プリズム | ナノ


大理石の白が光に照らされてより一層白く輝いている。白夜に包まれる宮殿の長い廊下をゆっくりと歩く少女の耳元で、ルビーとダイヤモンドのピアスがゆらゆらと揺れ光に反射して煌めいている。美しい造形で掘られた女神ニケの像を正面に右の角を曲がった彼女は暫く同じ白い大理石の廊下を歩き、一つの扉の前で立ち止まった。彼女の身長よりもずっと大きなその扉はアールヌーヴォーの凝った装飾が施され中央に配された太陽をモチーフとした金のレリーフが美しく輝いている。彼女は一つ息を吐くと、手首に金の腕輪をはめた華奢な白い腕で扉を押し開けた。
玉座の間と呼ばれるその部屋は左右に採光をとる窓から明るい光が差し込み、天井のシャンデリアを一層輝かせている。太陽と月を中心に銀河に散らばる星々のデザインが施された大理石の床をまっすぐに辿るとワインレッドのベルベットが美しい絨毯が敷かれた玉座があり、其処には扉と同じ太陽をモチーフにしたレリーフが施された椅子が二脚置かれている。玉座の真上は半円球の広い吹き抜けになっており天井に設えられた美しい天窓からは玉座に光が降り注ぐ。
コツ、コツと踵にリボンがあしらわれたスカーレットのヒールを鳴らした少女は、玉座に座り瞼を閉じるその人へ声を掛けた。

「姉様」

凛としたその声が柔らかに反響すると、ゆっくりと瞼を押し上げたその人は透き通る紅の瞳に、少女を映した。

「ソール…急に呼び出してごめんなさい。」

眉を下げ申し訳ないというように謝る彼女に、ソールは小さく微笑むと首を左右に振った。彼女は安堵したように小さな笑みを浮かべたがどこか辛そうな表情で、ソールの胸に一抹の不安が過った。暫しの静寂を破るように、凛とした声が空気を震わせた。

「ーカオスが活発化し始めています。このままでは外部太陽系の星々にまで被害が広がるでしょう。…貴女に、カオスの討伐を要請します。」

苦しげに告げる彼女を、ソールもまた悲しみを帯びた彼女と同じ、透き通る紅の瞳で見つめた。カオス討伐は決して無事では済まされない。戦士として強大な力を宿したソールであっても、怪我を負い血を流した程だ。本当は大切な妹を戦場に等行かせたくはない。けれど、銀河を護るという使命が課せられたこの国の王族として生まれてしまった以上、やらなければならない。まして、力の強さは圧倒的にソールが強く、銀河最強と謳われるに等しい。彼女はぐっと手を握り締めると、前を見据えた。女王として強くあろうとする彼女の姿にソールは、ぐっと喉元までせり上がった言の葉を呑み込み、僅かに唇に弧を描いた。

「御意。」

恭しく跪いたソールを見下ろし、彼女は自分の心がまた黒い靄で覆われるような気分に陥った。
ソールが立ち上がり、踵を返し去って行く後ろ姿に思わず声を掛けてしまった時、彼女は激しく後悔した。振り向いたソールは、もう彼女の愛する妹としての表情ではなかったからだ。

「…っ、気を付けて、ソール。必ず戻って来るのですよ。」
「はい。」

重たい音と共に閉じられた扉を見つめる彼女の目には緋色の髪を揺らし去って行くソールの後ろ姿が焼き付いて離れなかった。
彼女は胸の前で両手を握ると、強く祈った。自身の最も大切な妹がこれ以上傷付かないように、と。



城のバルコニーから寝静まる白夜の国を優しく見つめるソールの後ろ姿は今にも崩れてしまいそうな程頼りなく華奢に見えた。跪き寂しげなその背中に声を掛けるとゆっくりと振り返り、その純粋な瞳に私を映すと目を細め再び眼下の景色を見下ろした。

「セレス、この国はとても平和ね。民は皆温かで優しい。きっと姉様が女王である限りこの平穏は続くのよ。」
「ソール…。」
「私はこの国が、人が、とても大好き。だから護りたい…私の手で。命に代えても。」

強く決意するように言い放ったその言葉はまるで自分に言い聞かせるようにも聞こえた。私は表情の見えないその後ろ姿をただ、見つめているしか出来なかった。暫しの沈黙の後、少し冷たい風と共に小さな声が耳に届いた。

「でも、もしも…願いが叶うなら…私も普通の生活がしてみたい。友達と他愛もない会話をしたい。姉妹喧嘩も、恋も、してみたい…なんてー。」
「っ、ソール…私は」
「セレス」

冷たい、氷の刃のように尖った声音だった。言いかけた言葉は、音になる事はなく空気に溶けて消えてしまった。わかっていた事だった。彼女が自分の大切なもの程遠去けてしまう事は。私が一番側で見て来たのだ。彼女が一人寂しさに耐える姿を、悲しみに暮れる姿を、私はずっと見て来た。そうして、自分から他者を遠去けるようになった貴女を、私は止めることが出来ずにー。
脳裏に焼きつく、いつかのソールの笑顔を再び取り戻すことはきっと叶わない。拳を握りしめる私に振り返る事なく彼女は淡々と告げる。

「2日後、ギャラクシーコルドロンへ向かいます。貴女達守護戦士は姉様と、この国を守って。」
「…はい。」

踵を返し私の隣を過ぎるソールの、スカートにあしらわれたリボンがふわりと風に揺れて通り過ぎて行く。冷たく遠ざかる足音に私はまるで時が止まったように動けずにいた。握りしめた手は無意識の内に力を込めていたようで、爪の色が白く変色していた。
私はゆっくりと立ち上がり彼女が佇んでいたその場所から城下を見降ろした。
ぼんやりとする白夜の街が、何故かとても眩しく感じた。この国が、人が、好きだと言ったソールは、たった一人その身に変えてこの星と銀河を守るだろう。その事実に甘え守ってもらうことを、当たり前に感じている者達はどれ程いるのだろうか。誰も、何も失いたくないと、大切なものを遠ざけ一人でいることを選んでしまった彼女の小さな背中を知っていながら、知らないふりをして平和を保っているこの国を私は彼女と同じように思う事が出来なくなっている。
私は瞼を閉じて、ソールの後ろ姿を思い出した。
ー彼女の足音はもう聞こえない。