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その日ピカチュウが家出した。事の発端は些細な事だった。買物に行こうとしたあたしは、ぱらぱらと小雨も降り以前の騒動もあった事だ、ピカチュウはレッド君に任せて家を出ようとした。けれど何故かピカチュウは納得してくれず、靴を履いたあたしのスカートの裾を引っ張って引き留めた。暫くあたしとピカチュウは攻防を繰り広げたがあたしが無理矢理外に出ようとドアを開けた瞬間ピカチュウは雨の降るなか飛び出して行ってしまった。呼び止める声も虚しくピカチュウは小雨の降り頻る住宅街へ消えてしまった。あたしとレッド君は慌ててピカチュウを探しに走った。けれど素早いピカチュウの足にあたし達が及ぶ筈もなく広い街をぐるぐると回り、焦る気持ちを押さえ慎重に、あの黄色を視界に捉えようと目を凝らした。時折水溜まりを踏んでしまったせいかあたしの靴やスカートは傘をさしているにも関わらずびしょびしょに濡れていた。
「レッド君ピカチュウいた?」
「いない。そっちは?」
二手に分かれて探していたレッド君が家の前に帰って来た。どうやらレッド君の探した方にもピカチュウはいなかったみたいだ。残念ながらあたしの方もいなかった。首を左右に振ったあたしを見たレッド君は僅かに瞼を落とした。
「…ピカチュウ…、」
「碧。家の回りはまだ探してない。」
「え…」
顔を上げたあたしはレッド君を見た。彼の赤い瞳に情けない顔をした自分が映っている。レッド君はあたしが口を開くのを待っているようだった。
「もしかしたら…戻ってる?」
「かもしれない。」
そう言うとレッド君は家の庭へ向かって歩き出した。あたしも慌てて彼の後を追いかけた。雨は未だにポツポツと降り続けて、小さく出来た水溜まりに落ちては波紋を広げて吸い込まれていく。今まで走っていたから気づかなかったけれど気温が下がったせいで、あたしは今更ながら寒いと感じた。前を行くレッド君もあたしと同じ半袖姿で、寒そうに見えた。
ピカチュウは…雨に打たれて、今頃寒さに震えているかもしれない。あたしは唇を噛んだ。後悔したって仕方ないことだけど、後悔せずにいられなかった。
「碧」
レッド君の声にはっ、と我に返ったあたしは勢いよく顔を上げて目の前に立つレッド君を見た。彼は真顔であたしの頭をぽん、と軽く叩くと何事もなかったように再び歩き出した。
あたしは一瞬呆気に取られた。気を…遣ってくれたのか。いや、あたしが気を遣わせてしまったんだ。あたしはレッド君が触れたヶ所に手をやり、自嘲気味に笑った。



レッド君が言った通り、ピカチュウは戻って来ていた。庭の縁側の下で疲れたのか、穏やかな寝息を立てていたのをレッド君が見つけてくれた。あたしはレッド君からピカチュウを受け取り腕の中にすっぽりと収まり眠るピカチュウを震える手で抱き締めた。張り詰めていた緊張感が解かれたあたしは安心して情けなくも泣いてしまった。腕の中で眠るピカチュウを抱き締めて思った。あたしの日常に勝手に飛び込んで来てトラブルを引き起こすこの子が、今ではもうあたしにとって大切な存在になっていたんだと。そしてそれはレッド君も同じ。いつかは彼等がいなくなる時が来る。あたしはそれを耐えれるだろうか。笑って見送れるだろうか。



雨はまだ降り続けている。