短編 | ナノ



※「自由を望むか」の続きです。








初めて、こんな人間に出会った。わたしを見た人間達は大方が攻撃を仕掛けてきてはボールを投げつけ、わたしを狭いボールの中に閉じ込めようとするのに、どういう訳かその少女はわたしをただ大人しく眺めているだけだった。真っ直ぐに向けられた彼女の瞳は誠実で純粋だった。わたしの前足の傷に薬を塗る手付きはまるで壊れ物を扱うかのように優しく、そして温かかった。こんな人間に出会ったのは初めてだ。薬を塗り終えた彼女はわたしを見て安心したように柔らかい笑みを浮かべ、目を細めた。

「………ごめんね。」

今にも泣き出してしまいそうな表情で、ぽつりと呟いた。どうして、何もしていない彼女が謝るのだ。わたしは彼女が泣き出しそうな理由がわからなかった。ただ触れた指先から伝わる温もりが傷口からわたしの心にじんわりと伝わり、らしくもなく動揺してしまった。その日の夜は温かい彼女の優しさに包まれて久方ぶりに深い眠りへと落ちた。




「気を付けてね。」

木漏れ日の下、心配そうにわたしを見て少女は言った。大丈夫だ。わたしは答えるように鳴いた。それでも彼女は眉を下げ、不安気な眼差しを向けたままだった。こんな時、彼女を安心させてあげられる術が思い浮かばない自分が嫌になる。わたしが言葉を話せたら、彼女を包み込む腕があったなら、こんな顔をさせないですむのだろうか。わたしは彼女の頬にすり寄った。

「、わ…っ」

くすぐったそうに笑った彼女はわたしの顎を白く細い指先で撫でた。

「スイクン…、また会えるかな」

彼女はその温かい手のひらでわたしを包んで、憂いを帯びた声音で言った。また会えるさ、必ず。わたしが鳴くと彼女は嬉しそうに笑った。

「ななし〜?!」
「あ、コトネちゃんだ」

遠くから彼女を呼ぶ声が聞こえた。彼女は振り返り、口を開いたが直ぐに閉じてわたしへと向き直った。

「人が来る前に行った方がいいよ。」

彼女はわたしを一撫でして言った。優しいこの子は友人にもわたしのことは秘密にするのだろう。わたしは記憶に焼き付けるように彼女を見つめ、踵を返し駆け出した。みるみる彼女と距離が離れ、振り返った時には彼女と共にいた森が遥か遠くに見えていた。

「………」

ななし。彼女の名前を心の中で呟いた。たった一日だったけれど、わたしの中に鮮明に残る柔らかな彼女の笑顔。次に会った時は、彼女と共に沢山の景色を見ることが出来るだろうか。わたしは空に向かって咆哮を上げた。この声が、ななしに届くといい。

再び駆け出したわたしの耳に風に乗って彼女の声が聞こえた気がした。