短編 | ナノ



ななしさんは強くて、かっこよくて、凄く面倒くさがりで、だけど頼りになる姉御肌な人だ。僕と何度もトレーニングとしてポケモンバトルをしたけれど、的確な指示とサンダースとの絶妙なコンビネーションには舌を巻いた。そんな完璧な彼女に僕は憧れにも似た恍惚を抱いた。これが彼女だと、思っていた。けれど今目の前にいるその人はまるで別人のように、いつもの強気な光を放つ瞳をにわかに潤ませて飛び出して来るポケモン達を見ては小さな悲鳴を上げている。普段の彼女からはあまりにもかけ離れていて思わず呆然としてしまう。

「うぉああ!キャ、キャタピーが…っ!」
「……えーと」
「ちちち近い近い、キャタピー近いから、来るな来るな」
「…………」

ウバメの森に入ってからというものななしさんはずっとこの調子で、前方に虫ポケモンが居ようものなら全力で引き返そうとする。何度回れ右でヒワダに帰ろうとする彼女を止めた事か。見ての通り彼女は虫ポケモンが苦手なようだ。細心の注意を払い、足元や頭上から虫ポケモンが出現しないか窺いながら足早に森を抜けようとするななしさん。いつもの彼女の面影さえ見えなかった。

「何か意外ですね。」

僕は珍しいものを見るような目でななしさんを見た。

「何がよ」

彼女はじとりと僕を見ると普段より1オクターブ声音を下げて答えた。

「ななしさんにも苦手なものってあるんですね。」
「…ヒビキ面白がってるね。」
「いえ、」

そんなこと無いです。と言ったけれど彼女の言う通り正直ちょっと面白かった。

「嘘!顔が笑ってる!」
「すみません、つい。ななしさんが可愛いから。」
「……………は?!」
「え、?」

僕は首を傾げた。今まで怒っていたななしさんが突然顔を真っ赤にして固まった。

「どうしたんですか?」
「いいいいや何でも…ない。」

ぐるりと前に顔を向けて早足でスタスタと歩き出すななしさん。後ろから見てもわかる程彼女は耳まで真っ赤にしていた。日の当たらない森は少し肌寒くも感じるのに彼女は酷く暑そうに手を扇子代わりにして火照りを冷ましていた。

「………うわ、」

今更になって、僕まで恥ずかしくなってしまった。
まさか自然と溢れた一言にあんなに露骨に顔を真っ赤にされるとは思ってもみなかったから。
それでも、僕はそんな彼女もとても可愛らしいと思ってしまった。

「ぎゃー!空からビードルがあああ」

ななしさんの叫び声が聞こえて緩む口元をそのままに僕は走り出した。
森を抜けるまであと少し。