メイン | ナノ




久しぶりに引き出しに眠っていたポケウォーカーを取り出してポケットに突っ込んだ。腕に付けている時計を見ればもう待ち合わせの時間が迫っていて教科書が入ってずっしりと重い鞄とお弁当を持って家を出た。胸ポケットから自転車の鍵を取り出し、差し込むと鍵が解除された音が響いた。急いでペダルを踏み自転車のスピードを上げる。朝の風が火照った体を冷ましてくれる、そんな清々しい朝。いつもの待ち合わせ場所、友達との談笑、いつもの授業中の居眠り。繰り返される毎日が、この日突然音を立てて崩れ去った。


「お疲れ〜」
「お疲れ様で〜す」
学校が終わってすぐにバイトに直行してから四時間、あたしはロッカーを吐き出した溜め息と共に閉めた。
「すごい疲れてますって顔してるね」
「梓…」
気を抜くと閉じてしまいそうな目で彼女を見れば、梓は呆れたように笑った。
「眠いの?」
「何か今日ずっと眠たいんだよね〜、頭も痛いし。」
「何、二日酔い?」
「あたしお酒飲めないって。しかも未成年。」
そうだったね。なんてわざとらしく言い放った彼女は未成年のくせに酒豪だったりする。どれだけカクテルやチューハイを飲んだって酔ったところなんて今まで一度も見たことはない。あたしはジュースのようにお酒を飲む彼女を見てきたけれど自分は絶対どうしても飲まなきゃいけない時しか飲まないと決めているから梓の誘いは毎回断り隣で烏龍茶を飲んでいる。
「ねぇ今からご飯食べに行こうよ!」
「ん〜、今日は駄目だなぁ。家に一人だもん。」
結んでいた髪を解いたあたしは鏡に映る梓を見て言った。
「そっか〜。お兄ちゃんはお仕事なんだ?」
「うん、泊まりだって。」
鞄とお弁当を持ってスタッフルームから出たあたしと梓は書類を神経に見つめている店長に控え目に挨拶をしてから店を出た。外は真っ暗で空には既に満月が浮かんでいた。ぼんやりと空を見ていたあたしの耳に梓の声が届いた。
「いいな〜碧!お兄ちゃんいなかったら一人の時間満喫出来るじゃん!」
「満喫どころか家事あるんだから大変だよ…!」
「あー…確かに。家事は嫌だわ。」
「あたしも。慣れたけど嫌だー。」
自転車のかごに鞄を入れスタンドを蹴ってペダルに足を掛けた。隣を見れば梓も緩やかにペダルを踏み込んでいた。
「帰っても大変だね。頑張るんだよ!」
「ありがと。じゃ、お疲れ!」
「お疲れー」
梓と別れた後あたしは小さく息を吐いた。帰ってからすることは沢山ある。まず晩御飯を作る。それから洗濯、お風呂、宿題…。寝るのはきっと日付が変わってからだ。あたしはまた小さく息を吐いた。丁度信号機が青に変わったのを見て自転車を漕ぐスピードを上げた。この時、スピードを上げなければ…早く帰ろうなんて思わなければ――…。
信号を渡った時、青信号にも関わらず乗用車が脇から突っ込んできた。気付いた時にはもうどうすることも出来ない距離で、あたしは体から血の気が引くのが分かった。死ぬ。そう思って、怖くて目をきつく閉じた。瞼を閉じてもわかる、眩しいライトの光とバリバリと轟く轟音。けれどいつまで経っても痛みは来ない。もしかしたら痛みも感じない程の速さであたしは死んだのかもしれない、そう思った。とにかく目を上げなければ状況がわからない。きっと目の前は花畑か三途の川があるはず。
「…………、」
目を開けたあたしはそのままフリーズした。目の前には想像していた花畑でも三途の川でもなく、焼け焦げた車と可愛らしい黄色い…
「ピ、カチュウ…?」

ピカチュウは嬉しそうに小さな片手を上げて鳴いた。