが彼同様に緊張しているバクフーンは突然声を掛けられたせいで驚き、ヒビキに向かって噴火をお見舞いしてしまった。数分生死をさ迷ったヒビキは一回り成長してこの世に舞い戻ってきた。緊張感は何処へやら悟りを身につけた彼はまるで仏のような表情で、しかし胸には熱い炎を滾らせ眼前に見えるゲートを見据えた。
やっと、この日が来たのだ。故郷を旅立ってからどれ程の月日がたったろうか。トレーナーになりたての頃はよく些細なドジを繰り返したものだ。落とし穴に落ちたり、木の実と間違ってボングリを食べて腹を壊したり、森で一週間遭難したり…。今となってはどれもいい思い出だ。ヒビキは感慨深気に空を見上げた。雲ひとつない真っ青な空だ。
「バクフーン、」
ヒビキはバクフーン見つめた。お互いの目にお互いを写した二人は自信に満ちた表情で力強く頷いた。
「僕達の新たな旅立ちだ!」
大きな期待と少しの不安を胸に二人は一歩を踏み出した。




「悪いね〜今日リーグお休みなんだわ。」
鯣イカを片手に湯飲みで茶を啜る警備員のななしはやって来た挑戦者、ヒビキにさらりと残酷な一言を言ってのけた。石と化した彼を顔色一つ変えずに見つめていたななしの腕にヒビキがすがり付いた。
「なして?!なして休み?!」
「落ち着け少年」
ヒビキは動揺のあまり顔を真っ青にし口調までもがどこかの方言になってしまった。ヒビキのやや後ろでバクフーンが背中を丸めて指で床に延々と円を書いている。ななしは湯飲みを手に取り喉にお茶を流し込んでからため息を吐いた。
「四天王もチャンピオンも慰安旅行中なんだわ。今日は諦めな少年。」
ヒビキは絶望した。やっとの思いでここまで来たというのに。入口で意気込んで恥ずかしい台詞まで吐いてやって来たというのに、この仕打ちはあんまりにも酷すぎる。生気を失い今にも倒れそうになっているヒビキを初めて気の毒に思ったのかななしは丸い筒に入った鯣イカを一本取り出してヒビキに差し出した。ヒビキはこの日食べた鯣イカの味を忘れる事はないだろうと、奥歯で鯣を噛み締めながら思った。