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レッド君はシロガネ山からの下山中に雪崩に襲われ意識を失っていたらしい。気が付いた時にはお兄ちゃんに担がれ我が家へ拉致されていた。このご時世、身売りはないと思ったがこんなに身近な人物、しかも兄が人拐いをするなんて思ってもみなかったけれど結果的には良かったのかもしれない。だってレッド君は別世界から来てしまっていたんだから。
あたしはシロガネ山の頂きに一人佇む伝説の少年を知っている。けれどそれはあくまでもゲームの中の話であって現実にそんな吹雪いてる山に年中半袖で暮らし、挙句強いトレーナーが来るまで下山しないなんて悪く言えば気違いな人間、いない。いたらたまったもんじゃない。そんなちょっと変な人の名前は確か、レッドといった。めちゃくちゃ強くてあたしも未だに挑戦出来ないでいた、のに。どうやらそのレッドというトレーナーが次元を越えてこの世界にやってきてしまった。リビングの机で宿題をしていたあたしは、小さく息を吐きピカチュウとじゃれあうレッド君の横顔を見た。
レッド君は手持ちのポケモンを雪崩に巻き込まれた時に落としてしまったようだ。相棒のピカチュウもいなくなってしまったらしい。あたしのポケウォーカーから飛び出して来たピカチュウは勿論レッド君の相棒ではなかった。ピカチュウと遊ぶレッド君の横顔は穏やかだけれど、何だか寂しそうに見える。ぼーっとしていたあたしはくるくると指で回していたシャーペンが床に落ちる音で我に返った。勉強に集中出来ないでいる自分に呆れながら、シャーペンに手を伸ばせば横から、ぬっと自分とは違う手が伸びて来て落ちたそれを拾い上げた。
「落ちたよ」
レッド君の手に、あたしの青いシャーペンが緩く握られている。
「あ…ごめん。ありがとう」
へらっ、と笑ってシャーペンを受け取った。そのまま何事もなかったように体を机に向けて参考書を眺めた。横からピカチュウが眠たそうに鳴く声が聞こえた。
「………」
「………」
隣から気のせいではない位に此方に注がれるレッド君の視線を感じてあたしは変な汗が吹き出しそうになっていた。目は開いた参考書の上を滑るだけで頭には全く入らない。これ以上耐えれそうになかったあたしはシャーペンを机に置いてレッド君に向き直った。
「レ、レッド君…。視線が痛いです。」
彼の瞳を直視出来なくて少し俯き加減で言えばレッド君は表情を変えずに口を開いた。
「碧の真似」
「あたしの…?」
レッド君は小さく頷いて、先程あたしが彼を見つめていた事を言った。気付いていたのか。少し気まずく感じて更に俯いてしまったあたしの頭にドスッ、と何かが突っ込んできた。首が嫌な音を立てた。何だ、と顔を上げればピカチュウがちょこんと立っていた。
「ピ…ピカチュウ」
「首、大丈夫?」
「何とか」
頭を擦るあたしに向かってピカチュウは悪びれた様子もなく可愛く鳴いた。若干怒りボルテージが上がったけれど、今はピカチュウの空気の読めなさに少しだけ感謝した。
いつの間にか気まずさは消えていた。