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「……お前、それ…」
お兄ちゃんの視線が痛い程あたしの肩に乗る黄色い生物に注がれている。ピカチュウは相変わらず空気が読めないようでお兄ちゃんに向かって可愛い声で挨拶している。結構社交的なピカチュウらしい。何とも言い難い雰囲気が漂う中、微妙な沈黙を破ったのはあたしでも兄でも、ましてピカチュウでもなくて、お兄ちゃんの背におぶさっていた少年だった。少年は小さく身動ぎし、ゆっくりと瞼を上げた。兄とあたしを取り巻く空気は新しい生命の誕生を見ているような、ちょっとした緊張感を漂わせている。
「…ん、」
薄く開いた瞼から覗く綺麗な赤い瞳を見た。まるで宝石のようだとぼんやりと思った。
「………………」
お兄ちゃんもあたしも固唾を飲んで少年の様子を伺っていた。何も喋らない少年は真っ直ぐにあたし…じゃなく、あたしの肩に乗っかっている黄色い電気ネズミを見て呟いた。
「……ピカチュウ…」




何時までも玄関先にいるわけにもいかず場所はリビングへ移った。あたしが少年から事情を聞いている間お兄ちゃんの物言いたげな視線と少年の視線が腕の中にいるピカチュウへ向けられているのに気付いて、元来口数の少ないと思われる少年から何とか名前と道端に倒れていたまでの経緯を聞き出した後、自分もこのピカチュウのことを話した。
お兄ちゃんはへぇ〜とか、ほ〜とか言いながらあまり感情を表に出さない少年、レッド君が口角をほんの少し上げてピカチュウとじゃれているのを見ていた。ピカチュウもピカチュウで満更でもない様子で気持ち良さそうに鳴いている。
「じゃあそのピカチュウは良くできたぬいぐるみなんだな。」
「話聞いてなかったんだね」
じとり、と見つめればお兄ちゃんは笑って嘘だよと言った。こっちは真剣なんだ、冗談でこんなファンタジーなこと言わない。
「行くところもないならレッドは此処に住めばいいんじゃないか?」
「……は!?」
「…………」
お兄ちゃんは相変わらず突拍子もないことをさらりと口にするから当人であるレッド君よりもあたしが驚いてしまった。そりゃあ部屋はあるけれど、突然見知らぬ人の家に居候なんて絶対嫌に決まってる。レッド君は顔に出さないけど内心迷惑がってるんじゃ…。ちらりとレッド君に目を向ければ、我関せずに未だにピカチュウと戯れていた。
「このまま知らない街でさ迷って悪い大人に拐われるより良いだろ。レッドなんか顔が良いから何されるか解らないしな。」
「……、」
このご時世身売りはないと思うが、確かに顔はすごく整っているレッド君だ、変な少年マニアのおじさんやらに如何わしいことをされる可能性がないとも断言出来ない。でもあたしは、強要はいけないと思うのだ。ピカチュウと戯れるレッド君に呼び掛ければ赤い瞳があたしを映して、一瞬心臓が跳ねた。
「レッド君さえ、良かったら…此処に住みませんか?変なお兄ちゃんやあたしもいるけど、あ、あとピカチュウも。」
「………ピカチュウ…」
レッド君はピカチュウを見つめた。ピカチュウはレッド君の指を掴んで鳴いた。此処にいろ、とでも言いたいのか。
「どうかな…?」
恐る恐る聞いてみればレッド君はコクリと縦に頷いた。
「一件落着だな!」
笑う兄の隣であたしは安堵の溜め息を吐いた。どうやらあたしはレッド君と喋ると妙に緊張してしまうようだ。
「ピッカ!」
ピカチュウがレッド君に抱き着くのをぼんやり眺めながら、あたしは小さく微笑んだ。