短編 | ナノ








ワタルさんとつい先程までキスをしていたヒビキは眉を下げて笑っていた。ヒビキに唇を奪われたワタルさんは化石のように動かなくなったのでこれは良い機会だ!と、そのまま放置してあたしとヒビキは場所を移した。ベンチに座って、安堵からくるのか疲れから来るのかは定かではないが兎に角大きな溜め息を吐いたあたしは、どうしてキスをしていたのかをヒビキにまるで子供のやらかした失敗の原因を聞くように優しく諭すように聞いた。するとヒビキはケロリとした表情で「ななしさんが襲われてたので、咄嗟に体が動いて。」と言い放った。

「いや、襲われてたって何?」
「え?キスされそうになってたじゃないですか」
「キスゥ???!あたしが?!」

ワタルさんと?!絶対ない。そんな事天地がひっくり返ってもありえない。胸に抱いた嫌悪感を顔に表して何度も頭を左右に振った。あたしの足元にいるサンダースも全力で顔を左右に振っていた。そうだね、サンダースもワタルさんあんまり好きじゃないもんね。

「とにかく、キスはない。絶対に」

あたしが強く言うとヒビキはコクコクと頷いた。きっとヒビキは勘違いしてる。ワタルさんに睫毛をとってもらってただけなのにキスされそうになってると思ったんだろう。でも仮にあたしが襲われてたとして、助け方には些か理解しかねるけれど、ヒビキが今のように助けてくれたのはとても助かったとおもう。あたしは素直にありがとう、と言うとヒビキは照れたように笑った。

「……僕、」

ヒビキは不意に真剣な顔であたしを見た。

「全部のバッチを手に入れたら、チャンピオンリーグに行きます。」
「…そっか」

ヒビキの瞳は強い光を放っていた。初めて出会った頃からは想像もつかない位にヒビキはポケモン達と共に成長し強くなった。ずっと側で見ていたあたしは彼のちょっとした変化だってわかる。以前はバクフーンから強烈なタックルを受ける度に死の淵に立たされていたヒビキだったけれど今は上手く受け止められるようになっていた。ヒビキの隣を歩くバクフーンはとても嬉しそうに見えた。バッチを手に入れたトレーナー達は必ずチャンピオンリーグに挑戦する。己を高めるために。ヒビキの瞳はあの頃の、自分と一緒だった。あたしは小さく息を吐いてヒビキに向き直った。

「ヒビキなら、大丈夫。だからポケモンも自分も信じて頑張るんだよ。」
「はい師匠!」
「もう師匠じゃないって。」

寂しさを笑って誤魔化したのにヒビキが寂しそうな表情を浮かべたから笑えなくなった。

「えっと、ヒ、ヒビキ?」

俯いたヒビキの顔を覗き込んだら彼は、あ!と思い付いたように大きな声を出し顔を上げるとキラキラと輝く瞳であたしを見た。何だか嫌な予感がして離れようとしたのに奴はちゃっかりあたしの手を握っていた。

「ヒビキ手、離し」
「ななしさん!」
「………な、なに」
「ななしさんが僕の彼女になればいいんですよ!!」

まるで名案だと言いたげに目を輝かせるヒビキにあたしは項垂れた。どうしてそうなるんだ。ヒビキの頭の回路はどうなってるんだろうか。毎回毎回あたしを巻き込むこの妙な行動力と突飛な発言にあたしはまんまと翻弄される。だが今回はダメだ。折れてはいけない。

「いや無理」
「ワタルさんに勝ったら彼女になるってどうですか?」
「何でアイツが出るの!?」
「約束ですよ!僕いまからフスベに行ってバッチもらってから、チャンピオンリーグ制覇してきます!」
「まてヒビキ!ヒビキー!!!」

ヒビキはあたしの意見なんかには耳を貸さずにバクフーンと共に砂煙を上げて走って行った。ヒビキは、成長した。確かに成長するのはいいのだけど、あたしの話を聞かなくなったのは問題だった。取り残されたあたしはサンダースを見て、溜め息を吐いた。
見上げた空はヒビキと出会った頃に見た空と似ていた。



End.