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「レッド君、買物行こう」
今日は土曜日でカフェのバイトも休みだった。リビングでいつものようにピカチュウとじゃれて遊ぶレッド君を眺めていたあたしはふ、と気が付いた。そういえば、レッド君の私服がない。下着やらはお兄ちゃんがか買ってきてくれたのがあるみたいだけど、私服はずっとお兄ちゃんのを着ている状態だった。今まで気付かなかったのはレッド君があまりにも自然に着こなしていたからだろう。レッド君は何を着ても似合う。けれど何時までもお兄ちゃんの服を着てもらうのもレッド君に悪い。考えた結果が買物だった。そして冒頭に戻る。

あたしとレッド君は電車で15分程の場所にある百貨店に来ていた。本当は色々とトラブルの元となる空気の読めないピカチュウも置いて来たかったけれどあまりにもぐずるので仕方なく連れてきた。今はあたしの腕の中でぬいぐるみと化しているピカチュウだけれどいつ動きだすか内心ひやひやしている。そしてレッド君もレッド君で目を離せばいつの間にやらいなくなっていたりするから安心して買物が出来ない。
「レッド君、Wiiなら家にあるから」
「…していいの?」
「買物が終わったらね」
じっと興味深くWiiの店頭プロモーションを見ていたレッド君を何とか説得して衣料品売場までやって来た。適当に彼に似合いそうな服を見繕って十着程購入した。バイト代貯めてて良かった、とこれ程に思ったことはなかった。このまま無事に帰れる、そう思った矢先に事件は起こった。
食料品売場を歩いている時せっかくだからケーキでも買って帰ろうと思った時奴が動き出した。順調に事が進み気が緩んでいた自分に叱咤した。ピカチュウはあたしの腕の中から軽々と抜け出すと目の前のケーキ屋さんへ走ったのだ。目をキラキラと輝かせているのが伺える。
「ピカチュウ…!?」
ざわざわと騒ぎだす従業員や買物に来ていた人達。

「どうしよう…!!」
あたしは必死にこの場をどう収拾するか考えた。けれど浮かぶのは最悪の結果ばかり。テレビに取り上げられ沢山の報道陣が家に押し掛けるような地獄絵図や見せ物にされるピカチュウ。考えただけで心臓が冷たくなる。背中に冷たい汗が伝う。相変わらずピカチュウは空気が読めないようでケーキ屋さんの店員にケーキをくれと催促している。ああ、頭が痛い、吐き気までしてきた。完全にパニックに陥ったあたしの頭に温かな重みを感じて顔を上げた。
「レ…ッド君」
「大丈夫」
レッド君は何時もと変わらない口調でそう言った。不思議とパニックに陥っていた頭がすぅ、っと落ち着きを取り戻していくのを感じた。そうだ取り乱しちゃいけない、あたしが冷静にならなきゃいけないんだ。
「…レッド君ありが」
「電気ショックで…気を失わせて、」
「まっ、まてまてまてまて、」
レッド君が落ち着け…!
あたしはレッド君にはとりあえず大人しくしていてもらう事にして、深呼吸をしてから人の群れが出来たケーキ屋さんに向かった。
さながら戦場に赴く侍の気分だ。
群がる人の中、ケーキを頬張る黄色いネズミを姿を双眼に捉えたあたしはタイムセールの卵に群がるの群衆の如く集まった人の波を掻き分け、獲物を狩る獣の如くピカチュウを視界に捉えると、無数に伸びる手に紛れ込み黄色い小さな手を掴んだ。驚くピカチュウを他所にあたしは素早く身を屈ませ持っていたショッピングバッグにピカチュウを突っ込むと上から見えないように買った服を被せてそそくさと群れを抜け、待機していたレッド君の腕を掴むと競歩のスピードで店を後にした。
店の入り口が見えない程遠ざかった頃、ショッピングバッグに押し込んだピカチュウに可哀想な事をしたな、と思いやけに静かなそれを恐る恐る覗いてみると奴は至極幸せそうな顔で眠りこけていた。あたしは途端にどっ、と疲労が押し寄せるのを感じる一方で安堵の溜息を吐いた。
「……すごかったよ」
「そりゃあ、どうも」
結局ケーキは買えなかった。あの空気の中普通にケーキを買うことなんてあたしには出来なかった。あたしはショッピングバッグの中でぐっすりと眠るピカチュウを見下ろした。本当に、人の気も知らずに暢気な奴だ。
ピカチュウを見つめて溜め息を吐いたあたしの頭にレッド君の手が置かれた。
「頑張ったね。」
「……っ」
赤い瞳を細めて小さく微笑んだレッド君に不覚にもときめいてしまった。これだからイケメンは心臓に悪い。
「…碧…」
「な、なに!?」
声が裏返ってしまった。恥ずかしくて死にそうになったあたしにレッド君は真面目な顔をして口を開いた。
「…Wii」
「………そう、だったね」
ときめきを返してほしいと思った。